Log No. 344

February 2005

February 26, 2005

use

ただいま独立準備中。

居候している会社から、そろそろ独立するためにいろいろ準備を進めている。

自分の仕事場や住居の選定、通訳さんの雇用などが先立って必要な事物。

もちろん中国での勝手が分からない自分ひとりでは何もできないので、多くの友人にかなり手伝ってもらってやっている。皆の協力ようは本当に感動モノです。

先日、物件探しを手伝ってくれていた友人の一人と、こんなやり取りをした。

友人が、「家賃一ヶ月1300元の物件があった。新オフィスのすぐ裏で、家具も全部ついていてとても便利。だけどちょっと高いね。もっと安いところを探したほうがいいかな。古くて汚いかもしれないけど。」と持ちかけてきた。それで自分は、そうか、便利だけど、ちょっと高いね、古くてももう少し安いところを探そう、稼げたら引っ越せばいいね、というような返事をした。すると友人は、少し残念そうに、「・・・日本人は、みんなそうなのね。」と言った。

日本人はみんな。この言葉が胸に突き刺さった。僕が「日本人は」という括りで話されるのが好きではない、というのもある。けどそれ以上に、日本人はみんな、高くて綺麗なところに住みたがる、と言われ、何がいけないんだろう、とちょっと考えてしまった。

日本では一般的に、若い人で月給の3分の1くらいの家賃のところが生活に丁度いいと言われていると思う。つまり、3分の1よりも安いところに住んでいれば、3分の1の水準まで上げても大丈夫、ということで、集合住宅から一戸建てに引っ越したりするんだと思う。そういった感覚で、自然に、お金稼げたらもっといいところに、と考えて出た発言だったのだろう。

でも、考えてみれば、自分に特別高くて綺麗な住居に対する憧れがあるわけではない。家賃は決して小さなお金ではないから、家賃を抑えたら相当いろんな別のことにお金を使えるはずだ。2万円安い物件に入れたら、月2万円の習い事とかできるかもしれない。日本人はよく遊び方を知らない、とか、余暇の使い方が下手、といわれる。家賃に月給の3分の1もかけるからかもしれない。食費やその他諸々の生活費を差し引いたら、手元に残るのはいくらだろうか。

さきほどの友人は、いわゆるOLだが、彼女は月給の20分の1以下の家賃で生活している。洗濯物も手洗いだ。住宅事情が日本とは違うが、きっと彼女は、住居以外のお金の使いどころを知っているのだろう。

たとえば、中国の人たちは、正月実家に帰省する際のお土産に月給数か月分をかけたりするらしい。大切なことに、大切なお金を使う。

今の自分にとって、少し部屋が広いとか、日本並みに綺麗とか、仕事場まで歩いていけるとか、きっとそれほど重要ではないはず。もっと、大切なお金の使い道がありそうだな、と思い始めた。

お金は大事だからね、よく考えないとね。

February 20, 2005

山東省旅行

暇で暇で仕方なかった。


年が明け、さぁ大連の正月はどんな感じかなーと街に繰り出してみても、人通りが少なく、ほとんどの店が閉まっている。なんかもっとにぎやかなものを想像していた。2日目も何もなく、友達もいないので何もすることがなく部屋でぼーっとするのみ。3日目、やはりすることがなく、一日読書をしていたが、夕方突然空しくなった。大学時代、ほとんど連休などにありつけたことはなかったのに、ここにきて7連休もあって何もしないなんて。正月に入るまであまりに忙しかったため何の計画も立てられなかったのだが、思い切って計画なし、気の向くままの、思いつき旅行に行くことにした。山東省なら大連から湾を挟んで対岸の土地だ、そう遠くないし、低予算で気軽に行けるだろう。思い立ってすぐ大連港へ向かった。翌朝一番の船の切符を買って帰る。バックパックに簡単な荷物を詰め、翌日を待った。

P1000095.JPG翌朝、7時前に部屋を出て、大連港へ(写真)。船で移動するのって何年ぶりだろう。思い出せない。買った切符は高速艇のもの。通常の船の切符の二倍以上の値段だが、半分以下の時間で対岸の町、煙台に着く。高速艇の利用で浮いた時間で、初日から色々動けるという目算。時間はお金で買うものですからね。高速艇「海鴎」は三時間半かけて目的地の煙台港に到着する。船内で上映されていた映画が、年末から上映開始になったばかりの話題作、アンディー・ラウとレネ・リウ主演の「天下無賊」だったのは思わぬ収穫。煙台についたのは丁度昼どき。昼食を食べながら次の行動を考える。山東省には中国の四大名山の一、泰山があるというので、次の目的地をそこに決定し、夜発車する切符を買いに煙台駅までバスで移動した。宿代を浮かせるため、移動は基本的に夜にして寝台車で車中泊だ。

P1000123.JPG中国の列車には、無座、硬座、軟座、硬臥、軟臥の5種類の席がある。無座は自由席、硬座は日本でいう東海道線の向かい合わせの席のようなやつ、軟座はグリーン車のような席、硬臥は上中下三段の寝台、軟臥は二段で個室になっている。値段はそれぞれ倍倍になっていくようなイメージだ。泰山までの乗車時間は10時間ほどなので、寝台が取れなかったらきつい。値段も手ごろな硬臥は庶民のメインの移動手段らしく入手が困難と聞いていたが、運良く問題なく取れた。89元(写真、泰山までの硬臥)。春節の真っ最中なので駅構内も空いていた。しかし帰りはリターンラッシュのピーク時だ(春節は全国的な一斉シャットダウン、民族の大移動が起こるので混雑度は深刻)。来てしまってから考えてもしょうがないが帰れるかちょっと不安になった。

P1000102.JPGさて、切符も問題なく取れたので次の目的地へ向かう。次は「蓬莱」だ(写真、蓬莱の町)。煙台から70キロ、バスで1時間半だという。切符を買ってバスを待つ。待つ間、もう一人同じバスを待っていると思われる男性に話しかけた。バス遅いですね、とか。そのうち、「中国人?」と聞かれたので「いや日本人」と答えたら、「ああ、日本人だったんですか」と日本語で返された。びっくり。なんでも、数年前まで筑波大学に2年留学していたそうだ。バスが来て、蓬莱につくまでの1時間半、二人でずっと日本語でおしゃべりをした。ちなみに、バスには僕ら以外運転手と添乗員だけだった。蓬莱では、蓬莱閣を見るといいよ、と言われ、そこまで案内してもらって握手をして別れた。

P1000115.JPG蓬莱。日本の昔話や伝説でも時折耳にするこの地名。来る前にちょこっと調べたところ、どうやら偶然の一致ではなく、この山東省の蓬莱が、その蓬莱らしいのだ。これは行くしかないと思った。蓬莱で有名なのは、徐福や七福神が蓬莱から日本へ出発した、というのがあるが、自分にとって蓬莱といえば竹取物語でかぐや姫の婿候補に取って来いと命じた「蓬莱の玉の枝」だろう。物語では結局蓬莱に行くことはできず、贋物の玉の枝を用意したわけだが。そこへ来てしまった。ちょっとした感慨。秦の始皇帝が不老不死の薬があると信じて徐福を派遣した地でもある。七福神が蓬莱の港から出発したという伝説の場所でもある。蓬莱の浜辺につくと、七福神ではなく八福神の像があった。帰ってきた後調べたところによると、日本に来る間に一人減ったらしい。何があったんだ。蓬莱では、蓬莱閣を見たらそれでほぼ時間切れになった(写真、蓬莱閣をバックに自分)。蓬莱閣は、中国四大名楼の一つらしく確かに綺麗だったが、入場料が高かった(70元)。

蓬莱からまたバスにのり煙台へ。そして、煙台の道端の串焼きで夕食を済ませ、電車の発車時刻まで駅で待つ。中国の列車に一人で乗るのは初めてなのでちゃんと乗る列車が分かるか、少し緊張した。結局何の問題もなく乗車。隣のベッドの人に大体の到着時間を聞き、そのまま寝た。翌朝には道教の聖地、泰山だ。

初日に使った費用:高速艇222元、市内バス3元、蓬莱までバス往復30元、食費28元、蓬莱閣70元、地図2元、湯のみ18元、列車89元、その他16元。計478元。

P1000126.JPG朝七時に泰山駅に着き、降りてすぐ地図を買い、朝食にピータン粥を食べた。駅から泰山まで行くためにタクシーの客引きと少々面倒なやり取りをした後、結局ふもとのメインルート入り口に連れていってもらう(写真、第一山)。ふもとから、登る。実は、中国一の名山や霊山と呼ばれる泰山を見てみたい、という思いで来はしたが、登るつもりはなかった。普段着だし。革靴だし。しかし、この日は濃い霧と雲で、泰山はほとんど見えなかった。せっかく来たのに見れないのではつまらないので、じゃあ登るか、という単純な動機。この時点ではここから7000段もの階段を登らなければならないとは知らなかった。

P1000135.JPGこういう岩山の寂寥とした感じはいい(写真)。古来から聖なる山として特別な地位を守ってきただけの趣がある。登山道の横を流れる川の脇には「ここで洗濯しないでください」の立札。世界遺産だけあって、所々に英語の案内や説明書きもある。それを読み進めながら、徐々にここがどのような場所かわかってくる。秦の始皇帝の時代には既に中国第一の霊山という地位を確立していたようだ。始皇帝が雨宿りをした松の木、なんてもの残っている。2500年も前の話。日本とは昔話のスケールが違う。

P1000143.JPG大分歩いたな、と疲れてきたところに、大きな門が見え始め、一つの峰の上まで来たように思われた。しかし、英語の説明書きを読むと、そこは中天門、天まで半分のところということらしかった。一気に力が抜けたが、せっかくなので頂上を目指す。歩き始めると、目の前に天まで続くかと思われるほど馬鹿長い階段が現れた。はるか彼方に天のそれであるかのような門が見える(写真)。早速くじけそうになるが、あまり考えないことにして、足を進めた。ゆっくり、ゆっくり段を登って行く。途中何箇所もあるお土産処兼休憩所の一つで、泰山名物という前餅と、大量に売られているカップ麺を食す。このカップ麺、船でも列車でも街中でも観光地でも、ホントどこいっても売られていて、そして皆が食べている。

P1000153.JPG結局トータルで五時間程度かかり、泰山頂の玉皇頂に到達。自分が立っているこの場所に、秦の始皇帝を初め、数多くの皇帝たちが立ったのだと思うと感慨深い。日本にはまだ文明もない頃、世界を統一した男が天帝に祈りを捧げに来ていた。泰山の頂から望む景色に、自分も中国での成功を願かけた。そしてまた2時間ほどかけて下山。ふくらはぎが小刻みに震えてくる。翌日の筋肉痛が容易に想像されたが気にしてもしょうがないし、頑張った証拠のような感じがしてむしろ楽しみでさえあった。それでも、夏に登った富士ほどきつくは無かったが、やはり登山はもうしばらく遠慮したい。

P1000177.JPG山をおりると、ふもとで相乗りの客引きをやっていた。丁度次の目的地と決めた省都済南までの車があり、しかも20元とお手ごろ価格だったので乗った。10人くらいがバンに乗って、済南まで2時間弱(写真、済南の街)。済南のバスターミナルで降り、とりあえずこの街を出る時のために駅をチェックしにいくことにした。駅の切符売り場で切符の発行状況を見ると、ほとんどが売り切れている。嫌な予感を感じつつも並んでみた。この時点で、連休最終日に帰るのではなく、その一日前に帰れるように、翌日の夜には済南を発ち、そのまま列車で大連に直行するスケジュールにすることにしていた。が、案の定大連までの切符はもうなかった。幸い翌日夜出発の煙台までの切符はあったので(しかも硬臥)、それを買い、煙台で問題なく船の切符が買えることを祈るのみだ。

P1000161.JPGこの日は、まだ少し時間があったので、黄河を見に行った。中国文明を育んだ黄河。済南はまだ内陸なのでそこまで太くもなく、ただ黄色い川が流れているだけだったが、夕日に照らされた黄河を眺めているだけで、なんだか自分が中国にいることをやけに実感できた。タクシーで街まで戻る間、運転手にこの街のことを色々と聞いた。人口はほぼ大連と同じくらい。人口は多いが町並みは古く、途上国の都市の趣きが強い。外国人はほとんど見ないそうだ。済南の若者についてなど色々話したあと、賑やかなところまで、と言ったら何故かサッカースタジアムに連れていかれた。たしかに普段は賑やかなんだろうが、今は春節で、しかも夜。当然スタジアムには誰もいない。周りも何もない。だが降りてしまった。何を考えていたんだろう。しょうがないのでそのままかなり歩いて食べるところを見つけ、バスで駅周辺まで戻り、その日は近くのシャワー屋さんに入り、経費削減のためそこの休憩室に泊まることにした(43元)。ここでもトラブルがあったが、書くのも疲れるトラブルなので割愛・・・

二日目の費用:食費41元、地図2元、泰山入場80元、切符代(煙台まで)114元、その他交通費96元、シャワー屋43元、その他11元。計386元。

P1000170.JPG三日目、午前7時から活動開始。朝からなぜか気分が悪い。泰山登山の筋肉痛で全身が痛いというのもあったのだが、腹も痛くて頭も重い。この日は一日済南の街を歩いて、夜の寝台列車で煙台に戻る予定。この体調で一日歩くのかと思うと気がさらに重くなった。まずバスにのって天下第一泉と称される[足勺]突泉を見物に。入園料を払って園内に入ると、落ち着いた古風の庭園に多くの泉が沸いている。カラフルな金魚が沢山泳いでいて綺麗。夏には睡蓮が咲き乱れているそうだ、惜しい。そして園内で一際大きく、勢いよく水を湧き立たせているのが、[足勺]突泉だった(写真)。途中園内の泉と泉を繋いで流れる水路を見ていたら、ぎょっとするほどでかい魚が横切った、と思ったらなぜかアザラシ。ホントびっくりした。

[足勺]突泉の園内にあった画廊をゆっくり眺めた後、次の目的地である千仏山へ。千仏山へついたはいいものの、気分が悪く山を登る気がしなかった。回りから千仏山の古刹を眺めて、満足する。さて、千仏山で半日は潰れると思っていたのだが時間が浮いてしまった。そういえば山東省博物館なるものがあると聞いていたのでそこへ行って見よう、と思い立ち、地図を広げたらほぼ目の前にあった。かなり大きな造りに見えたので期待して中へ入るが、見事に裏切られる。展示は少なく(4つくらいしか部屋がない)、所蔵しているという3つの国宝も展示されていない。唯一心が躍ったのは、恐竜セクションにあった、山東竜の骨格だろうか。大きい。山東竜のあの山東省にいるのか、と変な感慨が起こった。しかし全体としてはやはりほとんど見るべき点がない。インドのカルカッタで見た博物館を思い出した。とても汚くて、文化財の保存という意味で大丈夫なんだろうかと心配になるほど。そういえば、済南の街はどことなくインドの町並みを思い起こさせた。雰囲気がインド風、という意味ではない。人口は多く、都会なのに、建物や街並みがとても古く、洗練された空気がない。栄えているようで貧しい、そんな街。

P1000178.JPG博物館を後にして、適当に市街地へ入る。本格的に体調が悪い。この日の済南はとても暖かく、薄手の上着でも着ていれば外をあるける気温だったはずなのに、セーターの上にダウンジャケットという格好の自分がガタガタ震えているのである。鳥肌も立ちっぱなし。熱が出てるな・・・と思ったところで、カルフールに入ってベンチで1時間ほど休んだ(写真)。昼食もまともに取れなかったのに、なぜか身体が無性にコーラを欲していた。しかも普段飲まないペプシ指定で。これはきっと何か根拠があるに違いないと思って、欲求に従ってペプシを飲んだ。なぜかはよく分からないけど、腹痛が少し治まった気がした。その後も、ゾンビのような面持ちで済南の街を歩く。

P1000184.JPG次は泉城の別名を持つ済南の街の中心地にある大明湖へ(写真)。ただっぴろい公園。有料の公園なのに、多くの家族連れで賑わい、カーニバルのようなものが常設されているようだった。様々なゲームでぬいぐるみがもらえるあれ。その辺は騒がしかったので離れる。古刹も回りに点々とあって、その周辺を歩く。木々と古刹と泉がマッチする風流なとこだなぁなんて考えて歩いていると、綺麗な鶯の鳴き声があちこちから聞こえてきて、ああいいなぁ、なんておあつらえ向きなんだと思った刹那、木々にぶら下がる数多くの鳥篭を発見。作為的な演出だった。

それからも、バスを乗り継いだり、街を歩いたり、無目的に済南の街を歩く。夜の列車まではかなり時間があった。途中、迷子の少女と出会う。時間あるし、一緒に親を探そうということにした。探しているうちにこの子とも仲良くなって、時間も過ぎていくかな、と思ったが親は五分で見つかった。バイバーイとあっさり別れる。何も考えずに駅周辺に赴き、昨日は開いていなかったネットカフェに再度訪れた。春節中なので多くの店が閉まっているのだが、この日から開いた店は多いようで、そのネットカフェも開いていた。入って、1時間ほど悪戦苦闘しながらPCの環境を日本語環境に設定する。そして、そこで列車の時刻まで時間をつぶした。列車の時刻が近づき、駅に入る。駅の待合室でしばらく並んで待つが、程無く列車が到着し、乗り込む。寝台での回りの人々との交流もそぞろに、一人夕食がわりのパンをかじって、早々と寝入った。体調は本格的に辛いことになっていた。

三日目の費用:食費36元、入場料系45元、ネットカフェ10元、交通費10元。計101元。

P1000189.JPG翌朝、煙台に着く。ここで切符が変えなかったら大連に帰れない。休みが明ける前に帰り着く、という問題の前に、この体調でこれ以上旅行を続けたくなかったのでとにかく早く帰りたかった。駅に着いたら体力ふりしぼってダッシュで発券所まで行く。そう決めていた。列車が止まって、構内に降り立ち、走って発券所まで行った。切符は、1時間後出発の一番安い五等が無事買えた。ほっと胸を撫で下ろした瞬間、携帯電話をなくしていることに気づく。列車においてきた。戻って探すが、やはりもうなかった。頭が働いてないなぁ、と自分に呆れつつ、港へ向かう。帰りは通常の客船なので、ゆっくり大連へ航海する。天淮号の五等室に入る。船の最下層に簡易式二段ベッドをずらっと並べただけの所(写真)。ここで寝そべりながら音楽を聴き、読書しながら、9時間の航海をやりすごした。

P1000190.JPGそして大連港へ。港へ降り立ち、その足で携帯電話を買ったカルフール科技谷店へ。しかし生憎閉まっていたので、そこで夕食代わりの焼き芋とりんご二つ(計2元)を買って部屋に帰る。日が沈む前には部屋に着き、すぐ体温を測ってみると38.5度あった。小さい頃から頭痛持ちで身体も弱かったが熱はあまり出したことがなく、平熱も低い自分にはかなり苦しい熱だった。ルル飲んで布団に倒れこんだ。風邪がこんなに苦しいとは・・・。そのまま翌朝まで寝続けた。

四日目の費用:船代92元、夕食2元。計94元。

四日間の費用合計:1059元 (+携帯650元・・・) 1元=約13円

春節連休最終日である翌日も動けず、こうして僕の春節暇つぶし計画は終了した。

February 16, 2005

除夜

今年の春節(日本の旧正月)は2月9日。全土で多くの中国企業が2月7日や8日から、7〜10日間のシャットダウンに入る。春節には、たとえ何歳になろうとも親がいる人は皆親元へ帰省するというから、全国的な民族大移動が行われる。街は大荷物を抱えたこれから帰省する人と、帰省しに来た人たちで溢れている。大荷物のほとんどはお土産だそうだ。凄まじい量のお土産。この一週間で多くの人が給料の2,3か月分を平気で使い果たすそうだ。貧しい人も、日ごろコツコツと貯めたお金をここぞとばかりに放出するというから、半端な景気ではない。街中ではひっきりなしに爆竹と花火の轟音が聞こえてくる。

2月8日は旧暦の除夕(大晦日)。すでにシャットダウンに入っていたので暇で仕方がなかったが(こっちでできた友人はほとんど田舎に帰省してしまっている)、間借りしているオフィスの女性が夕方電話をくれて、今から来い、ということになった。彼女のご両親の家に、家族が集合するところに混ぜてもらう形になった。こういう展開を期待してシャットダウン前日の大掃除中に、春節暇だなぁ一人で寂しいなぁ、と大げさにぼやいてみた甲斐があった。

誘ってくれたこの方、年の頃は30代半ば、ファイナンスの専攻で大学院を出ており、流暢な英語を操る経理の女性、オフィスの皆から劉姐(リウジエ、日本語だとリュウねぇちゃん、という感じか)と呼ばれ親しまれている。

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集まったメンバーは、劉姐、劉姐のご両親、劉姐の妹夫婦と弟夫婦、愛犬宝宝(バオバオ)、そして僕。一見古びたマンションだが、入ってみるとアメリカンな感じの内装のとても綺麗な3LDKだった。正直その綺麗さに驚いた。お父さんは元海軍の退役軍人さんで、且つ元党員でもあったらしい。弟さんは現役の政府のお役人さんだ。なんとなく納得した。

お正月の伝統料理である餃子が出てくるのを、居間のソファでお父さんと二人きりで待った。大連の、元軍人さん。日本と少なくない因縁があるはずだった。突然現れた日本からの来客をどう思っていただろう。日本のことを色々聞かれた。今の天皇の名前ってなんだっけ、とか、日本の若者って政治に興味ないってホント?とか。あと犬好き?とか。わりとお茶目な感じの印象だった。

やがて何種類もの餃子と、親戚の農家から直接分けてもらったという豚と鶏の豪華な料理がテーブルいっぱいに並んだ。皆で中国の年越しの定番番組である「春節連歓晩会」を見ながら歓談した。ちなみにこの番組、瞬間最高視聴率97.8%と言うから凄まじい。聴覚障害者だという人々による千手観音をイメージした演舞がとても幻想的で印象に残った。

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11時を回り、そろそろ、ということでおいとました。部屋に帰ると、地上14階の窓からとんでもない光景が目に飛び込んできた。数キロ先まで、見渡す限り一面花火の海なのだ!まるで花火の花畑だ。花火大会であるようなあの花火が、街のいたるところから打ち上がっている。当然うちのマンションの真横の路地からも上がっており、花火の破片が窓にコツコツ当たる。爆竹の鳴りようも凄まじい。祝い方の、スケールが違う。日本の大きなお祭りでも数万発の花火を打ち上げるが、この夜打ちあがった花火の数は見渡す限りだけでも数十万発はあったんじゃないだろうか。市全体なら数百万発いったかな。とにかく凄かった。その騒動は夜中の2時頃まで続いた。初めて味わう中国の年越し。なかなか興奮した。

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