Log No. 344

April 2005

April 30, 2005

給料日

昨日は初給料日だった。給料日と行っても、貰うほうじゃなくて、渡すほう。自分への給料はまだ出せない。(必要なお金は使ってるけど、支出を可能な限り下げる生活。一ヶ月に純粋に自分のために使うお金は1000元以下。)

まだ試用期間であるということと、会社としていくらも稼げていないことから、渡せた額はとんでもなく少ないが、感謝の気持ちを込めて現金を手渡す。

わずかな資本金を食いつぶす毎日で、その資本金から給料を削りだしただけだけれど、一日も早く自らの力で会社に収益を入れたい。そんで、働いてくれる人たちに、彼らの同期と比べても高い給料を払えるようになりたい。そう強く感じた一日でした。

April 27, 2005

郵便届いた。

うちの郵便受け、あまりにぼろくて、しかも開かない鍵までかかってて使えるのかと疑問に思っていたら案の定使えなかったようだ。

ある日郵便屋さんがドアまでやってきて、直接手渡しで母からの葉書をくれた。「よく手紙くるの?」と聞かれたので、たぶん来る、と答えたら、10元で新しいポスト取り付けてあげると言われた。10元を渡すと郵便屋さんは帰って行った。30分ほどして、外に用事があったので出てみると、すでに新しい郵便受けが設置されていた。仕事速い。

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こんな感じに、使う世帯のポストだけ壁に取り付けられている。この緑のがうちの。中身を取り出すためにいちいち鍵を開錠しなければならないのがちょっと煩わしいな。けどこれで安心して友人達に住所を教えられます。ちなみにEMSならいずれにしてもドアまで持ってきてサインを求められるタイプなので大丈夫みたいです。

April 26, 2005

麻煩

独立するにあたり、就労証の情報を自ら作った会社の情報に変える手続きを進めていた。そのためには、大連に来た当初お世話になっていた居候先の会社の退職証明が必要だったのだが、ある事情により現在この会社はペーパーカンパニー状態になっていてその証明書を発行できない状況にあった。

なんとか事情を話しても、労働局は当然、証明書が無ければ書き換えはしない、とのこと。

書き換えをしなければモグリの就労者になってしまうので困った。

困ったので相談に日本総領事館に行ってみた。セキュリティチェックを通って窓口まで行くと、丁寧に対応される。あまり無いケースなのか、何度も状況を確認され、何十分も待った。すると、窓口の人が待合スペースにやってきて、応接室に通すと言う。なんか大げさなことになったら面倒だな、と思ったが何が起こってもおかしくないし、と考えて落ち着く。さらにセキュリティチェックを通され、首から大きな許可証をぶら下げさせられて応接室に案内された。出されたおいしい茉莉花茶を飲みながら待つこと十数分。領事の方がわざわざ出てきてくれて、再び事情を聞かれた。一通り話し終わると、「正攻法がダメだった場合は、裁判しかないですね」と一言。さすがにこれにはびっくりした。自分はlitigiousな発想(日本語でなんて言うんだろ)は嫌いだし、そもそもそんなに事を荒立てたくなかった。しばらくうーんと唸っていたが諦めて正攻法で攻めることに。正攻法とはつまり、とにかく退職の承認を得た、という体裁を整えること。

その後、なんとかペーパーカンパニー化した会社の「元」役員を捕まえて説得し、自作の退職承認書に判子を押してもらうことに成功した。体裁は整えたと言っても、正式な承認があったわけではないので、正攻法とは言えないかもしれない。正式な承認を得る前に、会社が霧散してしまっていたのだから仕方ないのだが。面倒ではあったけど、ようやくこれで名実共に完全に独立。とにかく裁判沙汰を避けれて本当によかった。

しかし判子一つのために、貴重な時間を二日も使ってしまった。価値を生まない労働は疲れます。

April 24, 2005

酒水

大連はお酒が安い。ビールは普通のレストランでも5元や10元。安い店の安いビールなら1元からだってある。日本で言う清酒に近い白酒も、数元からあり、10元もだせばそこそこのものが飲める。

だけど、大抵この2種類しか飲まないようで、普通の酒売り場には他の酒がほとんどない。ウィスキーなんて特別な洋酒コーナーにおいてあるだけで、シーバスリーガルの小さめのビンで300元もする。

P1000292.JPGでも今日近くのスーパーで、初めてブランデーを見つけた。しかも12.5元。笑えるくらい他の洋酒と値段が違ったので、興味本位で買ってみた。写真の左の瓶がそのブランデー「Louie Wann(煙台産フランス独資企業)」、右がついでに買った5元のワイン「野生紅。」 まずは野生紅から試飲。色がくすんでて一瞬ひるんだ。味は、たしかにワインのコーナーで買ったのだが・・・グレープジュースそのまま。瓶を見るとアルコール度数は4%。ほんとにジュースだ。ん、今よく瓶を良く見ると、ワインを意味する「紅酒」ではなく、「山葡萄酒」と書いてある。間違えた。まぁいいや。次こそはワインを買ってこよう。さて次はブランデー。こっちは見かけも香りもブランデーそのものだ。味も全然まずくないし、普通にいける。これなら無理して数百元のブランデー買わなくとも、こっちの安ブランデーを買いだな。

こんなに安ければ気軽に飲める。これでまた楽しみが一つ増えたな。

April 23, 2005

say hello to Xinghai Park

ちょっと遅れたけど引越しについて。

これまでは五一広場というところの近くに居候として住んでいたんだけど、これからの仕事場により近いところで独立して生活するために引っ越すことにしていた。友達に聞いてもらったり、街の賃貸情報(電信柱に貼ってあったりする)なんかを見て探していたのだがどうもこれといったものに出会えず、仲介業者を利用してみることにした。100元払うと気に入る物件が見つかるまで探してくれるらしい(1ヶ月間だけ)。

予算は、初めは1000元以下とか言っていたのだが、やがてそれが贅沢であることに気づき、800元以下で探した(それでも普通の同年代の人たちは同じような部屋を三人とか四人でルームシェアするのだから贅沢には変わりない)。やっぱりそれなりに便利なとこにあって、それなりに住み易そうなところというと中々見つからない。15,6件目にようやく、あ、ここなら、という物件に出会った。

中国のアパートは、普通のとこなら管理会社とかはなく、それぞれの部屋を別々の大家さんがそれぞれ所有していて、その大家さんから直接交渉して借りる。仲介所は大家さんを紹介してくれるわけだ。

P1000264.JPG星海公園のバス停のすぐ傍、仕事場までバスで一本、市中心地までもバスで一本の便利な場所だ。

P1000266.JPGこの郵便受けが果たして使えるのか、かなり心配(ここの住民達が使ってる形跡はない)。

P1000249.JPGP1000250.JPG玄関。

P1000260.JPG居間と前の住人が残していった家具。

P1000261.JPG地面はこのようにコンクリート。とにかくかなり汚れが激しかった。3回くらい濡らしたブラシで磨いてまだ汚れが残る。

P1000258.JPG今回の引越し作業、中国でできた朋友の絶大なる支援によって完遂できたのだが、途中同じ棟のおばあちゃん達も4人くらい来て掃除やら荷物運びを手伝ってくれた。会えばちょっと話す仲になれた。

P1000270.JPG汚れたコンクリートの地面はちょっと快適とはほど遠かったので、安い絨毯を買って敷いてみた。見違えるほど快適に。この部屋で月750元(約1万円)は納得かな。(850元から値切った価格。おばあちゃんたちに言わせるともっと安くいけたらしいけど)

P1000269.JPGキッチン。ここも磨いて見違えるほどの綺麗さに。コンロはマッチで火をつけるタイプ。この電子ジャーはカルフールで49元!!

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ちなみにこの3日で4回の停電と、30時間の断水があった。断水はトイレも使えなくなるのでしんどかった。停電だが、いわゆる「ブレーカーが落ちる」という現象と同じようなもので、うちの電気だけが止まる。ただ、ブレーカーが落ちる代わりにブレーカー部分の電線が焼き切れる、という安全装置。電気が止まるたびに針金のような電線を手作業で張り替えて繋げなければならない。これはめんどい・・・
大家さんいわく、パソコン三台と冷蔵庫と友人がプレゼントしてくれたヒーターが同時に接続されるような電力の使い方は想定外だそうだ。でも使いたい!とだだをこねたらブレーカー部分を新しくしてくれた。大家さんもめちゃくちゃいい人なんです。(二日に一回くらいなんかの問題で部屋に来てもらってる)

まぁいろいろ日本に比べてしまうと不便な部分もあるにはあるけど、思っていたよりもかなり快適に新生活がスタートしてしまった。引越してもう結構たつけど、すでに居心地いい。居心地いいけど、なるべく部屋にこもらないようにはしようと思う。

April 21, 2005

to yogurt or not to yogurt

2回目の食中毒にやられた。

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普段は寝てやりすごす体調不良も、大事な仕事があってなんとか早く治したかったので中国の病院デビュー。歩いていける距離にあってよかった大連医科大学付属病院。

採血されて、点滴を勧められるも、200元なんて大金持ち合わせていなかった。抗生物質(25元)だけ出してもらって帰る。お腹の激痛は翌日まで続いた。ちなみに保険とかどうなってたんだろう。

その日の朝に食べたカルフールで買ったヨーグルト、4つで1.6元って怪しいと思ったんだよね・・・

April 20, 2005

peace

最近問題になっている中国と日本の関係悪化や各地のデモに関する報道を受けて、多くの方々から心配のメールを頂いているので、この場でも無事を表明しておこうと思います。

大連ではまだ大規模な混乱は起こっておらず、日本人だからと厳しい目で見られることもまだ経験していません。この騒ぎの中でも、日本人留学生やその他の日本人と会ったときでさえ、この件が話題に上がらないくらい、何事もなく過ごしております。

大連は日本企業の進出が諸外国の中でも圧倒的に進んでいることや、日本語学習者も英語学習者に近い人口があることから、ほかの地に比べて日本に理解があったり同情的だったりする人が比較的多いのかもしれません。(皮肉をこめて「中国唯一の親日都市」なんて言われたりします)

一つ聞いたとすれば、先日、日本総領事館の大連出張事務所や多くの日本企業が入居する大連の森ビルで、200人程度のデモが行われたようです。ただそのときも、同じく200人程度の警官が動員されたとかで、大事には発展しなかったと聞いています。

大連ではまだ何も起こっていないからといって、油断はしきらずに、適度の緊張感を持って慎んだ行動を心がけたいと思っています。

今回の件で一番心配するのが、政府の間だけでなく、民間の個人個人が、互いの国民に対して憎しみを持つことです。

中国と日本、民間レベルではきっと仲良くしようと努力している人が大勢なのに、この事態は本当に悲しい。

たとえば今朝もある中国人が、僕が日本語学習教室に残した電話番号を見て連絡をくれて、友達になりたい、と言ってくれました。

早く両国の関係が改善されることを願います。

April 15, 2005

虫を食す。

中国人の友人に招かれ、見知らぬ大勢の中国人と食事に行く機会があった。中国焼肉。なんだかんだ言って、日本語も英語も完全に通じない集まりというのはそんなになかったので新鮮だった。

P1000263.JPG何が食べたい?と聞かれるも、これが食べたいと言えるほど中国の料理を知らないので、「あなたたちが食べるものを僕も頂きます」とにこやかに答える。すると出てきたのがコレ。なんだかうにょうにょと動いている。ぞっとする、を通り越して笑えてきた。聞くと蚕のサナギだそうだ。これを網で焼いて食べる(最悪の事態と想定していた踊り食いは避けられた)。網に乗せるとはじめはあばれる。そのうち焼けてくると、たまに破裂して黄色い汁が飛び散る。焼けると、中身から黒い筋のようなものを取り除いたら、そのまままるごと口の中に放り込み、中身を食べたら皮を吐き出す。おいしそうに食べていたが、この光景自体がもうなんだかしんどかった。これまた物凄くにこやかに勧められたので、これまでにない勇気を搾り出して食す。案外、食べられないほどの味ではなかった(吐き出すようなことにならなくてよかった)。が、とても苦くて、二個目からはやはり遠慮した。ウニとか好きな人は、好きになれるのかも。

その夜、他にも鳥の頭が4つ連なった串焼きや、ウサギ焼きなど日本人にはなじみの薄い食材が沢山ならび、なんだか本格的に中国っぽい食卓となった。

食に情熱を感じない僕としては、がんばって本場の料理に慣れ親しもうという気概は湧き上がってこないので、たいていは無難な中華でやり過ごしていきたいと思ってます・・

April 12, 2005

igosso

P1000246.JPG大連で自分が知っている店なんてまだまだ少ないけれど、その中でも自分が一番好きな店でちょっとしたパーティーがあった。

イタリアンレストランバーだがオーナーと店長は日本人。マスターは自分と同い年で、すでに経営をほぼ任されているという。飲みに行く時はこのマスターと話せるのが楽しみの一つ。普段からジャズが流れて間接照明がとても暖かい、感じの良い店だが、この日はライブパフォーマンスと大勢の来客とでいつもとはまた違う居心地の良さがあった。

P1000245.JPGパーティーには日本人客がやはり多かったのだが、それ以外にも欧米系の人々も沢山来ていた。気づくとイタリア人留学生のグループの輪の中に。日本人、韓国人、ドイツ人も混じって、ちょっとした国際交流サークルのようなノリになっていた。簡単な言葉は中国語で話し、ちょっと話が長くなると英語になり、込み入ってくるとイタリア人同士がイタリア語で英語が得意な人に説明して僕に通訳、という感じになる。イタリア人と中国語で会話する、というのもかなり新鮮で楽しかったが、やはりこういうときに、国際語として英語がやはり流通していることを実感するとともに、英語が話せてよかったと感じる。それと、アイルランド人の方と話していた時に、「アメリカに居たの?」と聞かれて、そうだと答えると、「アメリカ訛りがひどくても気にすることないよ、通じれば!」みたいに言われると、やはり今や世界中で話される英語にとってアメリカの英語も、いち方言に過ぎないことに改めて気づかされる。アメリカ英語を「英語」として教える日本の英語教育がますます心配になる。

仲良くなり始めていた店員さんが転勤になってしまうということで彼との別れを惜しみながらパーティーはお開きになり、僕はそのままイタリア人留学生たちに誘われて彼らが通う大連外国語学院(中国トップクラスの語学大学)の寮についていった。そこで彼らが淹れてくれたエスプレッソを飲みながら、夜遅くまで語り合った。これからも会えそうなので今後の交流の広がりが実に楽しみ。

April 07, 2005

一時帰国Highlights

三月から半月ほど日本へ一時帰国していました。

半月の間のハイライト。

■まずは卒業式があった。
塾生と呼ばれるのもこれが最後。
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戦友ポムチューの袴姿です。
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生憎の天気だったけれども袴姿な皆さん最高でした。
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■園遊会(卒業パーティー)があった。
豪華すぎる会。うちの大学は特に派手にやっているほうだとか。
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広い会場と数千人はいようかという来場者の中から仲間を探して歩く。
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テレビのインタビューを受けるポムチューとN岸。それを甲斐甲斐しくカメラに収める。
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最後は応援指導部によるステージに会場は大いに盛り上がって終了。
いつかまたこんなに大人数で肩を組んで「若き血」を歌う日が来るんだろうか。
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園遊会終了後は近くのホテルに同期の有志と流れ込む。夜明けと共に解散した。さらば学生時代。

■研究室の打ち上げがあった。
奥出研はいつでも「普通」ではいられない。今回の宴会は「熱海城天守閣貸切」
尊敬する、僕が知る「人生を最も楽しむ男ナンバー1」のkamadango氏がまたやってくれた。
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詳細は、ぽが姫の「おいっすぺ小史」に任せる。あときよっしぃのアルバムも。
ここの人たちホント楽しいから好きだ。

■空手のコーチをしていた女子高の子達に卒業祝いをしてもらった。
久々に小学生と女子高生の空手の稽古に参加した。休憩時間、小学3年生のそれはそれは可愛い少年達がやってきて曰く、「コーチコーチ、中国語でさ、『私の妻が浮気しています』ってどうやって言うのか教えて!!」 ・・・とってもとっても可愛い子達なのに。

その夜、同じく女子高コーチをやっている同期のI橋と、女子高の連中に焼肉に連れていかれる。最後にどーんとおごってやるかぁ、なんて思ってたら、「今日は女子高のおごりですから!」などと言う。といっても焼肉をおごらせるなんて16歳に、ましてや体育会の後輩にさせていいはずもなく、食い下がろうとしたら凄い勢いで睨まれる始末(この迫力を試合で出せといいたい)。大人しくご馳走になってしまった。「株で勝ったんです」なんてサラっとのたまうあたりもマセすぎている。
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が、卒業祝いの名前入りペンと色紙にはやられた。こういうのに弱いんだ。ホントに嬉しかったので色んな奴に見せて自慢してやった。ここでも自慢する。ほんとに、僕のお気に入りの後輩達は楽しくて才能あって可愛い奴らです。将来絶対有望です。

■スペシャルなジャズライブに招待してもらった。
Yokohama Motion Blueにて塩谷哲(p)、金子飛鳥(vln)、大儀見元(per)の変則trio。大学1年の頃静岡で見た自分史上最高の感動をくれたメンバーだ。しょっぱなから変則的で独特なアレンジを効かせてある「ノルウェイの森」で始まり、いきなり引き込まれる。お決まりの「Englishman in NY」も、どうしてこの人はこんなにも・・と心底不思議に思わせられる旋律で楽しませてくれた。ステージが短かったことだけが残念。いつかまた見に行く。

■理工学部一年生だった頃の友人と偶然繋がり再会した。
理工時代、般教でわずかにクラスがかぶった友人三人と、事業パートナーでもあるTの5人で昼食を食べた。なんでも、Tが「藤原賞」の受賞パーティーで、ふと僕の名前を聞いたらしく、その話をしていた人に声をかけたら、本当に僕の噂話だったらしく。それで意気投合したのか、早速昼食会がセットアップされて、再会となった。その人たちは僕と1年生の頃授業がいくつか一緒になったことがある人たちで、それ以来会っていない。よく覚えていてくれたと思う。またどこかで繋がると面白いな。
後列左から、ルーシー、K沢さん、K籐くん。
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■愛媛へ出張0泊3日。
経費節約のため、夜行バスで愛媛。初四国である。
夜を越えて、早朝の瀬戸内海を瀬戸大橋から。
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瀬戸大橋を過ぎた直後、このバスはETCにたいして減速せずに突っ込み急ブレーキ、激突。ほとんどの客にとってこれがいささか不愉快な目覚ましとなる。大事には至らなかったし、ちょっと面白かったけど。

スケジュールの合間を縫って道後温泉へ。趣ある外観に感動。この温泉、始まってから3000年の歴史があるというから驚きである。
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そして、なんといっても愛媛は食べ物が旨かった!うどんと海鮮を頂いたのだが、感動の嵐だった。絶対また行く。


とまぁ、こんな感じで楽しいことが沢山あった。おかげですっかり日本が名残惜しい。

帰連後の当面の楽しみは、知り合いの会社が運営するという日本語学習者向けサロンと、ゲーマーの旧友推奨の「マリオのピクロス」かな。

さて、これからが本番。働く。

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