Log No. 344

Journal

January 03, 2007

2006年ランキングs

去年もやった年間いろんなものランキングs。今年もやってみよう。

2005年のランキングはこちら

2006年に読んだ文芸小説ベスト3。
1.舞城王太郎著、「阿修羅ガール」
2.川島誠著、「800」
3.ウンベルト・エーコ著、「薔薇の名前」

今年最大の収穫は舞城ワールドに出会ったことか。リアルタイムコーヒー企画も、本当に興奮させてくれた。

2006年に読んだエンタメ小説ベスト3。
1.宮部みゆき著、「火車」
2.島本理生著、「ナラタージュ」
3.東野圭吾著、「白夜行」

今年は積極的にエンタメ小説を読んだ年だった。どれも評判の高いものを選んだので、かなり充実したセレクションとなった。3つを選ぶのが大変だったほど。全体的に見ると、ミステリーが多いのはなんでだろう。今まではミステリーというジャンルはあまり好きではなかったのだけど。でもよく書店で売り上げランキングで上位にあったり、書評で推されているものには、なぜかミステリーが多いんだよね。

2006年に読んだノン小説ベスト3。
1.H.ウィリアム・デトマー著、「ゴールドラット博士の論理思考プロセス」
2.スティーブン・コヴィー著、「七つの習慣・最優先事項」
3.渡邊奈々著、「チェンジ・メーカー」

実は1と2はいずれも読了していないんですが、受けたインパクトは大きい。もうちょっと読み込んで身に着けたい。3はちょっとした思い入れもあり、初心を思い起こさせてくれた一冊。

2006年に読んだマンガベスト3。
1.史村 翔、池上 遼一作、「サンクチュアリ」
2.該当作なし
3.該当作なし

サンクチュアリ熱すぎる。もう少し早くこの漫画に出合っていたらそっちの方面に感化されていてもおかしくなかった(笑
でも今年はほとんど漫画読まなかったのでランキング作成不可。

2006年に見た映画ベスト3。
1.SAYURI
2.該当作なし
3.該当作なし

ランキング作成不可。今年もほとんど見ていない。SAYURIは凄く良かった。

2006年に見たドラマベスト3。
1.該当作なし
2.該当作なし
3.該当作なし

24とフレンズ(シーズン6)しか見ていない。よってランキング作成不可。しかしフレンズにははまった。

2006年に聞いた曲ベスト3。
1.該当作なし
2.該当作なし
3.該当作なし

やばい。全然聴いてないや音楽。

2006年にみとれた女優ベスト3。
1.該当者なし
2.該当者なし
3.該当者なし

・・・

2006年によく巡回したBlogベスト3。
1.該当なし
2.該当なし
3.該当なし

俺2006年何やってたんだ?

なんかこのランキングを作成して凹みました・・・
2007年は、もっと仕事以外の活動にも精を出して、文化的に、精神的に豊かな生活を送りたいと思います・・・

October 30, 2006

集団面接会@ハイテクゾーン

週末、大連ハイテクゾーンの人材会社主催のIT人材集団面接会に出てきた。企業側の出展です。

新卒を中心に、若いIT人材が集まる集団面接会で、企業側は300元くらいの出展費を出すと、人材会社のほうでブースをセットアップしてくれる。(二人がけの机一つに、背後にA0くらいのサイズの会社紹介ポスター)

日本語能力2級相当のモノ、という募集条件だったので、大抵日本語で会話できる人は来ない。というわけで僕のアシスタントのシャオに土曜出勤してもらおうと思ったら、「資格の試験があって行けないので、344さん一人で行ってきてください!ハイこれ地図。」と言われて、一人で行ってきました。

場所はハイテクゾーンのLumingビル。一階の大スペースに、数千人の若者が集まっていた。僕はシャオに何度聞いても「紙とペンだけ持ってけば大丈夫ですから!」と言われていたので、紙とペンを片手にブースでボケーっと座っていた。すると徐々に人がブースにやって来る。会社紹介を眺めて、興味があれば履歴書を提出してそのままその場で面接、というスタイル。

3時間くらい座って、20数人と面接した。中国の面接はかなりフランクです。みんな基本的に私服で、スーツ姿の人はホントに稀。たまにジーンズとかジャージの人もいる。共通してるのは、みんな目がキラキラしている。漫画みたいに。

いろんな人がいて楽しかった。
人材A「寮は?社員食堂は?」
僕「無いっす」
人材A、はぁ?という顔をしてそのまま立ち去る。

僕「どんな仕事をしたいと思って今日この会場に来ましたか?」
人材B「商標の事務作業がしたいと思って!(ってうちの会社紹介に書いてある)」
僕「・・・今日はIT人材の面接大会だよね?」
人材B「えぇでも前からやりたかったんです。」

人材C「この仕事以外になんか無いんですか?例えば、僕は明るいので人とたくさん触れ合う仕事がしたいです!」
僕「うーん、うちは事務の会社だから、そういう人材の期待に応えられる環境を用意できる自信が無いなぁ」
人材C、しばらくブースの前で悩む。
人材C「じゃあ他になんか楽しそうな仕事は?」
僕「知財事務なんて今後益々必要とされる人材で楽しいじゃないですか!」
人材C「・・・・じゃあ仕事はいいです。その代わり社長さん、名刺ください。友達になりたいです」

オヤジA「オタクんとこに、応募させたい子がいるんだけど、会社に連れてっても良いかね!」
僕「まずは履歴書をお送りください。検討して連絡します」
オヤジA「そうか!いや凄くいい子なんだがね!じゃあ履歴書持って行くから、直接行っていいかい!いつならいい?!」
僕「じゃあまずはその履歴書をFAXでこの番号まで送っていただくというのはどうでしょう?!」
オヤジA「分かった!送る!友達の息子なんだがね、いい子なんだ。送ったら伺うから住所教えてくれ!ところでアンタなにジン?」
僕「ニホンジンです。住所は数馬広場です。それでは来社をお待ちしております。」


とまぁこんな感じにイロイロ。楽しかったけど一人で対応はやはり疲れる。言いたいことを言えない場面も多いし、今度こそは週末レイジーなシャオを連れて行く!

October 04, 2006

初めてクビを切った

今日、会社を始めて1年半にしてはじめて、従業員を解雇した。

一ヶ月前にすでに解雇を決断していたが、本人には熱意があったので「これから一ヶ月以内に成果が出せなかったら辞めてもらう」という話をした。そして今日がその約束の期日だった。

結果として、彼は要求を満たせるような内容の仕事が全然できなかったので、約束どおり解雇を決定した。採用の目的を果たせない人材、それどころか周りの業務を妨害するほどのミス率を一人で叩き出すほどの人間を、継続して抱えていく余裕はうちの様な弱小ベンチャーには無いのです。

この1週間ずっとそのことが頭にあって、あぁとうとう言わないといけないな、と嫌な気分で面談に臨んだ。

その彼は、最初は自分ができなかった理由を色々と述べていたが、あるタイミングからぱったりと弁明をやめ、凄い目つきで給料の話、保険の話、交通費の話、それらと絡めて法律だ弁護士だ裁判所だといろいろと言い始めた。こちらは完全に法律に則ってことを運んでいたのでまったくその点は問題にならなかったが、そうとみるや今度はその他の社員による陰謀で力が出せなかった、とか、日本企業は出る杭が打たれる、とか、この会社はホントにどうしもなく酷いところだから、誰を採用しても中をしばらくみたら誰もが辞めたくなるだろう、とか喚き始めた。途中、自分の資料を持って出て行きますと作業スペースに戻ろうとしたが、こういう豹変もあろうかと彼を会議室に呼んだ時点で彼のPCのパスワードを変えさせてあった。

その後もしばらく全社員は三好さんを騙しているんですよとか言いながら中国社会についてのよくある暗い企業の裏話を説教していた。気が済むまで話させていたら、しまいに「三好さんだけは信頼できます」とかおだてはじめて、最後はとても塩らしくなっていった。一生懸命やっているスタッフを侮辱されて怒りで文字通り震えていたが、別れ際は会社の印象を決定づける大切な瞬間、堪えて笑顔で握手して送り出した。彼が見えなくまるまで見送ろうとしてたら、30メートルほど去っていってから振り返って走って戻ってきて「先月交通費が30元少なかったのでちゃんと振り込んでおいてください」とだけ言ってまた去っていった。

解雇する前は、せっかく雇って、これまで一緒に楽しく仕事をやってきた仲間を、合理性の名の下に切らなくてはならないことで嫌な気分だった。解雇した後は、その人材の豹変っぷりと、その人材がそんなに暗い思いを溜め込んでいたことに気づけていなかったことに本当に暗い気持ちになった。

会社は、社員の生活を守るために頑張らなくてはいけない。今日彼と別れたことで、残った社員の仕事環境と生活がより堅実なものとなったと考えよう。彼が言っていたように本当に酷いところで誰もが辞めたいと、そんな風に思われる余地がないような、そんな会社にして行こう。

あーこんな経験ができて僕は実にラッキーです。

August 06, 2006

閉じ込められた

部屋に、閉じ込められました。現在午前2時40分。

国際ビール祭り行って、たにひろばの部屋でかまいたち2やって帰ってきて、歯磨いて寝るぞーっと思って寝室に入ってドアを閉じたら、いつもとは違う「カチ」っていう音がしたかと思うと、もうそのドアは開かなくなっていた。

ドアノブをひねっても、何も起こらない。ドアは、開かない。

ドアノブを捻ると出たりひっこんだりする突起あるでしょ、あれが、全くドアノブと連動しなくなってる。しっかりドアの枠に食い込んだまま、ドアノブを捻っても空しく空回り。

さて、どうしよう。ロックドイン、リアルタイム進行中です。

寝室内にはドライバーとかなかったと思うし、どうやってこのドアノブをなんとかしようか。

雨漏りや隙間風のあるボロいアパートですが、こんなことは初めてだ。

今は凄く眠いのでとりあえず今日はこのまま寝て、明日いろいろ頑張ってみる。起きたらまずドアノブの構造をネットで調べてみよう。


あー腹減ってきたな・・・空腹で気力無くなる前になんとかしなくては。

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July 22, 2006

偉大なる企業戦士

今日親父が定年を迎えた!定年ってことは、60歳なわけで、60歳ってことは還暦なわけで、還暦ってことは暦が巡ったわけだから当然年男なわけで、ついでに言うと誕生日なわけで。すごい、めでたい。

勤続36年。自分は庭いじりが好きな温厚な父の姿以外ほとんど知らないけど、父の送別会ラッシュの話を母から聞いているとなんだか会社でも凄く人望の厚い人だったようで驚く。A1サイズの寄せ書きをもらったり、高級ワイン入りワインセラーをプレゼントされたり、翌月まで送別会の予定がつまってたり。別に意外とは思わないけど、実際に自分の父が人から慕われているというのが、なんだかそうであったらいいなという願望が、現実であった(らしい)という意味で。

物心ついた時にはすでに父親の勤め先=凄いところだと思っていた。いつも本当に誇らしげに話すから。誰もが知ってる世界のエンジンメーカー。幼稚園の頃から同じ会社に勤める父を持つ友達と、その会社に入るだの入らないだのという話をしていたんだから今考えると笑える。世の中にそこ以外の会社があるということすら分かっていなかっただろうに。でもその頃から今に至るまで、実際にその会社はとってもカッコいいと思ってるし、今でも何かと気になる会社だ。製品も業績も創業者から受け継がれてるというスピリットも。テレビCMがいつもいけてないのが玉に瑕なんだが。

親父は中学の頃にはもうその会社に就職することを夢見ていて、そのためにその会社へ就職した人が一番多かったという理由で大学を選び、一度就職試験で落ちて、親に頭を下げて自主留年し、翌年の試験でリベンジして入社を果たしたそうだ。

こんな話を子供の頃から聞かされていたからか、会社とはこういう思いで入るものだと、実際に自分が就職活動をするような歳になるまで何の疑いもなく思っていた。入りたい会社に入る、目指したい道を目指す。僕が起業という道を選択したことに、この父の就活エピソードは深く影響している。だって、こんな風に入りたいと思う会社なんてなかったから、自分のやりたいことをやってみようと思うことに抵抗は無かった。

父は庭いじりがかなり好きだ。今実家の庭には、キュウリ、トマト、ニラ等の野菜の他に、レモン、梨、さくらんぼ、ビワ、ブドウ、ザクロ、カリンなどの果物が生る。小さいけど結構楽しい庭。しばらくは、庭や熱帯魚やオーディオと言った趣味と、孫との触れ合いをのんびり楽しみながら悠々自適な生活を送るみたい。今までほとんど休みなく働いて来てくれたおかげで、僕はこうやって好きなことを目指すっていう贅沢な道を選ぶことができてるのでゆっくり休んでくれと言いたいところだけど、とりあえず実家に帰るたびに草むしり手伝わされてたらかなわないので、さっさと次の仕事見つけろと言うだけ言っておこうと思う。

June 06, 2006

一時帰国

前回の帰国から1ヶ月しか経ってないけど、また東京へ出張します。6/9~6/26の予定。

April 04, 2006

北朝鮮を「見て」きた

週末を利用して、遼寧省丹東市へ小旅行に行ってきた。丹東は北朝鮮と国境を接する辺境の街。北朝鮮を一目見られれば、という目的の旅というわけです。北朝鮮にはそのうち行ってみようと思っているんだけど、大連から近くてわりと気軽に行けるところだったので、とりあえず行ってみました。

メンバーは僕の他に4人の日本人友達(たにひろば、カール、ヒメげ、ゆめこ)。うち一人は、参加者の一人によるマヌケな集合時間の伝達ミスでバスに乗り遅れたので数時間遅れて別のバスで現地合流。そういう僕も出発時間1分過ぎにバス停について危うく置いていかれるところだったのだけど。丹東までは高速バス(75元)で3時間半。バスの中ではビデオ撮影して遊んだり、IQサプリの本で遊んだり、皆が寝てしまってからは読書したり。この時間だけで舞城王太郎の「世界は密室でできている。」を読了。

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到着してからは、5人目が到着するまで丹東の街をぶらぶら歩く。丹東の町並みは大連よりも落ち着いていて、どこか長閑な感じ。大連と違って自転車に乗っている人も多い。そのうちただ歩くのにも飽きてきて、じゃんけんで勝った人が歩く方角を決め、負けた人が全員分の荷物を持つことに。リーダー格のお兄さんがDVDカメラ片手に本当におもしろくて、皆終始笑いっぱなし。

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気がつくと川辺についていて、道を行く婆さんに聞けば対岸が北朝鮮だという。川の向こう、川幅は200メートルほどだっただろうか、そこにあの北朝鮮があるということに不思議な感慨を覚えた。しばらく川沿いを(4人分の荷物と共に)歩いたりして、5人目と合流。合流後は北朝鮮側の岸へと接近する遊覧船に乗り込んだ。遊覧船は戦時中にアメリカ空軍によって落とされたという橋の下をくぐり、北朝鮮の岸辺約20メートルの距離まで接近した。見るだけ、なんてたいしたことないと思っていたが、思いのほか胸が鳴った。途中、岸辺にいた女の子が手を振ってくれた。それにぶんぶん手を振って応えると、連れ添っていた母親(祖母?)と思われる女性も笑ってくれた。

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岸には多くの船が止まっていて、丹東側と違い船籍を示す文字は全てハングル文字。荷降ろしのような作業をしている集団もいた。人々の視線がこちらに集まる。遊覧船で暢気に見物にやってくる外国人の一行は、それは文字通り「見物」以外の何ものでもないのだから、彼らにとってはひどく不愉快な存在だろう。分かってはいるけども、船上の青年の一人がこちらに向かって何か石のようなモノを投げた時には胸が痛んだ。

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そのときのおみやげの北朝鮮の紙幣。100ウォン紙幣は若き日の金日成(キムイルソンとタイプしたら一発で変換された!)。貨幣価値は物価を基準に推定すると大体1ウォン1円くらいらしい。だけども、それはおそらく外国人専用レートで、実際の価値は下記リンクにあるようにそれよりずっと低いようだけど。(参考:私設 朝鮮民主主義人民共和国研究室)切手も買った。普通の切手は、西洋の名画や有名な景色なんかが多いようだったけど、記念切手の中には小泉首相との初めての会談の写真など面白いモノもあった。夕食は北朝鮮料理店で犬鍋やプルコギを食す。ヒメげが朝鮮語で店員とやり取りしてて凄かった。僕は「キムチジュセヨ!」と「マシソヨ〜」だけ。夜は川の近くの安ホテルに泊まる。エコノミーの部屋で一人35元。なかなか綺麗で悪くなかった。ドギーバッグに包んでもらった残りものと、その辺のデリーで買ったお酒で酒盛りを始めたはいいが、いつものことながら僕は1時間程度でダウン。残りの人々は夜明け近くまで飲んでいた。

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翌日は快晴。丹東まで伸びているという万里の頂上の東端に向かう。当然ここでもじゃんけんと荷物持ち。そして当然のように負ける。この階段を、この坂を、5人分の荷物をからって越えましたよ・・・女性陣は荷物を押し付けられてはかなわんと踏んだか、さっさと先にいってしまわれた。人間の薄情さを学んだ日。男の子達は一緒に歩いてってくれたんだけどね。とにかく風の気持ちいい日でよかった。

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そして丹東駅から、帰りのバスへ。写真は毛沢東さん@丹東駅。帰りは、高速バスが売り切れていたので、20元しか違わないのに時間は倍かかる鈍行バスで。しかも席も狭くてゆれる。どういうわけか丹東から大連までの道のりをほぼ全て下の道で行く。まともに舗装されていない区間も多く、とにかく揺れる。市街地を出て、最後に大連開発区に入るまで、途中信号は1個か2個しかなかったのに6時間半かかった。大連到着後は、旅行メンバープラス大連に居残りの友人も4人合流してみんなで火鍋。カールの帰国送別会をした。

最初から最後まで笑いっぱなしの旅行。一人旅も一人旅のよさがあるけど、やっぱり旅は大勢のほうが楽しいね。たにひろば氏、旅行記DVD、楽しみにしております。

March 21, 2006

crazy weekends

大連に来て初めて結婚式に招待される。日本人の友人が会社の同僚の中国人の方と、この度めでたく結婚されたのだ。呼ばれたはいいのだけど、中国のしきたりがよくわかっておらず、何を持参したものかと周りの日本人や中国人に聞きまくる。やはり中国にもご祝儀の習慣があったようだけど、その相場がわからず困った。とりあえず500元を包んでみた。会はスイスホテルという大連の五つ星ホテルであったんだけど、会社の同僚を集めたアットホームなもので、途中日本からわざわざ来ていた新婦の高校時代の友人の方々によるピンクレディーの「ペッパー警部」のパフォーマンス等もあり、日本の結婚式のがちがちの段取りに比べるとかなりぐだぐだな感じではあったけども、会は終始笑いに満ちた温かいものだったように思う。

夕方結婚式を抜けて、大連の中小企業の有志で構成される「異業種交流会」の勉強会&懇親会に出席する。ここでは、日本人の会計士の方が毎回テーマを決めてレジュメを見ながら講義形式で色々な事を教えてくれる。今回の講義は「大連市の法人税について」だったのでかなり興味があった。以下覚書。
・減価償却の償却年数は会計法と税法で扱いが違う。会計法では自由に償却年数を設定できるようになり、利益の出る年には償却年数を縮めたりして利益の圧縮を図り節税ができるが、税法では依然として5,10,15年の規定の年数で償却しなければならない。
・2000元以下、耐久1年以上の場合、「低価格消耗品」という扱いになり、購入の当月に50%損金計上できる。
・交際費は、服務の提供を行う業者で年間総業務収入が500万元以下の場合、総業務収入の1%まで計上可能。
・欠損金の繰越控除は、過去5年間にまで遡り所得を補填することができる。(日本は3年間)

夜は男友達と3人でスタバでコーヒーを飲み、夜中に開発区へ友人主催のライヴの様子を見に行く。深夜料金なのでかなりのタクシー代になるかと思ったけど、相乗りタクシーを利用して開発区へ(普通に行くと7,80元のところ35元で済んだ)。小さなバーに100人くらいの人、主に日本人、が集まり、場はかなり盛り上がっていた。大連は狭いから、みんながみんな大体顔見知りだからだろう。僕は開発区に知り合いは少なく、知らない人ばかりだったのであまり盛り上がれなかったのが少し残念。ただ、ライブパフォーマンスは、大連でたまたま知り合った社会人バンドとしてはかなり良かった。greendayの「basket case」、「はじめてのチュウ」やプレスリーの「can't help falling in love」のパンクバージョン(ハイスタのバージョンかな?)、sex pistolsの「anarchy in the uk」など、パンクの懐メロライヴという感じ。ライヴというか、どこか学園祭のコンサートや、中高生の頃に地元の知り合いを集めて行っていたような内輪ライブという趣きを感じて懐かしくなった。途中、カンフーエンターテイナーのジャッキーさんのパフォーマンスが見られたのもよかった。短い演武だったけどもカッコよかったな。

翌日は開発区のナノテク企業で働くフランス人の友人とラーメンを食べに行く。同僚の出張者、同じくフランス人、も合流して3人でズーズーとラーメンを啜る。なかなか好評だった博多ラーメン味の蔵。フランス人から見る各国の人の特徴とか聞かせてもらって面白かった。真面目な経済談議では、興味深いことに彼らは日本こそが一番中国ビジネスを成功させる可能性があると話していた。どこまで本気だったのかは分からないけどもなかなか新鮮な話をいくつも聞けたのは収穫。

夜はまた近所の友人の部屋でビールを一杯飲んで帰宅。そういえばこの週末はあまり本を読む時間が取れなかったので、今週はちょっと平日頑張って読み進めよう。

February 06, 2006

電子レンジ

micro.JPG電子レンジを買いました。大切に使います。

February 03, 2006

マンガバトン from おねえちゃん。

なぜか姉貴からマンガバトンが来た。僕が読んできたマンガの殆どは姉貴の本棚のマンガだというのになにを今更・・・という気がしないでもないけど、あえて真面目に答えてみる。

  1. Total volume of comic on my Bookshelf(本棚に入ってる漫画 単行本の冊数)

今はゼロ。学生時代は9冊。最終兵器彼女とスワロウテイル。スワロウテイルは誰かに借りていた気がする。うちの家庭では、普段はマンガを揃えるのは姉貴だったんだけど、最終兵器彼女、これ、何気に自分で自分のために買った唯一のマンガ。なのに、買った直後姉貴の家遊びに行ったら姉貴も揃えてた。

姉貴が揃えた、実家にあるマンガも入れると、500冊くらい、と姉貴が言っている。(もっとあるような気がするんだけど・・)

  2.  Comic thought to be interesting now(今一番面白い漫画 )

20世紀少年、ジパング、ベルセルク! 
ベルセルクは今と言わずずっと面白い。高校の時に、voriに「日本で最高のマンガ」と勧められて読んで、以来そのとおりだと思っている。20世紀少年はこれまでこれを手にとってこなかったことが損としか思えないほどの傑作。作者の構成力が凄すぎる。ジパングも比較的最近始まった連載だけども、今後を一番期待しているのはこれ。戦国自衛隊の近代版だけど、そこからのストーリーの展開が上手すぎる。深いテーマも抱えていて、一冊読むごとにため息が出る、完結すれば傑作中の傑作となるでしょう。

  3.  The last comic I bought (最後に買った漫画 )

最終兵器彼女7巻。賭けに勝って買ってもらったものを入れると、修羅の刻10巻。

  4.  Five comic I read to a lot, or that mean a lot to me (よく読む、または特別な思い入れのある5つの漫画 )

1.ドラゴンボール(鳥山明)
小学1年の頃、親と本屋に行って、普段モノをあまりねだった記憶はないんだけど、この時どうしてもマンガを一冊買って欲しくて、なぜかドラゴンボール13巻をおもむろに手にとって買ってもらった(悟空対初代ピッコロ大魔王が戦う場面)。そのちょっと後、道端に落ちていたジャンプを拾って、ドラゴンボールのページをめくってみたら、なぜかみんな揃ってやられてて悟空とピッコロとクリリンが一緒になってなんかでかいヒゲと戦っているという異様なシーンをやっていた(ホントは息子の悟飯達がナッパと戦っているシーンだったことが後に分かる)。これがマンガ版ドラゴンボールとの出会い。(アニメはもっと前から見ていた)通学路を歩いている間元気玉が出ないかエネルギーをためてみた、とかは誰でもやったことあるよね。高校を卒業してから、一部の友達と「ドラゴンボールクイズ」なる遊びに熱中したり。僕と同年代の男の子はみんなフリーザ第一形態の戦闘力やポルンガを呼び出すナメック語の呪文とかは常識として知っているものだと思っていたんだけど、どうやらそうでもなかったみたいってことを最近になって知る。
思い入れありすぎて文章が長くなりすぎた(笑

2.がんばれ元気(小山ゆう)
我が家に最初からあった作品。親父が以前から揃えていたマンガで、物心ついたらすでに本棚にあった。姉貴が自分でマンガを買ったりするようになるまでは、うちにあるマンガといえばこれとかオバQで、何度全部読み通したか知れない。今思えばボクシングで必殺技なんてありえないが、渋い人間ドラマで、試合以外のシーンも印象的なものばかり。話も今のマンガのようにだらだらと続かず綺麗にまとまっているし、きっと今読んでも本当に面白い、名作だと思います。

3.修羅の門、修羅の刻(川原正敏)
僕にとって格闘マンガの決定版。陸奥圓明流は実在するんです!!修羅の門は、ただただその熱さに涙がこみ上げてきてしまう。主人公根暗なのに。無空波とか四門が出たらまず泣く。修羅の刻も涙なくしては読めない、感動の大作シリーズ。あれで大河ドラマつくって欲しいよ。(歴史ファンから猛反発受けることを必至だけど笑) みんなも布団を干すときは虎砲の練習をしよう。

4.俺たちのフィールド(村枝賢一)
サッカーやらない作者が書いたサッカーマンガ。笑いあり涙あり熱血あり、だけど少年漫画にしては妙にすっきりというかなんというか、とにかくそれまで読んだ少年マンガとはちょっと違うと思ってたんです。名台詞満載、これも泣きまくりの感動作だったなぁ。あと、サッカーマンガとしてリアルかどうかは僕には分からないけど、これ読んでサッカー観戦が面白くなったのは確かです。

5.D−ASH(作:北沢未也+画:秋重学)
全5巻と短いけど本当にイイ。珍しい陸上マンガです(ホントに珍しいかは分からないけど、僕はほかに小山ゆうの「スプリンター」しか知らないや)。12年生の頃、ケンユーの部屋で読んで、かなり感動した。ウェブ検索でもあまりひっかからない、アマゾンに在庫もない、かなりマイナー作のようだけど、僕の中ではかなりの名作です。「マンガ」を書くのが本当に上手い人で、マンガならではの躍動感や心の動きの演出が素晴らしい。小学校の頃に読んだ少女漫画、「この手をはなさない(小花美穂)」以来、こういう子供の頃の初恋の人と大人になって再会系の話に弱いんだよな・・・

次点として、3x3eyes、ジョジョの奇妙な冒険、北斗の拳、富樫作品s、カイジ、ダイの大冒険、ドラクエ4コママンガ、Clamp作品s、ここはグリーンウッド、巨人の星、ゴッドサイダー、、、、きりがないですね・・読んだマンガにはどれも思い入れあります。

  5.  Five people to whom I'm passing the baton (バトン を渡す5名)

バトンとかやりそうにないけど・・・
kosukeyaz
shunrin
まぁスルー可です。

January 11, 2006

趣味オブザイヤー2006

一昨年から「趣味オブザイヤー」なるものを実践しようとしている。

以下おととしのエントリーから抜粋。

好きで自然とやっていることではなくて、興味あるけど手をつけていない、やってみたいけどきっかけが欲しい、どんなもんか分からないけれど、やってみれば勉強になるかも、と言った感じの事柄を自分の趣味と決めてしまって、一年間続け、そうして無駄な知識でもスキルでも体験でも、何か身につけてみようという試み。気に入れば1年という期間にこだわらずに自分の本当の趣味にしてしまえばいい。とりあえず目標は1年間を通して続けること。

一昨年は「美術鑑賞」
去年は、今ごろの時期に中国に引越してきて、実はこれと言って決めるのを忘れていたのだけど、中国語会話の基本をしっかり身に付けたので、中国語だった、ということにする。

で、今年の趣味オブザイヤーは、「韓国語会話」にすることにした。

英語と中国語が話せたら世界の半分の人と話せるという。半分といわず、中国語圏以外のところは大体なんとなく英語通じそうな気がする(実際はそんなことないだろうけど)。
で、中国や日本でも、街中でよく見かけるわりに、検討もつかないくらいさっぱりなのが、ハングル文字。

これを分かるようになって、韓国人のお友達も作って、韓国映画ももっと分かるようになれたら、亜細亜は結構いけるんじゃないか?という目論見。

最初に選んだき教材は、「小倉紀蔵のパズルで韓国語

他に良い教材があったら紹介してください。

とりあえず今月中にハングル文字を読めるようにする!

January 10, 2006

2005年ランキングs

2005年のいろんなものをランキング。guyguyがやっていて自分もやってみたくなった。

2005年に読んだ文芸小説ベスト3。
1.ミラン・クンデラ著、「存在の耐えられない軽さ」
2.宮本輝著、「泥の河」
3.村上春樹著、「ノルウェイの森」

何と言ってもクンデラ。衝撃でした。2位の泥の河以下だったとは個人的には思っていないのだが既読だったので3位にしたのがノルウェイの森。通算四度目。良いというのもあるけど、中国にきたばっかのとき手元に日本語の活字があれしかなかった。持ってきた理由は、中国で村上春樹の本が売ってるのを知っていたので、対比させて中国語学習に使おうと思っていた。

2005年に読んだエンタメ小説ベスト3。
1.浅田次郎著、「蒼穹の昴」
2.伊坂孝太郎著、「死神の精度」
3.高村薫著、「李歐」

「死神の精度」は短編集で、特に最後の一編が素晴らしかった。そもそもエンタメ小説は滅多に読まないほうだったんだけど今年はなんだか読みたい気分だった。

2005年に読んだノン小説ベスト3。
1.半藤一利著、「昭和史1926-1945」
2.スティーブン・コヴィー著、「七つの習慣」
3.エリヤフ・ゴールドラット著、「ザ・ゴール2」

「昭和史」は詳細な資料を元に当時の最高幹部たちが意思決定を下していく様子を戦争に関わる事件を中心に講義形式で紹介している、昭和史と題打ってる割に戦争関連の話にかなり偏ってると思ったけど(時代を作るのは戦争ばかりではあるまい)とっても偉い本。最後の結論は、要は当時の日本は馬鹿ばっかだった、とばっさり。この本でなくても良いけど、これから海外で仕事しようと思う人は昭和史はどっかでしっかり勉強しておいて損は無いと思います。「七つの習慣」はビジネス書のバイブル的存在ですね。何度でも読み返したい一冊。反応的にならずに、選択的、主体的に。「ザ・ゴール2」はビジネス書としては異色の小説スタイル。しかしこれが読ませる。書いてるのは学者なんだけどもビジネスの難しさと面白さをここまで描けるのが素直に凄いと思える。次点として挙げる「大連は燃えている」は自分の活動拠点のビジネス優位性を理解するのに(人に説明するのに)役立った。

2005年に読んだマンガベスト3。
1.浦沢直樹作、「20世紀少年1〜20」
2.かわぐちかいじ作、「ジパング1〜16」

一位と二位はほぼ同列。20世紀少年の緻密な構成にはホントに舌を巻くばかり。こんな凄いマンガには暫く出会ってなかった。ジパングも、太平洋戦争で戦う海上自衛隊とイージス艦の活躍が熱いんだけど、それだけではなく歴史の「もし」に答えていくところが挑戦的で最高に面白い。続きが一番気になるマンガの一つ。今年は大連にいたので好きなマンガを自由に読むことができなかった。絶対数が少ないのでランクインはこの2作だけ。

2005年に見た映画ベスト3。
ランキング作成不可。

今年映画全然みてねー・・・年間15本も見てないかも。これでは趣味映画鑑賞とは言えない。「雲の向こう、約束の場所」も確かに良かったが、去年のランキングなら5位内には入らない。

2005年に見たアニメベスト3。
1.Production I.Gの「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」
2.Gonzoの「巌窟王」
3.Production I.Gの「攻殻機動隊 SAC 2nd GIG」

とにかく攻殻にはまった。笑い男かっこよい。タチコマかわいい。「巌窟王」は原作が「世界一面白い小説」と呼ばれてるらしいから面白くて当然かもしれないけど、その映像美にもやられました。高クオリティジャパニメーション万歳。

2005年に見たドラマベスト3。
1.池袋ウェストゲートパーク(古い)
2.スローダンス
3.流星花園

年間通して5つしか見てないけど。ちなみに他の二つは電車男とカバチタレ(古い)。IWGPは4回くらい通して見た&なんでもないときに流したりしていた。スローダンスはとにかく深津絵里。流星花園は台湾のドラマで原作は少女漫画の「花より男子。」

2005年に聞いた曲ベスト3。
1.周傑倫の「七里香」
2.平沢進の「賢者のプロペラ」
3.菅野よう子作曲、Origa歌の「inner universe」

基準は良かったか、というか思いで深い、というか。去年は中華ポップスを良く聞いた。「inner universe」は攻殻機動隊SACのOPテーマ曲。ロシア語のアップビートが耳に心地よい。平沢進はタイ音楽の影響を受けたというテクノ系のミュージシャン。テクノはこの人の作品しか聞いたことないが、詩と共に独特の世界を築き上げていて実に素晴らしい。去年はジャズの新しい人にあまり出会わなかったな。

2005年にみとれた女優ベスト3。
1.深津絵里(スローダンス、カバチタレ)
2.伊東美咲(電車男〕
3.Natalie Portman(スターウォーズエピソード1,2,3)

これはもうあんまり説明はいらないかな。

2005年によく巡回したBlogベスト3。
1.goriさんのIrregular expression
2.kosukeyazさんの遅延表明書はパピエ・コレ
3.きっこさんのきっこのブログ

「Irregular expression」は自民党万歳の政治系ブログ。かなり偏ってるけど情報収集力も凄いしメディア等社会悪に対するツッコミも非常によくできてるので見てる。コメントの毎度の盛り上がりも面白い。「遅延表明書はパピエ・コレ」は某根暗医学生が綴る、絵、詩、写真、エッセイ等からなるmiscellaneousな内容の雑記ブログ。エッセイは辛辣で強烈なエネルギーに満ちていてかなり読み応えがある。読みすぎると鬱になるので注意。「きっこのブログ」はどこまでホントかわからないがいわゆるギョーカイの裏話をやたら持ってきては暴露するなんだか凄い内容のブログ。ギャグは寒い。

見返してみると、全体的にランキングになるほど多くの物事に触れてこなかったのが分かり寂しくなる。2006はもっといろんな物事に触れていこうっと。

January 04, 2006

滞在日程変更

日本での滞在日程が変更に。

1/9に帰ることにしました。

December 31, 2005

スーパーミラクル忘年会

恒例で僕にとって年間最大のイベントでもあるkosukeyaz主催の「スーパーミラクル忘年会」に、今年は参加!2年ぶりだか3年ぶり。

景品を持っていくのを忘れたので東京から一旦埼玉の実家に戻り川崎へ。2時間近く遅れての参加になったけど、最初の種目に間に合うことができた。集まったのは30人近い高校の同期達(+4,5人のお友達)。凄く久しぶりの奴もいるのに全くそんな感じがしない。

今年の種目
・ドッヂボール4セット
・リレー競争
・ジェスチャーゲーム
・わさび入り寿司食べた人当てゲーム
・筆記テスト
・ビンゴ
・クイズ(なぞなぞ、あるなしクイズ等)

以上の種目で競い、それぞれの勝者にポイントが加算されて総合優勝者に景品が出る、という趣向。
夜中の4時くらいかに全ての種目が終了。その後も推理ゲームや集団催眠ゲームなんかで遊ぶ。途中翌日仕事があるやつとか帰ったりしたけど、それでも15人以上残りわずか10数畳の居間に雑魚寝。翌日も昼までそのほとんどが残り、一緒に昼食を食べに(そこでもクイズゲーム)。その後もマリオカートをみんなでやって、いい時間になったところで次の約束のために帰る。

解散がホント寂しかったけど、ホントにホントにホントに楽しかった!kosukeyaz&参加したみんなありがとう!また来年も必ずやりましょう。

覚書:写真とかの詳細はまた後日必ずアップ!

December 25, 2005

到着!

帰国しました。滞在スケジュールは少し延長して14日か15日まで。

滞在中のメアドは 344hiro.temp122505あっとまーくezweb.ne.jp です。番号は以前と同じです。連絡下さる方はよろしく。

食べ物が美味い・・・(涙

December 21, 2005

C.E.O Link

最近リアルライフでもmixiの名前をよく聞くようになった。もちろん大連の地でである。

2年前くらいにgoogleの「orkut」、「gree」、「mixi」と続けざまに流行り始めて、一応その頃からどれも参加はしていたんだけど、あまり活用はしていなかった。今年になってようやくまともにmixiを使いこなし始めてみて、ちゃんとやってみると結構便利です。greeはインターフェースデザインが良くないので放置してたら、いつの間にかしっかり会員数も大きくmixiに離されていたし、orkutはやはり英語圏向けのサービスという感じで日本ではあまり流行らない感は確かにあった。女性にも使い易そうなmixiは、勝つべくして勝ったというところでしょうか。orkutの場合は世界共通サービスなので、オハイオ在住時代のアメリカ人クラスメイトなんかも見つけられて楽しかったと言えば楽しかったけど。

ceolink.jpgで、最近社会での認知度が高まったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)ですが、今回新たにまた参加してみた。「C.E.O Link」という、ムーブメント社が主催している、代表取締役限定のSNS。「経営者の友人には経営者が最もふさわしい」がコンセプトだそうです。まだまだ会員数が少ないのであまり盛り上がっていませんが、確かにこういうのあったら便利だなと思っていました。

代表取締役の方は是非どんどん参加しましょう。興味があれば、招待状を送らせて頂きます。

December 19, 2005

政府に始末書

もうすぐ大連に来て一年。来月ビザが切れるので、更新手続きをした。しかしそこで、自分が必要な手続きを満たしていなかったことが発覚。大連在住の外国人は、引越しをしたらその24時間以内に公安に届けでないといけないらしいが、その届出がされてなかったらしい。これには深いわけがあるのですが、とにかく四月に引越した際にこの届出はなされていなくて、入境管理局の人にかなり怒られる。これを公安に届け出て、政府にある資料と、僕の現住所が一致しないとビザの更新はできないそうなので、公安に行き、いまさらながら届けを出しに行く。すると、公安でもまたこっぴどく叱られた。大層な罰金が発生するらしく、恐る恐るいくらでしょう・・・と聞くと、「態度による」らしかった。顛末書というか始末書というか、とにかく公式に謝れ、と。そう言われたらこちらは法律を違反しているのだし、ありったけの誠意を見せるしかない。日本語でびっしりと遺憾の意と事の顛末を記し、今後の対策と併せてこういうことなんで、どうか寛大な処置を、とお願いしておいた。誠意が通じたのか、よくあることなのか、とにかく怒られた時の剣幕からすると随分あっさりと罰金は免除されたのでした。届けも受理されて、その書類を持って再び入境管理局へ。目出度くビザもう一年延長となりました。

いやぁ久々にちょっと焦った。

December 12, 2005

一時帰国

一時帰国の日程を12月25日〜1月9日と決めました。活動拠点は埼玉の実家か、川崎の事業パートナーの部屋になるかと思われます。

日本の物価には僕の財布は殆ど耐えられないのでみかけた人はどうかおごってください。

November 29, 2005

ORF−奥出研強し

ちょっと遅れた記事になってしまったけど、先日六本木ヒルズで、母校SFC恒例イベントの「ORF(オープンリサーチフォーラム)2005」があった。SFCの研究室の研究成果発表大会みたいなイベントです。

ITmediaの紹介記事

僕が所属していたゼミも毎回出展していて、今回も活躍したそうだ。kogaのおいっすぺで奥出研ブースレポートがあったけど、皆の顔が久々に見られてよかった。行けなかったのは残念だけど、相変わらずレベル高そうで嬉しかった。奥出研のみんな、お疲れ様でした。

それにしても。
奥出研ORF用特設サイトを見たが。
今年の奥出研やヴぁくないか?!特に実装力が。ウェブも凄く良く出来ててびっくりです。

久々に公式ウェブを覗くと、僕が所属していた頃のプロジェクトもちゃんと記録されていて(正確にはその後も継続して研究が続けられたからだろうが)、またもやちょっと嬉しくなる。研究は進んでいるんだろうか?

皆さん体を壊さないように頑張って欲しいものです。

November 25, 2005

母校チーム、一年の終わり。ある後輩への思い入れ。

今年も全日本大会が終わり、母校の空手チームの一年が終わった。
かなり強いチームだったんだけど、今年も全日本で結果を残すことができなかったようだ。非常に残念。

だけど。公式サイトにアップされる戦績を見ていただけだけど。一人の選手の成長をその戦績から見てとることができて、目頭が熱くなってしまった。チームで勝ってこそ喜ぶべきなのに、その一人の選手の戦績に抑えがたい喜びを感じてしまった。以下はその彼への超個人的な思い入れである。

僕が高校3年の頃、高校1年の彼が入部してきた。強くなってほしくて毎日筋トレに連れ出した。
彼が大学に進学してきたとき、騙すように彼を大学空手部の輪に放り込んだ。
僕が部を離れ、数年ぶりに道場の練習に復帰した際、「先輩、そこはこうしたほうがいいです」と空手の技術について指摘された。驚きと多少の悔しさと、変な嬉しさがあった。

いつか気づくと、彼は立派な形の選手になっていた。形の強豪校と互角に渡り合うほどの。
そしてしまいには、そんな彼が組手の舞台でも一線で活躍する選手へと成長してくれたのである。

僕らが空手を習ったNY高には、試合が無かった。素晴らしい指導者には恵まれていたが、試合制度については、僕らは何も知らなかった。大学に入って、初めてその世界に入る。試合に関しては、形も組手も、大学で一からやるのだ。

周りは小さい頃から試合に揉まれてきたツワモノも多く、団体戦に出場できる5名に選ばれるのは並大抵のことではない。出られる奴は1年の頃から出られるし、出られない奴は4年間血を吐くような努力を続けても出られない厳しい世界。この伝統ある部の中で、NY高出身の選手が大きな大会でその舞台に立つところを見たことが無い。

けど、今回の全日本大会の試合結果に、彼の名前があったのだ!しかも個人的な結果は鮮やかな勝利だったと言う。全日本だけでなく、早慶戦でも、関慶戦でも、見事な勝利を飾ったようで、それがまぐれではなかったと思わせる。四年間続けてくれただけでも本当に嬉しかったというのに、この記事を読んだ時の僕の感動は推して知るべしである。是非直にその姿を見たかった。彼も今年で引退、あれほどの舞台で彼の試合を見ることはもうこの先無いだろう。今年一年間中国で活動しているが、これほど日本を離れてしまって悔しいと思ったことは無い。

でもとにかく、本当に彼の成長が自分のことのように嬉しかったのです。

しかし全日本でチームの負けが決定する瞬間=4年間の集大成が終わる瞬間のあの何ともいえない辛さは当然皆味わうことになったわけで、そもそも裏方も応援している選手も含めて誇るべきなチームであり、一人の部員を贔屓にするなんて時点でおかしいのだから、僕がこんなことを書くのは相当不謹慎なんだろう。もちろん全日本と関慶戦での敗退は本当に悔しい。だけど、彼について喜ばしいと思ったことも事実で、どうしてもそれを書かずにはいられなかったのです。部の関係者にこのエントリーを読まれないことを祈るのみです・・・

とにかく、今週でこの代も引退。お疲れ様でした。次期主将(僕が現役4年の頃の1年か・・・)とそのチームに、来年こそ悲願を達成できるよう、中国からエールを送りつづけていきたいと思います。

November 22, 2005

これから大連に住もうかなという方々へ(転載)

ご近所に住む友人のC☆さんの日記@mixiに面白い記事があったので、許可を得て転載させて頂きます。彼女は大連での一年間のインターンを終えてもうすぐ帰ってしまうんだけど、これまでの生活上の経験から「モノ」についていろいろまとめてくれた。ご本人も断っているとおり、完璧なリストではないのかもしれないけれど、「日本人が関わるモノ」という観点から大連がどういう街かを上手く現している。

(注:正確な情報を発信することは大切ですが、つっこみはお手柔らかにお願い致します!)

以下転載------------------------------------------------------
■持って来て後悔した物:理由
【MDプレーヤー】:中国にMDは無い。mp3プレーヤーが普及している。
【CDプレーヤー】:変圧器を使って聞くくらいなら買った方が安い。
【洗濯干しロープ,ハンガー,洗濯挟み】:2元ショップで買える。
【タッパー】:何処のスーパーでも日本の半額〜同額程度で買える。
【クレジットカード】:VISAもJCBも何処で使えるのか分からない。Masterが一番ましかもしれないが、とにかく使えない。Apple公認店ですら使用不可。中山大酒店、ハイモール和平広場店の15番レジと天天漁港本店、中山大酒店の飲茶でVISAが使用できる事を確認。JCBは外国語学院近くのイタリア料理店ラ・カフェ・イゴッソで使用可能。中国の銀行のデビットカードさえ持っていれば万事OK。デビットカード普及率は日本の比ではない。
【国際キャッシュカード】:あくまで海外旅行用であって、住む場合は発行できないと東京三菱銀行の窓口で押し問答。上司が出てきて何とか発行はして貰った(手数料1000円)が、何処で使えるのか分からぬまま盗まれた。再発行手続きは本人が日本でしなければならない。お陰で帰国直後は金もおろせず文無し。
                
■持って来て良かった物:理由
【電子辞書(Canon WardTank V-70)】:読めない漢字を書いて検索可。
【テレコ】:こちらでも25〜50元程度で買えますが、既にお持ちなら。勿論、勉強用。海外のラジオも聞けるとより◎。
【カスピ海ヨーグルト,ケフィアの種】:無糖ヨーグルトは外資系でも入手不可。
【手帳】:システム手帳に該当する物が存在しない。昨日初めて発見したが、日記帖か!?ってぐらい大きくて実用性低。
【ジップロック(袋)】:売っていません。冷凍保存用に。
【ボールペン】:書けないor直ぐに書けなくなるペンなら売っているが、まともに書けるペンを数本所持しておきたい。
【化粧品】:ハングルの成分表が読めない。怖くて使えない。香料がきつすぎて肌が荒れそう。

■持ってこなくて後悔した物:理由
【USBオーディオ変換アダプタ】:iBookにはマイク端子が無いのでスカイプしづらい。USB対応ヘッドホンマイクセットは売っていない。教材のテープをiTunesに取り込みたい。
【赤マーカーと緑の下敷き】:よく中学生が使っているやつ。勉強用。
【プリンタ・スキャナ】:背負ってでも頑張って持ってくれば良かった。電子城にてMac対応の周辺機器は無いと言われた。

■後から持って来て(送って)貰った物:理由 ※食品ばかり
【各種CD-ROM】:ここまでMac対応のソフトウェアが何も無いとは想像しておらず。父に送って貰いOS再インストール。
【マキロン】:消毒液は個人に販売してくれない。
【ホッカイロ】:日本限定?中国には無い。冷え性ならば。
【各種ハーブの種】:バジルと紫蘇が無い食生活に耐え切れず。
【各種ハーブ】:バジル,タイム,マジョラム,シナモン…e.t.c.
【オリーブオイル】:イタリアンには必須。
【ワインビネガー】:米酢でも構わないといえば構わないが…。
【鰹節】:豆腐やもやしを食べる時に無性に掛けたくなる。
【鰹だしの素】:帆立だしの素は買えるが、鰹は何故か無い。or高い。
【みりん】:マイカルでとんでもない値段で販売されている。
【おたふくソース】:同室が関西人な為。関東人は無くても困らない。
【麺つゆ】:うどんも蕎麦もチューブわさびも普通に手に入るのにつゆも鰹だしも手に入らないが故に食べられない。
【ポッカレモン】:レモンは恐ろしく高価。1斤5元〜
【寒天】:杏仁豆腐すら存在しない大連。
【魚焼き用の網と鉄板】:台所に魚焼きグリルが無く、市場に並ぶ魚達をどう調理すればいいのか分からない為。

■送られてきたけれど要らなかった物:理由
【昆布とワカメ】:ここは北の海。昆布もワカメも大連の名産品。
【マヨネーズ】:キューピーマヨネーズは何処のスーパーでも入手可。しかも好きじゃない。
【黒胡椒】:何処でも買える。

■個人的には必要無いけれど一般的に言われる必要な物:理由
ハードコンタクトだったかソフトだったか違いがよく分から
ないがどっちかが中国には存在しないとやらで騒ぐ人多数。

以前、人様に送った物ですが、折角なので保守。
個人的見解に偏りまくっていますが、これから大連に
移住予定がある方は参考にしてみてください。
1年間の生活で得た情報です。

転載ここまで------------------------------------------------------


どうでしょう、大連という街のイメージは何か掴めましたでしょうか。
しかしこれ、大連に来る前に見たかった。

November 07, 2005

大連最大級のダンスパーティー(?)

大連最大級のダンスパーティーという触れ込みのイベントへ中国人の遊び友達を誘って行ってきた。

一言で言うと「金返せ」ってくらいつまらなかった。大連最大級のはずが、その辺の「いまいち流行りきれないクラブ」くらいしか人が入っていない。フロアに人が実際に出て多少なりとも盛り上がれたのは長いパーティーの時間の間で1時間にも満たなかったんじゃないかな。イベントを成功させることの難しさを客ながら痛感させられたという感じ。

結局いつ盛り上がり始めるのか、と開始から3時間以上「耐えた」挙句、あまりのつまらなさに一緒に来た友達らは機嫌崩して帰ってしまった。今度埋め合わせをしないと。中国人フレンズは帰ってしまったので、25時くらいには会場にいた別の日本人の友人達と別の店へ移動し、朝まで遊んだ。

しかしこのイベントでは、日本人カンフーエンターテイナーJacKEEさんのパフォーマンスが見られると思っていたので、それを見られなかったのがとても残念。またどっかで見られることを期待しよう。

November 04, 2005

皇室ウォッチング

昼休み中に、従業員(中国人、漢族、女性、26歳)がネットサーフして遊んでいたようだ。何見てるんだろう、とちょっと見たら、なんと日本の皇太子一家の紹介ページを見てる。「私この人好きなんです」と雅子様を指す。横の朝鮮族の女の子が、えー、という顔で見ている。でも愛子様は可愛い、と。

いろんな中国人がいるんだなぁ、と。


ちなみにその後はなんかの細胞の画像を見てた。

October 31, 2005

The Crow

crow.jpg今回は、ブランドン・リー主演「The Crow」について。クロウは94年の作品であり、バットマンのようにアメコミの超人気作品が映画化されたものだ。なぜか日本での知名度がイマイチなのだが、当時アメリカで中学生だった僕は、友達と一緒に当たり前のようにこの作品に夢中になった。子供っぽさがいやになり、「ダークな感じ」がたまらなくカッコよく思える、ちょっと擦れたい年頃だった。物語はハロウィーン前日、結婚を翌日に控えたエリック(ブランドン・リー)が恋人もろとも無残に殺され、一年後、墓の下から不死身の復讐鬼となって蘇る、というアクション悲劇(ホラーではない)。全体的に黒を基調とした映像で、ただの復讐アクションで終わらない見事な感情の演出、nine inch nailsやstone temple pilotsといったオルタナティブロックをBGMに使用し、"It can't rain all the time", "I say You move and you're dead!""And I say I'm dead. And I move...","This is not a good day for the bad guys." ・・・など愛情や皮肉がたっぷりの多くの名台詞を残した、とにかく当時としては最高にスタイリッシュな作品だった。

主演のブランドン・リーは、ブルース・リーの実の息子で、父とは違う独自の路線で成功できる実力を持っていたように思える。少なくとも本作品での演技は素晴らしいと思う。しかし、ブランドンにとって、このクロウが遺作となってしまう。撮影中、小道具のはずだった拳銃に実弾が混じっており、本番中、打たれるシーンで本当に死んでしまったのだ。そのため、この映画は一部代役や当時最先端の技術だったCGによる加工で完成されており、そのことも話題になった。そして、劇中エリックが結婚前日に死んでしまうように、ブランドン本人もまた、映画の撮影終了後に結婚式を控えていた。この事件の詳細については以下のリンク参照。

"From Triumph to Tragedy"

だけど僕は初めて見たとき、彼があのブルース・リーの息子だということも、彼がそんな事故でもうこの世にいないということも知らなかった。その恐ろしくも悲しげな姿とめちゃくちゃな強さがただただカッコよかった。彼が死んでいると知った時は本当に愕然としたのを覚えている。

ちなみに彼に魅せられて以来、中学高校と僕のハロウィーンの仮装は決まってクロウだった。いつまでたってもクロウは僕のハロウィーンのシンボルだった。今年もあるハロウィーンパーティに呼ばれた際に、実に6年ぶりの仮装だったけれども僕は特に考えることなくこのクロウメイクで臨んでみた。だけど、その場にいた誰もこのクロウを知らなかったんだ。「怖いピエロだね」とか言われて。やっぱりアメリカの外じゃ知名度低いんだなぁと痛感。それでもっとみんなにこの名作を知ってほしいと思い、普段は「最近見た映画」しか取り上げないんだけど、そんなわけで今回は特別に懐かしの映画を取り上げてみました。一押しの傑作映画です。

October 26, 2005

大連ビジネス。(あるアニメ制作会社の場合)

友人のY嬢が、政府の外資誘致部門からアニメ産業集積地管理部門へ転属したので、そこへ見学も兼ねて遊びに行った。

大連市は、日本企業等の生産工場の集積地区である開発区や、全国で五つある国家ソフトウェア輸出基地の一つに指定されているソフトウェアパークと言った、重点的にある産業を支援する政策で、それぞれの産業の成長を牽引している。現在ソフトウェアパークの第二期のプロジェクトエリアが建設中らしいが、ソフト開発、BPO(business process outsourcing)産業に続いて大連市が支援を開始した産業が、「アニメ・ゲーム」産業である。ハイテク区内にあるこの国家アニメ産業基地には、アニメ制作会社、ゲーム制作会社、CG制作会社の他に、それらの会社へ就職できる人材を輩出する専門学校も入っている。日本ではアニメ・ゲーム業界は下積み時代を辛い給与条件で過ごさねばならないらしいが、こちらではこれらは高給な仕事のようである。お昼時に見学に行ったので、若い人たちがぞろぞろと仕事場から出てくるところだった。

Y嬢によるとまだこの集積地に企業が入り始めて間もないらしいが、Y嬢の日本でのホームステイ先のお父さんがアニメ制作会社を経営しており、その人もこの集積地に合弁企業を立ち上げたという。大手商社での中国ビジネス経験豊富な先輩が中国という市場を「惨憺たる屍の山」と評する様に、大連でも多くの日本企業が失敗している。僕が大連に来て始めに籍を置いた会社も解散の憂き目にあっているし、僕が大連に来るきっかけとなった方の会社も、先月で撤退を余儀無くされている。そんな中アニメ制作という成功例をあまり聞かない分野での進出とあって非常に興味を持った。たまたまその経営者の方が大連に出張中だというので、Y嬢に紹介してもらい、会って頂けることになった。

有限会社ハルフィルムメーカー
春田克典氏

フラマホテルのロビーで合流し、四川料理屋へ。こちらから面会をお願いしておいてご馳走になってしまい恐縮だったが、食事の間の2時間、たっぷりお話を聞くことができた。驚くべきことに、彼にとって今回の合弁は初めてではなく、もうかれこれ14年ほど、大連でビジネスおを行なってきていたらしい。中小企業が、大連で14年間存続する。しかも、成功しているが故の新展開として、新たに合弁企業を立ち上げるわけだ。そして最も驚嘆に値するのが、「日本から仕事を振ったことは一度も無い」という事実。つまり、コストカットを目的に中国に進出しているのではなく、14年前から、純粋に中国向けの中国オリジナルアニメ作品を作り、売上を上げることを目的に行なわれているビジネスだというのである。

この方の説明によると、「確かに中国に日本アニメのファンはいるが、それはそういったものが中国に無かったから日本のアニメを見ているに過ぎない。中国人には、もっとみたいアニメがあるかもしれない。それを中国で、中国人のためにつくってこそ、中国でのアニメの発展がある」そうだ。そして、地元の有力な放送局と組み、実際に成果を上げている。実に頭が下がる発想である。中国側スタッフに対する愛情も感じることができた。実際にこの方の経営者としての先見性は広く認められているようで、日本の経済産業省や、フランスの文化庁等も、この方に協力を仰いでいるとか。日本のアニメ業界は慢性的な制作費の低迷の問題等で非常に苦しい現状にあるらしいが、それも彼曰く「はじめからターゲットを世界50カ国にすれば、市場規模は20倍、今の5倍程度の予算を取り付けることなど容易い」ということで、彼は実際に世界相手に十分な制作費で制作を行なっているという。小さな会社でも、大きなことをできるという希望を体現している。また、他にも、原作モノではなくオリジナル作品を多く成功させることで、製作者達に権利料等で収益を還元できるようにする、など、業界構造の問題等にも具体的な方策で取り組んでいる、まさに経営者だと感じた。

物腰も柔らかく、僕のような若造相手にも説教のようなことをすることなく、僕の意見や質問にも丁寧に応えてくださった、爽やかな方だった。次回に会えるのは何ヶ月か先になりそうだが、またお会いして、いろいろと吸収したい。

「モノやアイデアはコピーできても、その発想力をコピーすることはできない。発想力そのものが財産であるコンテンツビジネスに、コピーを恐れる必要はない。」 - 春田氏

WEBアニメスタイル;春田氏インタビュー
バンビジュ、ハルフィルム 欧州企業と共同制作(10/17)
アニメに憧れる中国の若者達
日本のアニメ制作現場の窮状

October 20, 2005

朝鮮族

ジャッキー・チェン、キム・ヒソン主演映画の「神話」という映画が今上映中。
その主題歌も、最近ヒットしていてよく街中で耳にする。これが悲しげでいい歌なんだ。
今日も通勤のバスに備え付けのモニター画面にプロモーションビデオが流れていたので、歌を聴きながら歌詞を追っていた。初めてじっくり聞いたんだが、AメロBメロに相当する部分を男性が、さびは女性が歌う構成になっている。しかも、さびの歌詞は、どうも字幕と合っていない。「サラン〜」なんとかと聞こえたり、語尾に「〜ヨ」とかついてる。どうやら韓国語のようだ。面白い。(字幕は中国語)
サビだけ韓国語の中国の曲。しかもヒットしている。こういう曲はほとんど無いらしいが、日本でも英語との組み合わせだけでなく、他の言葉との組み合わせがもっとあってもいいよなぁと思った。
ちなみにこの「神話」という映画、ジャッキー・チェンが韓国女優のキム・ヒソンやインド女優のMallika Sherawatと共演した歴史物大作。古代韓半島から秦の始皇帝の後宮に入るためにやってきた姫とそれを守る将軍の物語らしい。ジャッキー・チェンはその将軍と現代の考古学者の一人二役、彼にしては珍しく「ドラマ」だ。キム・ヒソンもMallika Sherawatも激美しくてびびる

神話(The Myth)を取り上げてたブログ

で、そんな中国語韓国語ミックスがヒットしてしまう中国には、朝鮮族という民族が200万人弱ほど住んでいる。ご存知の人も多いと思うけど、中国は多民族国家で、漢民族の他に55の少数民族からなる。

中国の少数民族

普通日本人が思い描く中国人像は、漢族のもので、他にもおよそ漢族とは似ても似つかない「中国人」も沢山いるのだ。イスラムの衣装を纏う民族もあるし、金髪碧眼の民族だっている。一部不本意と思っている民族もあるだろうが、みんな一応「中国人」である。

僕の事務所で働いてくれている3人の人も、漢族1人、朝鮮族が2人である。今回の神話の主題歌についても彼らに聞いた。うちの事務所は、日本語と中国語と朝鮮語が飛び交うにぎやかな職場なのです。

朝鮮族は、距離的な問題なのか、彼らの多くが通う朝鮮人学校では日本語を早くから教えるところが多いらしい。従って、日本語人材というと少数民族であるはずの朝鮮族が結構な割合をしめているようだ。実際彼らは基本的に朝鮮語と中国語のバイリンガルで、語学に対する素養が高いのか日本語もとっても上手だ。

そんな彼らと3人でご飯を食べる機会があった(漢族の子が欠勤した)。で、何気なーく共通の話題をと思い、朝鮮族はいつから中国にいるの〜と聞いてみたんだ。すると、比較的最近らしく、彼らの家系の場合この6,70年くらいらしい。つまり、日本でいう在日朝鮮人、アメリカでいう日系2世3世、世界の華僑、そんな感じらしい。中国はそれをちゃんと少数民族と位置付けて社会的な立場も明確になっているというわけだ。最近もまた「日本は単一民族国家」とか閣僚の方が発言されていたりしたが、この辺は日本も見習うべきなのかも。

その流れで、今度は「じゃあそもそもなんで中国に来たんだ?」と聞いた。そしたら、「戦時中に日本から逃げてきたんですよ」と、めっちゃこちらを気遣ってくれてる感じの口調で言う。日本帝国主義の圧力の結果、今彼らがここで僕の仕事を手伝ってくれている。なんか自分の認識不足というか勉強不足を恥じました。

ちょこっとだけ調べると、実際は18世紀半ばくらいから朝鮮半島からの移住は始まったらしいのだが、やはり最近の大きな影響はというと、日本帝国主義が最初に来るのだろう。実際に彼女らの祖先の場合はそうらしい。おじいちゃんは北朝鮮、おばあちゃんは韓国系、とか言っていた(当時はまだ分断されてないし)。

過去のいろんな出来事を経て、今こうして友好的に仕事ができていることが、なんかとてつもなく凄いことのように思えてきた。

小さいところで、日中日朝の親善に努めてまいります。

(勉強不足な部分が多々あるので、このテキスト中間違いや認識違い等があるかもしれません。もし気づいた人いたらご指摘願います。)

October 17, 2005

小泉さんが靖国を参拝したその時大連では

小泉総理大臣靖国を参拝。
http://www.asahi.com/politics/update/1017/005.html

これを受けて、在中国日本国大使館からこんなお知らせがあったらしい。
(緊急)反日デモに関するご注意

要は小泉首相の靖国参拝を受けて国内で反発が起こってデモに発展するかもしれないから気をつけましょう、という内容。大連はとても平和で、五月四日等のデモが起こりやすい日にもほぼ何事もなかったくらいなのであまり心配していないんだけど、一応過去に日本企業に勤める中国人の友人から、日本企業に勤めているという理由でからまれたという話を聞いたことがあったので、従業員にもこの知らせを読んで聞かせた。

「今朝、小泉総理大臣が靖国神社を参拝しました」と言ったら、従業員一同(3人)、「はぁ?!」という顔。親日的で、それなりに日本文化に対して理解がある彼らでも、やはり反感を覚える。

僕はやはり、この問題は「誤解」が元になっていて、その誤解を丁寧な説明で解かなければならないと思っている。そして、周辺国の理解を得て、堂々と国のために戦った人々を参って欲しいものです。

一時的に緊張しそうな日中韓関係だけど、これからの日本政府の外交努力に期待。

September 22, 2005

手帳 of 2006

そろそろ来年の手帳を選ぶ時期。自分も一応手帳を持ち歩いてはいるが、ほとんど活用していない。なんというか、ちょっとした手間をかける習慣というのがなかなか身につかないのだ。このブログだって、人に見られているという意識があるのでかろうじてこのペースで続けられている。

手帳の効果自体にはかなり期待しているので、是非この習慣を身に付けて活用したいと常々思っている。そこで今年は、「人にみせたくなる手帳」というのを基準に選んでみた。つまり、巷に良く見る超多機能システム手帳とかでなくても、よく「デザイン」されていて使い勝手が良く、そして面白みがあって、ちょっとおしゃれでもある、というような手帳。

で、選んだのが、糸井重里事務所考案のこの「ほぼ日手帳2006」だ。
img_nred.jpg

糸井重里というとファミコンソフト「マザー」を思い浮かべる人も多いかもしれないけど、自分は「もののけ姫」の「生きろ」というキャッチコピーの作者としての方が印象深い(「もののけ姫はこうして作られた」の影響ですね・・)。

この手帳、あと5日で販売締め切りというから、間に合ってよかった。届くのが楽しみ。

September 20, 2005

中秋節

日曜は中秋節。初めて大連に来たのが、丁度去年の中秋節の日だった。旧暦で丸一年経ったことになる。

あの時は旅行で一週間。今はいつ本帰国するのか具体的な目処はなし。でも一年がこんなに短いなら、2,3年はあっという間に過ぎていきそう。

September 07, 2005

学校ばとん

今度は学校ばとんが来た。中学時代、オハイオの補習校で仲良しだった「ぱるな」から。中学2年で帰国してしまったぱるなとは大学のキャンパスでばったり再会した。先月も一時帰国した時どっかのカフェでばったり会った。ちょっとした腐れ縁。

この○○バトンシリーズ、チェーンにしては意外と市民権を得てるみたい。自己発信っていうブログのスタイルと合っているのかも。

【Q1.小中高の中で一番思い出深い時期は?】

思い出に序列はつけ難いんだけど、
小:3,4年、友達と仲良くて毎日学校が楽しかった頃
中:日本語補習校の仲間と毎週末夜通し遊んだ頃
高:学校、寮、部活、全てが楽しかった頃

【Q2.一番お世話になった先生は?】

小3の時の担任のH先生。町の新体操チームの監督でもあり、とても美人だった。中学にあがってから、一時帰国するたびに車でいろんなとこ連れてってもらったり、大学生になっても手紙をくれたりした先生。迷惑かけすぎて嫌われたかもしれないけど、友達のように仲良くしてくれて、とっても大好きでした。


【Q3.得意科目】

国語、理科、歴史。音楽も好き。


【Q4.苦手科目】

とにかく数学。よくこれで理系進学したものだ。


【Q5.思い出に残っている学校行事3つは?】

々盥察Д丱譟璽棔璽訛膕颪琶雑骨折した(恥)。

高校:全校集会とか。
生徒会選挙スピーチで思うところを述べたらその内容により放課後早速先輩方に「シメ」られた。しかも落選。
あと学院長への不満ぶちまけ糾弾大会とか、伝説の「We Have No Power!! You Must Be Fed!!」とか。

B膤悄Ф手部の幹部交代式
幹部交代する時期まで自分が部に残ってると思わなかった。
それを支えてくれた同期、コーチ他関係者全てに対する感謝の念で一杯だった一日。

【Q7.学生時代の呼び名は?】

小学校:一貫してみよしくん
中学校:みよし、みっちー、hiro(現地校)、meeYOHshi(現地校)
高校:ひろ、ひろさん
大学:ひろ、みよし

【Q8.好きな給食メニュー】

黒パン、Sloppy Joes。


【Q9.学生時代の友人はあなたにとってどんな存在?】

過去の面白話を共有してる一番一緒にい易い人々。
この先会うたびに、どれだけ成長したかを自慢し合ったり競い合ったりしたい人々。これが今の活動の大きな原動力になっている。


【Q10.バトンを渡すのは…】
スルー可です。
姉貴 学校話とかあまり聞いたことないので。
kosukeyaz ブログに明るい話題。
vori 更新のきっかけに。

他にもこのエントリー見た人で暇な人は書いてみて下さいな。

August 11, 2005

流水

小泉がかっこいい。

今日本に帰ってきてるんだけど、連日の政局に関する報道を受けてなんか自分の意見でも言っておこうかと思い。

人間関係だ既得権益だにまみれた自民党はもとより、揚げ足をとるだけの民主党も今は特に支持していない。別に郵政民営化に特に大賛成なわけでも、小泉内閣の支持者だったわけでもない。ただ、水も流れなければ腐るっていうし、変化を起こすために行動を起こす人を支持したくなるのです。

個人的な希望。
・小泉さん自民党をバラバラにして、小泉さんによる新生自民党でもう一度政権。
・小泉さん新党で、旧自民党か民主党どちらかと組んでもう一度政権。もしくは石原さん新党とかと。
・とにかく自民党は消えて民主党政権(その際首相は小沢さんか菅さんがいいな)。

良いか悪いかではなく、とにかく変化を。絶えず変化することが腐敗から逃れる良い手立てだと思います。良いか悪いかは歴史が判断することだろうし。

それより超個人的にもっと重要なことが今日:甥っ子第2号と出会いました。彼が少年時代を生きる時を僕らがちゃんといい時代にしないとね。

July 20, 2005

Dragostea Din Tei

最近大連のクラブや街中でかなりヘビーローテーションでかかってる曲があって、いい曲というより、面白い曲で何故か物凄く耳に残る。外国人が沢山集まるクラブなんかでこの曲がかかるとフロアは大盛り上がりで、みんなで合唱が始まるような人気曲。6月あたりからCDショップ行った時などに探し始めたけど、歌詞が何語か分からなくて、誰のなんていう曲なのかも分からなかったので難航。ある時タイミングよく店でかかったので、コレコレと頼んだら、売れすぎてるのか生身のCDRにマジックでタイトル書かれているだけのものが何十枚も出ててきて一枚15元などという。普通海賊版でもジャケットから歌詞カードまで完全に再現されているもので6元とか。なんかバブっててシャクだったので買わなかった。

wadaino.jpgそんな中、昨日タイムリーなことに「話題の.jp」にこんな記事を見つけてしまった。マイヤヒー、ってなんのことかと思っていたら。曲自体は新しくないのに、まさか同時期に日本でもこんなに盛り上がっていたとは。ヤフーミュージックでも記事になっている。きっかけはやっぱりこのフラッシュなんだろうか(猫がかわいい。思わずリプレイ)。実際ここに来てくれてる人たちの中でもこの曲知ってる人っている?

ozone.jpgオフィシャルサイトなんかもあるみたいだけど、オフィシャルがこんな感じでいいんだろうか・・・。(こんな意見もあるみたい。なんとなくわかる。)

でもとにかく、大連でのはやりを日本の人たちとも共有できるなんて、凄く不思議な偶然のように感じてしまいました。

June 29, 2005

musical baton

自身のお粗末な自意識過剰さの助けも有り、djkからmusical batonを渡されました。ちょっと面白そうだなと思っていたので、渡されるとやっぱり嬉しい。

で、このmusical baton、「絵文禄ことのは」さんとこに詳しくあるように、ちょっと変則的な形を取ったチェーンメールの類だ。チェーンと言うと、別の人にさらに「何人に回す」というルールを課すことでストレスを与える可能性があるので、それが幸せの連鎖メールでも、臓器ドナー探しのメールでも、嫌う人は嫌ってると思う。このmusical batonにしても、止めている人は止めている

でも、これは遊び心としてちょっと楽しい企画と受け取った。最近のMSNメッセンジャーやblog上の「now playing」プラグインなど、ネット上の知り合いがどんな音楽を聴いているのかを知りたい、知らせたい、というのは一つのコミュニケーションの形を作り上げてきている。SNSなんかで見られる商品レビューなんかもその一種かな。そしてなにより、音楽をこよなく愛する僕は、音楽にまつわる遊びの誘いが来たならば、それは楽しんで乗っかりたいと思うのです。というわけで、djk、たしかにbatonを受け取りました。

それでは行きます。

■1. Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
 5GB強。大学1年の時に4GBいっていたので、この3,4年では微増したのみ。ここ数年はwinMXなどのファイル交換ソフトを使わなくなったことと、滅多にCDを買わないことも影響しているが、基本的に好きな音楽を聴き続ける性質なんだと思う。ホントにいい曲は、何度聴いても飽きることは無い。(ここ何年間で、プレイリストから消えていったものももちろん多い)

■2. Song playing right now (今聞いている曲)   
 以前紹介した、E.S.T.(エスビョルン・スヴェンソン・トリオ)の「believe, beleft, below」、スウェーデンのモダンジャズピアノトリオ。ホントにスタイリッシュで衝撃的なサウンド。

■3. The last CD I bought (最後に買ったCD)
 周傑倫(ジョウ・ジエルン)のベストアルバム。日本ではジェイ・チョウと呼ばれている。台湾のシンガーソングライターで、中国系の音楽賞を総なめにする等の中華ポップス界ではカリスマ的存在。ロック、バラード、R&B、ラップ、なんでもこなす。また、今回実写映画化された「頭文字D」に主演で出てたりもする。街中で度々耳にするうちに気に入ってしまって、買ってみた。お気に入りは代表曲になりつつある「七里香」とちょっと前の作品である「簡単愛」。簡単愛の詩の内容がとても理想的な愛情の形で、気に入って調べてたら作詞が徐若瑄(ビビアン・スー)と知ってびっくり。歌詞の旋律への乗り方もよくて、意外な才能だな、と。ちなみに周傑倫、発音がハッキリしないらしく、まわりの中国人は口をそろえて「この人何言ってるのかわからない」と言っている。中国語学習にはお勧めしない。

■4. Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
これは選ぶのが難しい。やはり思い入れとして年季が入ったものを。

・久石譲の「Kids Return」
ピアノ(+α)曲。北野武監督作品、挫折の青春映画「Kids Return」のテーマ曲。「俺達もう終わっちゃったのかなぁ」「まだ始まっちゃいねぇよ」 のアレです。どんな逆境にあったって、全ては「ここから」始まる、そんな考え方を思い出させてくれるので、よく聞きます。

・松任谷由実の「春よ、来い」
詩、旋律、ピアノ、歌声、この曲の全てが好き。

・塩谷哲の「English man in New York」
スティングのカバー。ピアノ曲。何と言ってもピアノソロがカッコいい。鳥肌立つ。何度か至近距離で聞く機会にも恵まれた。もちろん、スティングのオリジナルも最高です。こちらもブランフォード・マーサリスのサクスソロが鳥肌モノです。

・坂本龍一の「Merry Christmas Mr. Lawrence」
ピアノ曲。この曲がどうしても弾けるようになりたくて、高校の頃、友人に「ドレミ」を振ってもらいながら読めない楽譜と格闘し、毎朝音楽室に通い詰めた。

・西村由紀江の「せせらぎ」
ピアノ曲。小さい頃、我が家に始めて「CDラジカセ」がやってきた日からある西村由紀江のアルバム。その中の一曲で、水が流れるような旋律が美しい。色んな思い出がつまった曲。

書いてみると、今聞いてる曲を含め、ピアノ曲だらけになってしまった。所持してる曲の全体的な割合でみると少ないはずなのに。歌詞よりも純粋な旋律の流れのほうが、感性の奥のほうに訴えてくるのかもしれないなんて考えてみたり。ピアノの音が好きなんだよね。

■Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
以下の人たちには、繋げてみたい、音楽の興味を聞いてみたい、という純粋な好奇心で振りますので、もし迷惑であれば自由に止めて下さって結構です。あと、コメントで連絡、というのもしないでおきます。もし運よくこのエントリーを見てくれたら、応えて下さい。

・「ろぐなんばー24」のvori氏
ここと兄弟ブログであるろぐなんばー24。いろんなことが話せる格闘技仲間。付き合いはもう13年目かな。しょっちゅうとんでもなくコアな音楽を仕入れてきてるので、近況を伺いたい。

・「yのblog」のyan氏
起業仲間のyan。在学中はdjkらと一緒に毎日ビジネスプランを考えた。今はどんな面白いことを考えているのか。繋げてみたいので振ってみる。

・「おいっすぺ」のkoga女史
奥出研での残留仲間。ダメ人間仲間。おいっすぺは更新止まってるが、現在新しいサイトへ引越し準備中とのこと。一応おいすぺにリンク貼りますが、新しいサイトができたら回答してくれるそうです。

・「春琳のパレード」のshunrin of joytoy姫
サバグラなネットアイドル、shunrin姫。実は超エリート戦士。忙しい彼女がこんな暇な企画に乗ってくれるかは甚だ疑わしいけど、ハイセンスな彼女に聞かないわけには行きません。

・「なつみのカン詰め」のポムチュー女史。
ザ・三日坊主。廃墟となって久しい日記サイトですがなんとなく振ってみる。これをきっかけに復活、なんてのもこれっぽちも期待していない。文章うまいんだけどな。

では以上ということで。楽しい企画をありがとう、djk。

June 28, 2005

誕生日の過ごし方

毎年誕生日には本当に恵まれてると思う。

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今年は、以前にも紹介したIgossoというレストランバーで、こちらの日本人の知り合いの皆さんにお祝いをしてもらった。ここ特製のシュークリームケーキに名前入りのチョコレートプレートも添えてもらって。こんな立派な花束までもらって。

それから、日本からも素敵なプレゼントが届いた。手作りのモノを、インターネット回線を通して。この感動は、言葉では表せない。

皆さんどうもありがとうございました。

June 27, 2005

second anniversary of "Log No.344"

今日は誕生日、社長の生誕記念ということで会社を休みにしました。


というのはいくらなんでも嘘ですが、週末に従業員に出勤してもらったのでその振り替えでとにかく休みです。

そして6月27日をもってこのブログを開設して丁度二年。簡単に実績報告。

エントリー数:232(+90)
コメント数:231(+103)

カテゴリー
Art Log(趣味の美術鑑賞に関する話題):13エントリー(+2)
Biblio Log(読んだ書籍に関する話題): 10エントリー(+0)
Dream Log(夢日記): 1エントリー(+0)
Journal(雑記、備忘録、旅日記等): 21エントリー(+31)
Karate(趣味の武道に関する話題): 9エントリー(-9)
KOTOBA Log(心に残った言葉に関する話題): 17エントリー(+2)
Live Log(生演奏や舞台等に関する話題): 4エントリー(-1)
Movie Log(映画鑑賞録): 65エントリー(+38)
Web Log(ウェブ上の話題、ニュース記事に関する話題): 23エントリー(+7)

今年はジャーナルと映画評中心でした。もっと有用な情報発信でも心がけてみようかな。

June 23, 2005

nature of the neighbor

営業の一環で、日本からのお客さんに対して大連の産業と風俗の視察を目的としたツアーなんかも行っている。今回目玉に据えたのは大連ソフトウェアパーク内にある「東軟情報技術学院Neusoft Institute of Technology」、国立大学である東北大学とそこから派生した中国トップクラスのソフト企業Nuesoftが合弁で設立したIT人材輩出学府だ。

ソフトウェアパークというのは大連のハイテクパークと呼ばれる経済特区の中に位置するソフトウェア企業の集積基地で、中国が国を挙げて外資を誘致、中国トップクラスのオフショアセンターにしようとしている。実はうちのオフィスもこのなかに構えている(まだ入居できてないけど)。

大連ハイテクパーク誘致局ウェブサイト (ちょっと日本語面白い)
大連ソフトウェアパークウェブサイト
東軟情報技術学院ウェブサイト
この周辺の話はこのサイトに詳しい。→ president online

で、この東軟学院、以前にもお客さんに見せようと思ってアポ取りを試みたことがあったのだが、「御社はどんな会社ですか?資本金はどの程度ですか?従業員は何人程度ですか?」という怪しいとことは取り合いませんよとでも言わんばかりの質問ラッシュを受け、なかなか話が進まず断念していたのだが、今回は強力な助っ人によりあっさりアポが取れた。大連での貴重な友人の一人、Y嬢が助け舟を出してくれたのだ。彼女は政府機関であるハイテクパークの管理組織に勤務するお役人さんである。今回のお客さんがある意味でハイテクパークの視察も兼ねていることもあり、さくっと東軟学院のアポ取りを済ませてくれただけでなくツアー当日の移動にハイテクパーク所有の車まで出してくれた。「タクシー代節約できるでしょ」と。軽く泣けた。僕がたまたま外国人なので見かねているからなのか、それともそれが彼らの当たり前な性質だからなのか、この国の人たちの情の厚さにいつも驚かされる。

誘致局の人々には他にも色々と手助けを頂いていて、本当に頼りになる組織である。ここについてはまた近いうちに。

とにかく、東軟学院に乗り込むことができた。迎えてくれたのは日本語学科とパソコン学科の教授お二人と、目が眩むほどの圧倒的なキャンパス。内部は母校SFCなど目じゃない最先端っぷり。特に印象的だったのは、図書がほとんど電子図書だったことと、SOVO(student office virtual office)という仮想企業によるビジネスの実践プロジェクト。SOVOには特に驚いた。学校内にまるで企業のオフィスのような場所があり、机や壁にある表札を見ると「○○有限公司」とか「経営理念は・・」とか、「CEO」「CFO」、「開発二部」「品質管理部」と言った文字がいくつもならんでいる。ここには十数社もの仮想企業があり、仮想と言っても実際に顧客をつけ、実際に業務をこなしているというからさらに驚く。在学中「サイバービジネス実践」という名目の研究室に所属していたが、このSOVOは遥かに実践的で且つ洗練されたプロジェクトだった。

その後、パソコン学科の教授(若い)と話が盛り上がり、次回以降の関係構築に手ごたえを掴む。ここと仲良くなれれば色々と面白いことができそう。

翌日は大連のポータルサイト運営会社を訪問したり一般市民の食文化を体験してもらったり。それなりに楽しんで帰ってもらえたと思う。

途中、一週間前に財布を無くしたのに続いて、今度は名刺入れを無くすというハプニングに見舞われたが、これは3日後にその時利用したと思われるタクシーの運転手さんから連絡があり、戻ってきた。わざわざ街のはずれにある自宅まで届けに来てくれた運転手さんに行きと帰りの運賃を渡そうとするも頑なに断られる(結局強引に渡したけど)。やっぱり親切な街。

May 22, 2005

water hazard

大雨の日は、台所全体が水浸しになるほど雨漏りする。天井から、窓から、壁から、水が滴り落ちてくる。

そして今日も台所が水浸しになった。しかし今日の天気はどうだ。快晴だっていうのに上の階で何が起こっているのか分からないが、天井から水がぼたぼたと落ちてくる。

これが頻繁に起こらないといいんだけど、とにかく天気に関わらず雨漏り対策を怠ってはならないようだ。

最近月750元はやっぱり高かったか、と次回の契約更改に向けて値切り交渉の熱を高めつつある。

May 16, 2005

life in Xinghai

今回も、僕が今住んでいる星海(シンハイと読む)公園界隈の紹介を。

今住んでいるアパートの前は、毎朝朝市で賑わう。

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ありとあらゆる商材がならぶ。左は服屋さん、右はスパイス屋さん。食べ物や日用品がやはりメジャーだが、たまに物凄いニッチをついた商人さんもいる。微妙に形が違うだけの便器のレバーを数十種類集めて売ってる人とかいる。

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果物屋さんと海鮮屋さん。果物が本当に安くて重宝している。いちごやらミカンやらマンゴーやら、袋一杯に買っても5元や10元である。

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左が生地屋さん。その場で縫ってくれる。右はアパートのうらにある市場。ここは夕方までやっていて、最近夕食の買い物はここでする。野菜は人参やジャガイモなど、一つで0.3元(5円くらい)程度だし、肉塊も牛が500gで5元とか。野菜の見かけが相当汚いのが最初気になったが慣れた。この市場までは部屋から歩いて1分なので便利なことこの上ない。

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アパートの前の道を2分歩けば星海公園の入り口で、目の前はもう海だ(画像左)。有料の公園だが、夕方6時以降から翌朝8時半頃までは無料で開放される。中は有料だけあってかなり綺麗に整備されている(画像右)。沢山の種類の花も植えられてて、休日にはそれなりに人が入る。

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夕方は我々庶民の時間で、平日から多くの人が訪れる。こっちの人は公園で遊ぶのが好きなようで、どこの公園も夜遅くまで毎日賑わっている。画像は星海公園内の海岸。人魚様もいらっしゃる。

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波打ち際に人がぱらぱらといるのだが、近くに行ってみると遊んでいるわけではなく、皆一生懸命打ち上げられる海草を拾っていた。その場で即売していると思われるおばあちゃんもいた。みんな袋一杯に海草を詰めて帰っていく。どおりで近所に海草持って歩いてる人をよく見かけると思った。

May 03, 2005

cut cut cut

休日を利用して散髪へ。

大連の美容業界はかなり盛り上がってそうな印象をうける。どこに行っても沢山の美容院をみかける。けど、前回行った、そこそこ人も入っていて概観も綺麗な美容院では、見事に期待を裏切られた。こんな感じ、と雑誌の写真を示して始めてもらうと、その髪型のシルエットにそってバリカンで刈られた。

安いところだと数元。道端に椅子をおいて切るとこも沢山見かける。(うちのアパートの裏でもやってる。)普通の床屋でも10から20元だろうか。さすがに散髪で失敗するとへこむのでちょっとお金をかけてみようと行ってみたらあれだったわけである。それでも30元(400円くらい)。

聞くと、大連では一番高いと言われている高級なヘアスタジオでも100元しないらしい。ならば、ここは他にお金の使い道もあまりないし、ちょっと良いところに行って見ようと、ちょっとリッチな生活をしている大連人のY嬢に相談してみた。

Y嬢紹介の美容院は、大連中心地にある「百年城」内にあるヘアスタジオ、「亜洲人」(アジア人の意)。びみょーなネーミングだが店内の雰囲気は日本の美容院とほとんど変わらない。一人とっても上手な人がいるというので紹介してもらった。髪を切る前の洗髪が終わると、かなり念入りにマッサージされた。20分くらいしてもらってたんじゃないだろうか。「耳マッサージ」までされた。変な感じだが気持ち良い。カットしてくれた美容師さんはとても柔和な感じの男性で、こちらの語彙が足りないのを補うために、雑誌を何度も見せて確認してくれたり、少し切るたびに「こんな感じか?」と確認してくれたり、とても丁寧だった。技術もあったように思う。日本でやってたときより、要望通りに切ってもらえたので本当に驚いた。かなり満足して店を出る。65元。普段ならかなり財布が傷い感じがする額だが、良い気分にさせてくれたので気にならなかった。

大連で髪の毛切りたくなったら是非お声がけを。その美容師さん紹介します。

April 30, 2005

給料日

昨日は初給料日だった。給料日と行っても、貰うほうじゃなくて、渡すほう。自分への給料はまだ出せない。(必要なお金は使ってるけど、支出を可能な限り下げる生活。一ヶ月に純粋に自分のために使うお金は1000元以下。)

まだ試用期間であるということと、会社としていくらも稼げていないことから、渡せた額はとんでもなく少ないが、感謝の気持ちを込めて現金を手渡す。

わずかな資本金を食いつぶす毎日で、その資本金から給料を削りだしただけだけれど、一日も早く自らの力で会社に収益を入れたい。そんで、働いてくれる人たちに、彼らの同期と比べても高い給料を払えるようになりたい。そう強く感じた一日でした。

April 27, 2005

郵便届いた。

うちの郵便受け、あまりにぼろくて、しかも開かない鍵までかかってて使えるのかと疑問に思っていたら案の定使えなかったようだ。

ある日郵便屋さんがドアまでやってきて、直接手渡しで母からの葉書をくれた。「よく手紙くるの?」と聞かれたので、たぶん来る、と答えたら、10元で新しいポスト取り付けてあげると言われた。10元を渡すと郵便屋さんは帰って行った。30分ほどして、外に用事があったので出てみると、すでに新しい郵便受けが設置されていた。仕事速い。

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こんな感じに、使う世帯のポストだけ壁に取り付けられている。この緑のがうちの。中身を取り出すためにいちいち鍵を開錠しなければならないのがちょっと煩わしいな。けどこれで安心して友人達に住所を教えられます。ちなみにEMSならいずれにしてもドアまで持ってきてサインを求められるタイプなので大丈夫みたいです。

April 26, 2005

麻煩

独立するにあたり、就労証の情報を自ら作った会社の情報に変える手続きを進めていた。そのためには、大連に来た当初お世話になっていた居候先の会社の退職証明が必要だったのだが、ある事情により現在この会社はペーパーカンパニー状態になっていてその証明書を発行できない状況にあった。

なんとか事情を話しても、労働局は当然、証明書が無ければ書き換えはしない、とのこと。

書き換えをしなければモグリの就労者になってしまうので困った。

困ったので相談に日本総領事館に行ってみた。セキュリティチェックを通って窓口まで行くと、丁寧に対応される。あまり無いケースなのか、何度も状況を確認され、何十分も待った。すると、窓口の人が待合スペースにやってきて、応接室に通すと言う。なんか大げさなことになったら面倒だな、と思ったが何が起こってもおかしくないし、と考えて落ち着く。さらにセキュリティチェックを通され、首から大きな許可証をぶら下げさせられて応接室に案内された。出されたおいしい茉莉花茶を飲みながら待つこと十数分。領事の方がわざわざ出てきてくれて、再び事情を聞かれた。一通り話し終わると、「正攻法がダメだった場合は、裁判しかないですね」と一言。さすがにこれにはびっくりした。自分はlitigiousな発想(日本語でなんて言うんだろ)は嫌いだし、そもそもそんなに事を荒立てたくなかった。しばらくうーんと唸っていたが諦めて正攻法で攻めることに。正攻法とはつまり、とにかく退職の承認を得た、という体裁を整えること。

その後、なんとかペーパーカンパニー化した会社の「元」役員を捕まえて説得し、自作の退職承認書に判子を押してもらうことに成功した。体裁は整えたと言っても、正式な承認があったわけではないので、正攻法とは言えないかもしれない。正式な承認を得る前に、会社が霧散してしまっていたのだから仕方ないのだが。面倒ではあったけど、ようやくこれで名実共に完全に独立。とにかく裁判沙汰を避けれて本当によかった。

しかし判子一つのために、貴重な時間を二日も使ってしまった。価値を生まない労働は疲れます。

April 24, 2005

酒水

大連はお酒が安い。ビールは普通のレストランでも5元や10元。安い店の安いビールなら1元からだってある。日本で言う清酒に近い白酒も、数元からあり、10元もだせばそこそこのものが飲める。

だけど、大抵この2種類しか飲まないようで、普通の酒売り場には他の酒がほとんどない。ウィスキーなんて特別な洋酒コーナーにおいてあるだけで、シーバスリーガルの小さめのビンで300元もする。

P1000292.JPGでも今日近くのスーパーで、初めてブランデーを見つけた。しかも12.5元。笑えるくらい他の洋酒と値段が違ったので、興味本位で買ってみた。写真の左の瓶がそのブランデー「Louie Wann(煙台産フランス独資企業)」、右がついでに買った5元のワイン「野生紅。」 まずは野生紅から試飲。色がくすんでて一瞬ひるんだ。味は、たしかにワインのコーナーで買ったのだが・・・グレープジュースそのまま。瓶を見るとアルコール度数は4%。ほんとにジュースだ。ん、今よく瓶を良く見ると、ワインを意味する「紅酒」ではなく、「山葡萄酒」と書いてある。間違えた。まぁいいや。次こそはワインを買ってこよう。さて次はブランデー。こっちは見かけも香りもブランデーそのものだ。味も全然まずくないし、普通にいける。これなら無理して数百元のブランデー買わなくとも、こっちの安ブランデーを買いだな。

こんなに安ければ気軽に飲める。これでまた楽しみが一つ増えたな。

April 23, 2005

say hello to Xinghai Park

ちょっと遅れたけど引越しについて。

これまでは五一広場というところの近くに居候として住んでいたんだけど、これからの仕事場により近いところで独立して生活するために引っ越すことにしていた。友達に聞いてもらったり、街の賃貸情報(電信柱に貼ってあったりする)なんかを見て探していたのだがどうもこれといったものに出会えず、仲介業者を利用してみることにした。100元払うと気に入る物件が見つかるまで探してくれるらしい(1ヶ月間だけ)。

予算は、初めは1000元以下とか言っていたのだが、やがてそれが贅沢であることに気づき、800元以下で探した(それでも普通の同年代の人たちは同じような部屋を三人とか四人でルームシェアするのだから贅沢には変わりない)。やっぱりそれなりに便利なとこにあって、それなりに住み易そうなところというと中々見つからない。15,6件目にようやく、あ、ここなら、という物件に出会った。

中国のアパートは、普通のとこなら管理会社とかはなく、それぞれの部屋を別々の大家さんがそれぞれ所有していて、その大家さんから直接交渉して借りる。仲介所は大家さんを紹介してくれるわけだ。

P1000264.JPG星海公園のバス停のすぐ傍、仕事場までバスで一本、市中心地までもバスで一本の便利な場所だ。

P1000266.JPGこの郵便受けが果たして使えるのか、かなり心配(ここの住民達が使ってる形跡はない)。

P1000249.JPGP1000250.JPG玄関。

P1000260.JPG居間と前の住人が残していった家具。

P1000261.JPG地面はこのようにコンクリート。とにかくかなり汚れが激しかった。3回くらい濡らしたブラシで磨いてまだ汚れが残る。

P1000258.JPG今回の引越し作業、中国でできた朋友の絶大なる支援によって完遂できたのだが、途中同じ棟のおばあちゃん達も4人くらい来て掃除やら荷物運びを手伝ってくれた。会えばちょっと話す仲になれた。

P1000270.JPG汚れたコンクリートの地面はちょっと快適とはほど遠かったので、安い絨毯を買って敷いてみた。見違えるほど快適に。この部屋で月750元(約1万円)は納得かな。(850元から値切った価格。おばあちゃんたちに言わせるともっと安くいけたらしいけど)

P1000269.JPGキッチン。ここも磨いて見違えるほどの綺麗さに。コンロはマッチで火をつけるタイプ。この電子ジャーはカルフールで49元!!

P1000279.JPGP1000281.JPG

ちなみにこの3日で4回の停電と、30時間の断水があった。断水はトイレも使えなくなるのでしんどかった。停電だが、いわゆる「ブレーカーが落ちる」という現象と同じようなもので、うちの電気だけが止まる。ただ、ブレーカーが落ちる代わりにブレーカー部分の電線が焼き切れる、という安全装置。電気が止まるたびに針金のような電線を手作業で張り替えて繋げなければならない。これはめんどい・・・
大家さんいわく、パソコン三台と冷蔵庫と友人がプレゼントしてくれたヒーターが同時に接続されるような電力の使い方は想定外だそうだ。でも使いたい!とだだをこねたらブレーカー部分を新しくしてくれた。大家さんもめちゃくちゃいい人なんです。(二日に一回くらいなんかの問題で部屋に来てもらってる)

まぁいろいろ日本に比べてしまうと不便な部分もあるにはあるけど、思っていたよりもかなり快適に新生活がスタートしてしまった。引越してもう結構たつけど、すでに居心地いい。居心地いいけど、なるべく部屋にこもらないようにはしようと思う。

April 21, 2005

to yogurt or not to yogurt

2回目の食中毒にやられた。

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普段は寝てやりすごす体調不良も、大事な仕事があってなんとか早く治したかったので中国の病院デビュー。歩いていける距離にあってよかった大連医科大学付属病院。

採血されて、点滴を勧められるも、200元なんて大金持ち合わせていなかった。抗生物質(25元)だけ出してもらって帰る。お腹の激痛は翌日まで続いた。ちなみに保険とかどうなってたんだろう。

その日の朝に食べたカルフールで買ったヨーグルト、4つで1.6元って怪しいと思ったんだよね・・・

April 20, 2005

peace

最近問題になっている中国と日本の関係悪化や各地のデモに関する報道を受けて、多くの方々から心配のメールを頂いているので、この場でも無事を表明しておこうと思います。

大連ではまだ大規模な混乱は起こっておらず、日本人だからと厳しい目で見られることもまだ経験していません。この騒ぎの中でも、日本人留学生やその他の日本人と会ったときでさえ、この件が話題に上がらないくらい、何事もなく過ごしております。

大連は日本企業の進出が諸外国の中でも圧倒的に進んでいることや、日本語学習者も英語学習者に近い人口があることから、ほかの地に比べて日本に理解があったり同情的だったりする人が比較的多いのかもしれません。(皮肉をこめて「中国唯一の親日都市」なんて言われたりします)

一つ聞いたとすれば、先日、日本総領事館の大連出張事務所や多くの日本企業が入居する大連の森ビルで、200人程度のデモが行われたようです。ただそのときも、同じく200人程度の警官が動員されたとかで、大事には発展しなかったと聞いています。

大連ではまだ何も起こっていないからといって、油断はしきらずに、適度の緊張感を持って慎んだ行動を心がけたいと思っています。

今回の件で一番心配するのが、政府の間だけでなく、民間の個人個人が、互いの国民に対して憎しみを持つことです。

中国と日本、民間レベルではきっと仲良くしようと努力している人が大勢なのに、この事態は本当に悲しい。

たとえば今朝もある中国人が、僕が日本語学習教室に残した電話番号を見て連絡をくれて、友達になりたい、と言ってくれました。

早く両国の関係が改善されることを願います。

April 15, 2005

虫を食す。

中国人の友人に招かれ、見知らぬ大勢の中国人と食事に行く機会があった。中国焼肉。なんだかんだ言って、日本語も英語も完全に通じない集まりというのはそんなになかったので新鮮だった。

P1000263.JPG何が食べたい?と聞かれるも、これが食べたいと言えるほど中国の料理を知らないので、「あなたたちが食べるものを僕も頂きます」とにこやかに答える。すると出てきたのがコレ。なんだかうにょうにょと動いている。ぞっとする、を通り越して笑えてきた。聞くと蚕のサナギだそうだ。これを網で焼いて食べる(最悪の事態と想定していた踊り食いは避けられた)。網に乗せるとはじめはあばれる。そのうち焼けてくると、たまに破裂して黄色い汁が飛び散る。焼けると、中身から黒い筋のようなものを取り除いたら、そのまままるごと口の中に放り込み、中身を食べたら皮を吐き出す。おいしそうに食べていたが、この光景自体がもうなんだかしんどかった。これまた物凄くにこやかに勧められたので、これまでにない勇気を搾り出して食す。案外、食べられないほどの味ではなかった(吐き出すようなことにならなくてよかった)。が、とても苦くて、二個目からはやはり遠慮した。ウニとか好きな人は、好きになれるのかも。

その夜、他にも鳥の頭が4つ連なった串焼きや、ウサギ焼きなど日本人にはなじみの薄い食材が沢山ならび、なんだか本格的に中国っぽい食卓となった。

食に情熱を感じない僕としては、がんばって本場の料理に慣れ親しもうという気概は湧き上がってこないので、たいていは無難な中華でやり過ごしていきたいと思ってます・・

April 12, 2005

igosso

P1000246.JPG大連で自分が知っている店なんてまだまだ少ないけれど、その中でも自分が一番好きな店でちょっとしたパーティーがあった。

イタリアンレストランバーだがオーナーと店長は日本人。マスターは自分と同い年で、すでに経営をほぼ任されているという。飲みに行く時はこのマスターと話せるのが楽しみの一つ。普段からジャズが流れて間接照明がとても暖かい、感じの良い店だが、この日はライブパフォーマンスと大勢の来客とでいつもとはまた違う居心地の良さがあった。

P1000245.JPGパーティーには日本人客がやはり多かったのだが、それ以外にも欧米系の人々も沢山来ていた。気づくとイタリア人留学生のグループの輪の中に。日本人、韓国人、ドイツ人も混じって、ちょっとした国際交流サークルのようなノリになっていた。簡単な言葉は中国語で話し、ちょっと話が長くなると英語になり、込み入ってくるとイタリア人同士がイタリア語で英語が得意な人に説明して僕に通訳、という感じになる。イタリア人と中国語で会話する、というのもかなり新鮮で楽しかったが、やはりこういうときに、国際語として英語がやはり流通していることを実感するとともに、英語が話せてよかったと感じる。それと、アイルランド人の方と話していた時に、「アメリカに居たの?」と聞かれて、そうだと答えると、「アメリカ訛りがひどくても気にすることないよ、通じれば!」みたいに言われると、やはり今や世界中で話される英語にとってアメリカの英語も、いち方言に過ぎないことに改めて気づかされる。アメリカ英語を「英語」として教える日本の英語教育がますます心配になる。

仲良くなり始めていた店員さんが転勤になってしまうということで彼との別れを惜しみながらパーティーはお開きになり、僕はそのままイタリア人留学生たちに誘われて彼らが通う大連外国語学院(中国トップクラスの語学大学)の寮についていった。そこで彼らが淹れてくれたエスプレッソを飲みながら、夜遅くまで語り合った。これからも会えそうなので今後の交流の広がりが実に楽しみ。

April 07, 2005

一時帰国Highlights

三月から半月ほど日本へ一時帰国していました。

半月の間のハイライト。

■まずは卒業式があった。
塾生と呼ばれるのもこれが最後。
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戦友ポムチューの袴姿です。
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生憎の天気だったけれども袴姿な皆さん最高でした。
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■園遊会(卒業パーティー)があった。
豪華すぎる会。うちの大学は特に派手にやっているほうだとか。
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広い会場と数千人はいようかという来場者の中から仲間を探して歩く。
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テレビのインタビューを受けるポムチューとN岸。それを甲斐甲斐しくカメラに収める。
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最後は応援指導部によるステージに会場は大いに盛り上がって終了。
いつかまたこんなに大人数で肩を組んで「若き血」を歌う日が来るんだろうか。
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園遊会終了後は近くのホテルに同期の有志と流れ込む。夜明けと共に解散した。さらば学生時代。

■研究室の打ち上げがあった。
奥出研はいつでも「普通」ではいられない。今回の宴会は「熱海城天守閣貸切」
尊敬する、僕が知る「人生を最も楽しむ男ナンバー1」のkamadango氏がまたやってくれた。
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詳細は、ぽが姫の「おいっすぺ小史」に任せる。あときよっしぃのアルバムも。
ここの人たちホント楽しいから好きだ。

■空手のコーチをしていた女子高の子達に卒業祝いをしてもらった。
久々に小学生と女子高生の空手の稽古に参加した。休憩時間、小学3年生のそれはそれは可愛い少年達がやってきて曰く、「コーチコーチ、中国語でさ、『私の妻が浮気しています』ってどうやって言うのか教えて!!」 ・・・とってもとっても可愛い子達なのに。

その夜、同じく女子高コーチをやっている同期のI橋と、女子高の連中に焼肉に連れていかれる。最後にどーんとおごってやるかぁ、なんて思ってたら、「今日は女子高のおごりですから!」などと言う。といっても焼肉をおごらせるなんて16歳に、ましてや体育会の後輩にさせていいはずもなく、食い下がろうとしたら凄い勢いで睨まれる始末(この迫力を試合で出せといいたい)。大人しくご馳走になってしまった。「株で勝ったんです」なんてサラっとのたまうあたりもマセすぎている。
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が、卒業祝いの名前入りペンと色紙にはやられた。こういうのに弱いんだ。ホントに嬉しかったので色んな奴に見せて自慢してやった。ここでも自慢する。ほんとに、僕のお気に入りの後輩達は楽しくて才能あって可愛い奴らです。将来絶対有望です。

■スペシャルなジャズライブに招待してもらった。
Yokohama Motion Blueにて塩谷哲(p)、金子飛鳥(vln)、大儀見元(per)の変則trio。大学1年の頃静岡で見た自分史上最高の感動をくれたメンバーだ。しょっぱなから変則的で独特なアレンジを効かせてある「ノルウェイの森」で始まり、いきなり引き込まれる。お決まりの「Englishman in NY」も、どうしてこの人はこんなにも・・と心底不思議に思わせられる旋律で楽しませてくれた。ステージが短かったことだけが残念。いつかまた見に行く。

■理工学部一年生だった頃の友人と偶然繋がり再会した。
理工時代、般教でわずかにクラスがかぶった友人三人と、事業パートナーでもあるTの5人で昼食を食べた。なんでも、Tが「藤原賞」の受賞パーティーで、ふと僕の名前を聞いたらしく、その話をしていた人に声をかけたら、本当に僕の噂話だったらしく。それで意気投合したのか、早速昼食会がセットアップされて、再会となった。その人たちは僕と1年生の頃授業がいくつか一緒になったことがある人たちで、それ以来会っていない。よく覚えていてくれたと思う。またどこかで繋がると面白いな。
後列左から、ルーシー、K沢さん、K籐くん。
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■愛媛へ出張0泊3日。
経費節約のため、夜行バスで愛媛。初四国である。
夜を越えて、早朝の瀬戸内海を瀬戸大橋から。
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瀬戸大橋を過ぎた直後、このバスはETCにたいして減速せずに突っ込み急ブレーキ、激突。ほとんどの客にとってこれがいささか不愉快な目覚ましとなる。大事には至らなかったし、ちょっと面白かったけど。

スケジュールの合間を縫って道後温泉へ。趣ある外観に感動。この温泉、始まってから3000年の歴史があるというから驚きである。
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そして、なんといっても愛媛は食べ物が旨かった!うどんと海鮮を頂いたのだが、感動の嵐だった。絶対また行く。


とまぁ、こんな感じで楽しいことが沢山あった。おかげですっかり日本が名残惜しい。

帰連後の当面の楽しみは、知り合いの会社が運営するという日本語学習者向けサロンと、ゲーマーの旧友推奨の「マリオのピクロス」かな。

さて、これからが本番。働く。

February 26, 2005

use

ただいま独立準備中。

居候している会社から、そろそろ独立するためにいろいろ準備を進めている。

自分の仕事場や住居の選定、通訳さんの雇用などが先立って必要な事物。

もちろん中国での勝手が分からない自分ひとりでは何もできないので、多くの友人にかなり手伝ってもらってやっている。皆の協力ようは本当に感動モノです。

先日、物件探しを手伝ってくれていた友人の一人と、こんなやり取りをした。

友人が、「家賃一ヶ月1300元の物件があった。新オフィスのすぐ裏で、家具も全部ついていてとても便利。だけどちょっと高いね。もっと安いところを探したほうがいいかな。古くて汚いかもしれないけど。」と持ちかけてきた。それで自分は、そうか、便利だけど、ちょっと高いね、古くてももう少し安いところを探そう、稼げたら引っ越せばいいね、というような返事をした。すると友人は、少し残念そうに、「・・・日本人は、みんなそうなのね。」と言った。

日本人はみんな。この言葉が胸に突き刺さった。僕が「日本人は」という括りで話されるのが好きではない、というのもある。けどそれ以上に、日本人はみんな、高くて綺麗なところに住みたがる、と言われ、何がいけないんだろう、とちょっと考えてしまった。

日本では一般的に、若い人で月給の3分の1くらいの家賃のところが生活に丁度いいと言われていると思う。つまり、3分の1よりも安いところに住んでいれば、3分の1の水準まで上げても大丈夫、ということで、集合住宅から一戸建てに引っ越したりするんだと思う。そういった感覚で、自然に、お金稼げたらもっといいところに、と考えて出た発言だったのだろう。

でも、考えてみれば、自分に特別高くて綺麗な住居に対する憧れがあるわけではない。家賃は決して小さなお金ではないから、家賃を抑えたら相当いろんな別のことにお金を使えるはずだ。2万円安い物件に入れたら、月2万円の習い事とかできるかもしれない。日本人はよく遊び方を知らない、とか、余暇の使い方が下手、といわれる。家賃に月給の3分の1もかけるからかもしれない。食費やその他諸々の生活費を差し引いたら、手元に残るのはいくらだろうか。

さきほどの友人は、いわゆるOLだが、彼女は月給の20分の1以下の家賃で生活している。洗濯物も手洗いだ。住宅事情が日本とは違うが、きっと彼女は、住居以外のお金の使いどころを知っているのだろう。

たとえば、中国の人たちは、正月実家に帰省する際のお土産に月給数か月分をかけたりするらしい。大切なことに、大切なお金を使う。

今の自分にとって、少し部屋が広いとか、日本並みに綺麗とか、仕事場まで歩いていけるとか、きっとそれほど重要ではないはず。もっと、大切なお金の使い道がありそうだな、と思い始めた。

お金は大事だからね、よく考えないとね。

February 20, 2005

山東省旅行

暇で暇で仕方なかった。


年が明け、さぁ大連の正月はどんな感じかなーと街に繰り出してみても、人通りが少なく、ほとんどの店が閉まっている。なんかもっとにぎやかなものを想像していた。2日目も何もなく、友達もいないので何もすることがなく部屋でぼーっとするのみ。3日目、やはりすることがなく、一日読書をしていたが、夕方突然空しくなった。大学時代、ほとんど連休などにありつけたことはなかったのに、ここにきて7連休もあって何もしないなんて。正月に入るまであまりに忙しかったため何の計画も立てられなかったのだが、思い切って計画なし、気の向くままの、思いつき旅行に行くことにした。山東省なら大連から湾を挟んで対岸の土地だ、そう遠くないし、低予算で気軽に行けるだろう。思い立ってすぐ大連港へ向かった。翌朝一番の船の切符を買って帰る。バックパックに簡単な荷物を詰め、翌日を待った。

P1000095.JPG翌朝、7時前に部屋を出て、大連港へ(写真)。船で移動するのって何年ぶりだろう。思い出せない。買った切符は高速艇のもの。通常の船の切符の二倍以上の値段だが、半分以下の時間で対岸の町、煙台に着く。高速艇の利用で浮いた時間で、初日から色々動けるという目算。時間はお金で買うものですからね。高速艇「海鴎」は三時間半かけて目的地の煙台港に到着する。船内で上映されていた映画が、年末から上映開始になったばかりの話題作、アンディー・ラウとレネ・リウ主演の「天下無賊」だったのは思わぬ収穫。煙台についたのは丁度昼どき。昼食を食べながら次の行動を考える。山東省には中国の四大名山の一、泰山があるというので、次の目的地をそこに決定し、夜発車する切符を買いに煙台駅までバスで移動した。宿代を浮かせるため、移動は基本的に夜にして寝台車で車中泊だ。

P1000123.JPG中国の列車には、無座、硬座、軟座、硬臥、軟臥の5種類の席がある。無座は自由席、硬座は日本でいう東海道線の向かい合わせの席のようなやつ、軟座はグリーン車のような席、硬臥は上中下三段の寝台、軟臥は二段で個室になっている。値段はそれぞれ倍倍になっていくようなイメージだ。泰山までの乗車時間は10時間ほどなので、寝台が取れなかったらきつい。値段も手ごろな硬臥は庶民のメインの移動手段らしく入手が困難と聞いていたが、運良く問題なく取れた。89元(写真、泰山までの硬臥)。春節の真っ最中なので駅構内も空いていた。しかし帰りはリターンラッシュのピーク時だ(春節は全国的な一斉シャットダウン、民族の大移動が起こるので混雑度は深刻)。来てしまってから考えてもしょうがないが帰れるかちょっと不安になった。

P1000102.JPGさて、切符も問題なく取れたので次の目的地へ向かう。次は「蓬莱」だ(写真、蓬莱の町)。煙台から70キロ、バスで1時間半だという。切符を買ってバスを待つ。待つ間、もう一人同じバスを待っていると思われる男性に話しかけた。バス遅いですね、とか。そのうち、「中国人?」と聞かれたので「いや日本人」と答えたら、「ああ、日本人だったんですか」と日本語で返された。びっくり。なんでも、数年前まで筑波大学に2年留学していたそうだ。バスが来て、蓬莱につくまでの1時間半、二人でずっと日本語でおしゃべりをした。ちなみに、バスには僕ら以外運転手と添乗員だけだった。蓬莱では、蓬莱閣を見るといいよ、と言われ、そこまで案内してもらって握手をして別れた。

P1000115.JPG蓬莱。日本の昔話や伝説でも時折耳にするこの地名。来る前にちょこっと調べたところ、どうやら偶然の一致ではなく、この山東省の蓬莱が、その蓬莱らしいのだ。これは行くしかないと思った。蓬莱で有名なのは、徐福や七福神が蓬莱から日本へ出発した、というのがあるが、自分にとって蓬莱といえば竹取物語でかぐや姫の婿候補に取って来いと命じた「蓬莱の玉の枝」だろう。物語では結局蓬莱に行くことはできず、贋物の玉の枝を用意したわけだが。そこへ来てしまった。ちょっとした感慨。秦の始皇帝が不老不死の薬があると信じて徐福を派遣した地でもある。七福神が蓬莱の港から出発したという伝説の場所でもある。蓬莱の浜辺につくと、七福神ではなく八福神の像があった。帰ってきた後調べたところによると、日本に来る間に一人減ったらしい。何があったんだ。蓬莱では、蓬莱閣を見たらそれでほぼ時間切れになった(写真、蓬莱閣をバックに自分)。蓬莱閣は、中国四大名楼の一つらしく確かに綺麗だったが、入場料が高かった(70元)。

蓬莱からまたバスにのり煙台へ。そして、煙台の道端の串焼きで夕食を済ませ、電車の発車時刻まで駅で待つ。中国の列車に一人で乗るのは初めてなのでちゃんと乗る列車が分かるか、少し緊張した。結局何の問題もなく乗車。隣のベッドの人に大体の到着時間を聞き、そのまま寝た。翌朝には道教の聖地、泰山だ。

初日に使った費用:高速艇222元、市内バス3元、蓬莱までバス往復30元、食費28元、蓬莱閣70元、地図2元、湯のみ18元、列車89元、その他16元。計478元。

P1000126.JPG朝七時に泰山駅に着き、降りてすぐ地図を買い、朝食にピータン粥を食べた。駅から泰山まで行くためにタクシーの客引きと少々面倒なやり取りをした後、結局ふもとのメインルート入り口に連れていってもらう(写真、第一山)。ふもとから、登る。実は、中国一の名山や霊山と呼ばれる泰山を見てみたい、という思いで来はしたが、登るつもりはなかった。普段着だし。革靴だし。しかし、この日は濃い霧と雲で、泰山はほとんど見えなかった。せっかく来たのに見れないのではつまらないので、じゃあ登るか、という単純な動機。この時点ではここから7000段もの階段を登らなければならないとは知らなかった。

P1000135.JPGこういう岩山の寂寥とした感じはいい(写真)。古来から聖なる山として特別な地位を守ってきただけの趣がある。登山道の横を流れる川の脇には「ここで洗濯しないでください」の立札。世界遺産だけあって、所々に英語の案内や説明書きもある。それを読み進めながら、徐々にここがどのような場所かわかってくる。秦の始皇帝の時代には既に中国第一の霊山という地位を確立していたようだ。始皇帝が雨宿りをした松の木、なんてもの残っている。2500年も前の話。日本とは昔話のスケールが違う。

P1000143.JPG大分歩いたな、と疲れてきたところに、大きな門が見え始め、一つの峰の上まで来たように思われた。しかし、英語の説明書きを読むと、そこは中天門、天まで半分のところということらしかった。一気に力が抜けたが、せっかくなので頂上を目指す。歩き始めると、目の前に天まで続くかと思われるほど馬鹿長い階段が現れた。はるか彼方に天のそれであるかのような門が見える(写真)。早速くじけそうになるが、あまり考えないことにして、足を進めた。ゆっくり、ゆっくり段を登って行く。途中何箇所もあるお土産処兼休憩所の一つで、泰山名物という前餅と、大量に売られているカップ麺を食す。このカップ麺、船でも列車でも街中でも観光地でも、ホントどこいっても売られていて、そして皆が食べている。

P1000153.JPG結局トータルで五時間程度かかり、泰山頂の玉皇頂に到達。自分が立っているこの場所に、秦の始皇帝を初め、数多くの皇帝たちが立ったのだと思うと感慨深い。日本にはまだ文明もない頃、世界を統一した男が天帝に祈りを捧げに来ていた。泰山の頂から望む景色に、自分も中国での成功を願かけた。そしてまた2時間ほどかけて下山。ふくらはぎが小刻みに震えてくる。翌日の筋肉痛が容易に想像されたが気にしてもしょうがないし、頑張った証拠のような感じがしてむしろ楽しみでさえあった。それでも、夏に登った富士ほどきつくは無かったが、やはり登山はもうしばらく遠慮したい。

P1000177.JPG山をおりると、ふもとで相乗りの客引きをやっていた。丁度次の目的地と決めた省都済南までの車があり、しかも20元とお手ごろ価格だったので乗った。10人くらいがバンに乗って、済南まで2時間弱(写真、済南の街)。済南のバスターミナルで降り、とりあえずこの街を出る時のために駅をチェックしにいくことにした。駅の切符売り場で切符の発行状況を見ると、ほとんどが売り切れている。嫌な予感を感じつつも並んでみた。この時点で、連休最終日に帰るのではなく、その一日前に帰れるように、翌日の夜には済南を発ち、そのまま列車で大連に直行するスケジュールにすることにしていた。が、案の定大連までの切符はもうなかった。幸い翌日夜出発の煙台までの切符はあったので(しかも硬臥)、それを買い、煙台で問題なく船の切符が買えることを祈るのみだ。

P1000161.JPGこの日は、まだ少し時間があったので、黄河を見に行った。中国文明を育んだ黄河。済南はまだ内陸なのでそこまで太くもなく、ただ黄色い川が流れているだけだったが、夕日に照らされた黄河を眺めているだけで、なんだか自分が中国にいることをやけに実感できた。タクシーで街まで戻る間、運転手にこの街のことを色々と聞いた。人口はほぼ大連と同じくらい。人口は多いが町並みは古く、途上国の都市の趣きが強い。外国人はほとんど見ないそうだ。済南の若者についてなど色々話したあと、賑やかなところまで、と言ったら何故かサッカースタジアムに連れていかれた。たしかに普段は賑やかなんだろうが、今は春節で、しかも夜。当然スタジアムには誰もいない。周りも何もない。だが降りてしまった。何を考えていたんだろう。しょうがないのでそのままかなり歩いて食べるところを見つけ、バスで駅周辺まで戻り、その日は近くのシャワー屋さんに入り、経費削減のためそこの休憩室に泊まることにした(43元)。ここでもトラブルがあったが、書くのも疲れるトラブルなので割愛・・・

二日目の費用:食費41元、地図2元、泰山入場80元、切符代(煙台まで)114元、その他交通費96元、シャワー屋43元、その他11元。計386元。

P1000170.JPG三日目、午前7時から活動開始。朝からなぜか気分が悪い。泰山登山の筋肉痛で全身が痛いというのもあったのだが、腹も痛くて頭も重い。この日は一日済南の街を歩いて、夜の寝台列車で煙台に戻る予定。この体調で一日歩くのかと思うと気がさらに重くなった。まずバスにのって天下第一泉と称される[足勺]突泉を見物に。入園料を払って園内に入ると、落ち着いた古風の庭園に多くの泉が沸いている。カラフルな金魚が沢山泳いでいて綺麗。夏には睡蓮が咲き乱れているそうだ、惜しい。そして園内で一際大きく、勢いよく水を湧き立たせているのが、[足勺]突泉だった(写真)。途中園内の泉と泉を繋いで流れる水路を見ていたら、ぎょっとするほどでかい魚が横切った、と思ったらなぜかアザラシ。ホントびっくりした。

[足勺]突泉の園内にあった画廊をゆっくり眺めた後、次の目的地である千仏山へ。千仏山へついたはいいものの、気分が悪く山を登る気がしなかった。回りから千仏山の古刹を眺めて、満足する。さて、千仏山で半日は潰れると思っていたのだが時間が浮いてしまった。そういえば山東省博物館なるものがあると聞いていたのでそこへ行って見よう、と思い立ち、地図を広げたらほぼ目の前にあった。かなり大きな造りに見えたので期待して中へ入るが、見事に裏切られる。展示は少なく(4つくらいしか部屋がない)、所蔵しているという3つの国宝も展示されていない。唯一心が躍ったのは、恐竜セクションにあった、山東竜の骨格だろうか。大きい。山東竜のあの山東省にいるのか、と変な感慨が起こった。しかし全体としてはやはりほとんど見るべき点がない。インドのカルカッタで見た博物館を思い出した。とても汚くて、文化財の保存という意味で大丈夫なんだろうかと心配になるほど。そういえば、済南の街はどことなくインドの町並みを思い起こさせた。雰囲気がインド風、という意味ではない。人口は多く、都会なのに、建物や街並みがとても古く、洗練された空気がない。栄えているようで貧しい、そんな街。

P1000178.JPG博物館を後にして、適当に市街地へ入る。本格的に体調が悪い。この日の済南はとても暖かく、薄手の上着でも着ていれば外をあるける気温だったはずなのに、セーターの上にダウンジャケットという格好の自分がガタガタ震えているのである。鳥肌も立ちっぱなし。熱が出てるな・・・と思ったところで、カルフールに入ってベンチで1時間ほど休んだ(写真)。昼食もまともに取れなかったのに、なぜか身体が無性にコーラを欲していた。しかも普段飲まないペプシ指定で。これはきっと何か根拠があるに違いないと思って、欲求に従ってペプシを飲んだ。なぜかはよく分からないけど、腹痛が少し治まった気がした。その後も、ゾンビのような面持ちで済南の街を歩く。

P1000184.JPG次は泉城の別名を持つ済南の街の中心地にある大明湖へ(写真)。ただっぴろい公園。有料の公園なのに、多くの家族連れで賑わい、カーニバルのようなものが常設されているようだった。様々なゲームでぬいぐるみがもらえるあれ。その辺は騒がしかったので離れる。古刹も回りに点々とあって、その周辺を歩く。木々と古刹と泉がマッチする風流なとこだなぁなんて考えて歩いていると、綺麗な鶯の鳴き声があちこちから聞こえてきて、ああいいなぁ、なんておあつらえ向きなんだと思った刹那、木々にぶら下がる数多くの鳥篭を発見。作為的な演出だった。

それからも、バスを乗り継いだり、街を歩いたり、無目的に済南の街を歩く。夜の列車まではかなり時間があった。途中、迷子の少女と出会う。時間あるし、一緒に親を探そうということにした。探しているうちにこの子とも仲良くなって、時間も過ぎていくかな、と思ったが親は五分で見つかった。バイバーイとあっさり別れる。何も考えずに駅周辺に赴き、昨日は開いていなかったネットカフェに再度訪れた。春節中なので多くの店が閉まっているのだが、この日から開いた店は多いようで、そのネットカフェも開いていた。入って、1時間ほど悪戦苦闘しながらPCの環境を日本語環境に設定する。そして、そこで列車の時刻まで時間をつぶした。列車の時刻が近づき、駅に入る。駅の待合室でしばらく並んで待つが、程無く列車が到着し、乗り込む。寝台での回りの人々との交流もそぞろに、一人夕食がわりのパンをかじって、早々と寝入った。体調は本格的に辛いことになっていた。

三日目の費用:食費36元、入場料系45元、ネットカフェ10元、交通費10元。計101元。

P1000189.JPG翌朝、煙台に着く。ここで切符が変えなかったら大連に帰れない。休みが明ける前に帰り着く、という問題の前に、この体調でこれ以上旅行を続けたくなかったのでとにかく早く帰りたかった。駅に着いたら体力ふりしぼってダッシュで発券所まで行く。そう決めていた。列車が止まって、構内に降り立ち、走って発券所まで行った。切符は、1時間後出発の一番安い五等が無事買えた。ほっと胸を撫で下ろした瞬間、携帯電話をなくしていることに気づく。列車においてきた。戻って探すが、やはりもうなかった。頭が働いてないなぁ、と自分に呆れつつ、港へ向かう。帰りは通常の客船なので、ゆっくり大連へ航海する。天淮号の五等室に入る。船の最下層に簡易式二段ベッドをずらっと並べただけの所(写真)。ここで寝そべりながら音楽を聴き、読書しながら、9時間の航海をやりすごした。

P1000190.JPGそして大連港へ。港へ降り立ち、その足で携帯電話を買ったカルフール科技谷店へ。しかし生憎閉まっていたので、そこで夕食代わりの焼き芋とりんご二つ(計2元)を買って部屋に帰る。日が沈む前には部屋に着き、すぐ体温を測ってみると38.5度あった。小さい頃から頭痛持ちで身体も弱かったが熱はあまり出したことがなく、平熱も低い自分にはかなり苦しい熱だった。ルル飲んで布団に倒れこんだ。風邪がこんなに苦しいとは・・・。そのまま翌朝まで寝続けた。

四日目の費用:船代92元、夕食2元。計94元。

四日間の費用合計:1059元 (+携帯650元・・・) 1元=約13円

春節連休最終日である翌日も動けず、こうして僕の春節暇つぶし計画は終了した。

February 16, 2005

除夜

今年の春節(日本の旧正月)は2月9日。全土で多くの中国企業が2月7日や8日から、7〜10日間のシャットダウンに入る。春節には、たとえ何歳になろうとも親がいる人は皆親元へ帰省するというから、全国的な民族大移動が行われる。街は大荷物を抱えたこれから帰省する人と、帰省しに来た人たちで溢れている。大荷物のほとんどはお土産だそうだ。凄まじい量のお土産。この一週間で多くの人が給料の2,3か月分を平気で使い果たすそうだ。貧しい人も、日ごろコツコツと貯めたお金をここぞとばかりに放出するというから、半端な景気ではない。街中ではひっきりなしに爆竹と花火の轟音が聞こえてくる。

2月8日は旧暦の除夕(大晦日)。すでにシャットダウンに入っていたので暇で仕方がなかったが(こっちでできた友人はほとんど田舎に帰省してしまっている)、間借りしているオフィスの女性が夕方電話をくれて、今から来い、ということになった。彼女のご両親の家に、家族が集合するところに混ぜてもらう形になった。こういう展開を期待してシャットダウン前日の大掃除中に、春節暇だなぁ一人で寂しいなぁ、と大げさにぼやいてみた甲斐があった。

誘ってくれたこの方、年の頃は30代半ば、ファイナンスの専攻で大学院を出ており、流暢な英語を操る経理の女性、オフィスの皆から劉姐(リウジエ、日本語だとリュウねぇちゃん、という感じか)と呼ばれ親しまれている。

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集まったメンバーは、劉姐、劉姐のご両親、劉姐の妹夫婦と弟夫婦、愛犬宝宝(バオバオ)、そして僕。一見古びたマンションだが、入ってみるとアメリカンな感じの内装のとても綺麗な3LDKだった。正直その綺麗さに驚いた。お父さんは元海軍の退役軍人さんで、且つ元党員でもあったらしい。弟さんは現役の政府のお役人さんだ。なんとなく納得した。

お正月の伝統料理である餃子が出てくるのを、居間のソファでお父さんと二人きりで待った。大連の、元軍人さん。日本と少なくない因縁があるはずだった。突然現れた日本からの来客をどう思っていただろう。日本のことを色々聞かれた。今の天皇の名前ってなんだっけ、とか、日本の若者って政治に興味ないってホント?とか。あと犬好き?とか。わりとお茶目な感じの印象だった。

やがて何種類もの餃子と、親戚の農家から直接分けてもらったという豚と鶏の豪華な料理がテーブルいっぱいに並んだ。皆で中国の年越しの定番番組である「春節連歓晩会」を見ながら歓談した。ちなみにこの番組、瞬間最高視聴率97.8%と言うから凄まじい。聴覚障害者だという人々による千手観音をイメージした演舞がとても幻想的で印象に残った。

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11時を回り、そろそろ、ということでおいとました。部屋に帰ると、地上14階の窓からとんでもない光景が目に飛び込んできた。数キロ先まで、見渡す限り一面花火の海なのだ!まるで花火の花畑だ。花火大会であるようなあの花火が、街のいたるところから打ち上がっている。当然うちのマンションの真横の路地からも上がっており、花火の破片が窓にコツコツ当たる。爆竹の鳴りようも凄まじい。祝い方の、スケールが違う。日本の大きなお祭りでも数万発の花火を打ち上げるが、この夜打ちあがった花火の数は見渡す限りだけでも数十万発はあったんじゃないだろうか。市全体なら数百万発いったかな。とにかく凄かった。その騒動は夜中の2時頃まで続いた。初めて味わう中国の年越し。なかなか興奮した。

January 19, 2005

report from Dalian

permit.JPG大連に来て二週間が経った。これ就業証と居留許可証。この二つは結構面倒だったんだけど、銀行口座なんかはとても簡単に開けた。パスポート持って行ってその場で何箇所かサインして暗証番号決めるだけ。そしたらその場で通帳とキャッシュカード発行されて、その場で使える。いいスピードだ。日本の銀行も見習ってくれ。日本を発つ直前は本当に銀行関係で煩わしい思いをした。結局お世話になったUFJ24はこの点優秀で、キャッシュカードもそのまま中国で使えるので重宝していますが。

しかしこの国はアバウトですよ。例えば、
・書類の「サイン」の部分を通訳さんが「適当ですから〜」とかいって代わりに書いたりする。
・レストランで定食のようなものを頼んだがご飯がついてこなかったので、「ご飯つかないの?」と聞いたら、「つかないけど欲しいならあげる」と言ってタダでくれたりする。
・この具体的な数字を探して来て、と頼んだら、わりと早く出してくるが、念のため別の人に同じ数字を探してくるように頼むと、10倍違う数字が返ってきたりする。
・「データのソースは?」「友だちの友だちに聞いた。」
・でこれが常識だったりする。

こういうのが楽しくてしょうがない今日この頃だったりします。

January 09, 2005

new life has just began

寒中見舞い申し上げます。

今年から中国の大連で生活することにした。

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大連は成田から飛行機で三時間ちょい。飛行機の窓から素晴らしい景色の撮影に成功。右の奥に見えるのが富士山。幸先良い。

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大連は地方の大都市という感じ。人口は550万人程度。綺麗な街です。でもちょっと路地を中のほうに入ると、開発前というか、やはり途上国の町並みを思わせる景色が広がってくるところが、中国の二面性をよく表しているような気がする。

P1000054.JPG
大連に来て、初めのうちは、現地生活の長い日本人会社経営者の方のところに間借りさせてもらうことになりました。地上十四階の一室。部屋からの景色。手前は、新しい建物のために壊し始めた一角。ハンマーで手作業で崩していくらしい。政府からの移転先確保の無い立ち退き命令が出て、こうやって壊されはじめるから、まだ辛うじて壁が残っているところ等はまだ人が入っている。

まだ慣れないことも多いけど、全てが新しく、楽しくてしょうがないので問題なくやっていけると思います。そのうちまたこちらの様子等をアップします。

December 06, 2004

filled with veneration

ここ数年、週に1,2度のペースでお会いしている方がいる。自分が卒業する2005年より、57年前に同じ大学、同じ部活を卒業された、大先輩である。

道場につくと、誰よりも先に来ていて、掃除を済ませている。本来それは学生や後輩のすべきことだ。先輩にさせては、と思い次の時もっと早く来てみれば、その次先輩はもっと早く来ている、ということもあった。今でも掃除、片付けは率先してされている。

誰も持たない備品などの荷物も、率先して持っていく。

誰に対しても謙虚で、相手がどんな年代でも、とても丁寧に接する。

縦の関係の厳しい体育会の中にあって、なかなかできることではない。

優しいだけではなく、子供達が礼を失したり、間違いをやらかせば、厳しく叱る。

常にご自身の強い意見を持っておられ、話題も豊富だ。

自分がこれまで出会った、多くの尊敬すべき方々の中でも、一際自分が尊敬してやまないのがこの方だ。

よくこの先輩や、他の先輩方と一緒にお酒やラーメンをご馳走になるのだが、そのときをいつも自分はとても楽しみにしている。

今日、その先輩から突然携帯にメールが入った。「読んだことはないのでアドバイスはできないが、こんな作品がある。今暫く調べて何か探せたらまたお知らせします」というものだった。いくつか大江健三郎の作品のタイトルがリストされてあった。

この前、その先輩が大江健三郎の文章が好きだ、という話をされていて、自分も読んでみたいという話をした。先輩は大江の長編小説を読んだことはなかったそうで、じゃあどんな作品から手をつければ良いか、という話だった。それを覚えておいてくれたのだ。

以前も、僕が興味を持ちそうな新聞の切り抜きを持ってきてくださったり、昔の空手のビデオが見たいなぁと誰にともなくふと呟いたら、数週間後持ってきて下さったりした。

今回のメール、こういう先輩の何気ないご好意が本当に嬉しかった。思いがけなかっただけに余計嬉しい。最近の日常で、こんなに嬉しいと思うことはなかなかないので、記念にエントリー。

December 02, 2004

魅惑のアジアン歌姫

liuruoying.jpgこの二ヶ月、大連で買ってきた、最近の女性中華ポップシンガーを集めたオムニバス盤(二枚組全34曲収録)ばかり聞いてました。左の画像はそのオムニバス盤の中で一番気に入った劉若英(リウ・ルオイン、日本での通称はレネ・リュウ)のアルバム画像。台湾で活躍中のシンガーらしい。なんか買ったオムニバスCDはどんなに調べてもネット上に情報がない。存在しないアルバムなのか・・・?オムニバス盤には台湾のシンガーが一番多く、次に香港、シンガポール、上海、と続く(どれも北京語)。大陸の歌手が少なかったことが意外。

ここに来る皆さんは普段C-POPなんて聞くことないと思うので、C-POP(というらしい。日本だけか?)の世界へ少しだけご招待。とても気に入った作品へのリンクをいくつか貼るので興味ある人は聞いてみてください。リンク先に飛ぶと試聴ページに飛ぶ。(中国のmp3試聴サイト、「百度MP3捜索」より。ストリームですがちょっとダウンロードに時間かかると思います。)

一輩子孤単 by 劉 若英 or レネ・リュウ
明るいテンポのよい曲。青島に旅行に行った友人に現地のネットカフェでskypeにアクセスしてもらって会話してたら、ネットカフェに流れていたのが聞こえたので現地でも人気あると思われる。(数少ない知ってる曲が丁度流れてきたので興奮してしまったよ。)

遺失的美好 by 張 韶涵 or アンジェラ・チャン
大連行った時によくモールや食堂でかかっていたので耳に残っている。欧米の音楽の影響をかなり受けてそうなつくり。

Super Star by S.H.E.
台湾のSPEEDみたいなもんか(古いか)。少女三人のロックグループ。台湾のZone?どっちでもいいや。なんかace of baseのプロデューサー使ってるとか書いてありますね、でも「中国っぽさ」がとても上手に出てるナンバーだと思う。

記事本 by 陳 慧琳 or ケリー・チャン
日本でも有名なケリーチャン女史。調べるまでケリーチャンの歌だとは気付かなかったよ。中国名読んでも知らないし。しっとりしたバラード。歌詞がいいんだこれが。

どうでしょう、聞けました?

October 14, 2004

partial solar eclipse

部分日食。すごく楽しみにしていたのに、横浜は生憎の曇り空。日食が始まっても雲は全く動く気配を見せず、寂しさのあまりネットの日食ライブ中継をぼんやり眺める。ピーク時間を過ぎ、あぁ、次の日食はいつかなぁ、なんて調べていると。

突然窓の外が明るくなっている!太陽が出ている!?慌てて外へ出る。雲の切れ目から太陽がしっかりと出ているではないか。

急いで部屋に戻って、太陽を見るのに使えそうなものを物色する。パスネットの穴を使って像を落としてみたが欠けている部分が少なすぎて上手く見えない。黒い下敷きやガラスが無くて焦ったが、CDRが薄く透けて見えるのを思い出し、未使用のCDRをもって外へ!

CDRを空にかざして見ると・・・・わずかに欠けた太陽がくっきりと見えた!20%にも満たない小さな日食だったけれども、念願叶って大満足。

けど慌てて裸足で外へでたので足の裏を切った。痛い。

次日本で見られる本格的な日食は5年後。しかもそのときは皆既日食だという。そのときは絶対に晴れている地方へ移動してやる!

October 13, 2004

大連旅行記 一日目

成田→大連空港→友好賓館→天津街、勝利広場→味千らーめん→オフィス→しゃぶしゃぶ→星海広場→友好賓館

      大連空港に着き、税関を通ると、すぐにT社長の姿を見つけられた。事前に頂いた1通のメールで、大連への到着時刻が近いので空港で会いましょう、と言われていただけなので、こうも容易く遭遇できたことに旅の幸先のよさを感じた。ターミナルを出ると、T社長の持つ現地法人の社員であり、秘書のような仕事も兼ねているというAさんの出迎えがあり、一言二言の挨拶を交わして、そのまま外のタクシーに乗り込んだ。Aさんは現地の方だが、日本語がかなり達者だ。中国に着いたら、なるべく大学で覚えた中国語を試そうと考えていたものの、Aさんの流暢な日本語に自分の挑戦意欲は萎縮し、日本語で会話をすることになっただけでなく、気付けば行動の主導権を握るタイミングも逸してしまった。主導権とはつまり、T社長の予約してくれていた二ツ星ホテルにそのままお世話になるのではなく、安宿探しに励んでみようとの目論見を実行に移すことだった。しかし、タクシーを降りると、僕ら一行はAさんを先頭にすんなりそのホテルのロビーに入りこみ、僕の名前でのチェックインが済まされた。ホテルに入るなりロビーの服務員と現地速度で中国語を話すAさん、これが今回実質的に始めて目の当たりにするネイティブの会話。速すぎて何も聞き取れず、展開についていけてなかった。

      チェックインが済むとその場で二人と別れ、T社長とAさんはオフィスへ、自分は一人で部屋に向かう。エレベーターの中でようやく落ち着き、なりゆきに任せてみてもいいか、という気分になっている自分に気付く。せっかく予約してくれていたホテルをなんの計画もなしに断るのも失礼か、などとこの状況に都合のよい言い訳なども浮かべ、自分を納得させた。しかし一晩240元。1元14円換算で、日本円にして3360円。翌日はパートナーのTも合流し、割り勘になるので許容できなくもないが、一日このペースで消費していくわけにはいかない。いくら中国の物価が安いとは言え、一泊150円で泊まったりもしたインドとはやはり違う。しかも、極端に安い宿泊施設は外国人にオープンでないものが多いようだ。ホテルは2泊取ってあるので、Tの合流の翌日以降どういったところへ移ることができるのか、市場リサーチも兼ねてその日の空き時間は色々な店を周り大連の物価水準というものを把握することに努めようと決めた。T社長との合流時間まで3時間弱、ホテル近辺の界隈を歩き回った。

      T社長と約束の時間となりオフィスビルの前へ向かう。T社長はそのまま、日本式ラーメン店へ連れて行ってくれた。近頃中国では日式ラーメンとして、日本のラーメンが流行りだしているらしい。しかし値段は、大衆食堂で食べる定食の2倍から3倍。値段の感覚的には、日本で言うフランス料理のようなものと説明された。味は本当に日本のラーメンそのままの味。素晴らしく美味い、というわけではないが、楽しめる、おいしいラーメンだった。ラーメンを食べ終わると、T社長のオフィスへと案内された。この日は中秋節という日本の十五夜に相当する秋のお祭りで、祝日ではないが仕事は早く切り上げると聞いていた。しかしオフィスに着いてドアを開けてみると社員さん方はまだ全員いて、丁寧に挨拶されたので驚いた。意表を突かれたことで反応が一瞬固まってしまい、上手く挨拶を返せない。礼を失したかも知れなかった。そのまま別室に通され、仕事が終わる時間までT社長と話をしたり、経営者教育用のビデオを見させてもらったりしながら時間を過ごした。夜は、自分が多くの人と出会いたいと希望したことを受けて、社員の一人であるLさんが友人を紹介してくれることとなり、T社長と四人で夕食をともにすることになった。

      Lさんの友人のMさんは、日本資本のソフトウェア会社の部長さんで、中国語の他に英語と多少の日本語を操る快活な方だった。3つの言語を駆使して、会話は盛り上がる。これをきっかけに、次第に中国語を発話することへの抵抗は薄まっていった。その後、Mさんの提案で、この夜の「九年に一度の満月」をより美しく見える場所で観賞しようということになり、T社長を除いた三人でアジア最大級の広場(天安門広場より広いらしい)、星海広場へと移動した。そこには巨大な箸置きのようなモニュメントがあり、両端から微妙に角度のついた光の筋が発せられている。二つの巨大な光の筋は、天空はるか彼方で交わっているように見えた。そのとなりには青白い満月。多くの人で賑わう広場だったが、なんとも幻想的な風景だった。星海広場では他にもカーニバルなどが開催されていて多くの人を集めていた。それらを一通り眺めて歩き、その日は帰路についた。
      
      ホテルの自室に着き、ツインルームに一人で寝そべって、これから先一週間のことに思いを巡らせた。予定はまったく立っていない旅なので、基本的には成り行き任せになってしまうのは否めない。それでも、なにか予感めいたものは感じていた。目の前に訪れた出会いの一つ一つを大切にして行こう、それだけを今回の旅の指針とすることを決め、布団の中へもぐりこんだ。

October 06, 2004

回来了

帰ってきました。沢山の財宝を手に入れてきた気分。

部屋についてみると、金木犀の香りが辺りに漂っている。いつの間にか秋になっていたんですね。

September 27, 2004

turning point

明日から一週間、所用で中国まで行ってきます。

September 15, 2004

E.S.T. 2nd try

sevendaysoffalling.jpg今まであれだけCDを買うことを我慢していたというのに、この半月で二枚目に手を出してしまった。E.S.T.の2003年作品、「Seven days of falling」だ。中古ショップに並ぶCDで、自分が常日頃から欲しいと思っている作品に出会ったことがないので、これは見つけたときには迷わずレジへ持って行った。買う前に一応試聴できるというので、そうさせてもらう。流して聞いても分かる完成度の高さ!ホントにラッキーな買い物でした。そして渋谷のTSUTAYAでは中古CDの全てを試聴できる、という便利な事実を知ったのでこれもまた収穫。家に帰ってゆっくり聞くと、やはりいい。前作のStrange place for snowと同じ空気を漂わせ、一瞬でESTのそれとわかるサウンドは健在だが、同時にこれまで聞いたことのないサウンド達も連続して襲って来る。ますます惚れる。

September 12, 2004

petit gardening

とある経緯で、園芸の世界を垣間見る機会があり、我がワンルームアパートにも緑を導入してみた。

今まで何度かプレゼントやらでもらった観葉植物を育てたことはあったけど、自分から買うのは初めて。しかも鉢とセットになっている出来合いの商品ではなく、株を買ってきて、土をほぐし、鉢に植え替えるという作業をやるのだから、アパートでやるにしてはわりと本格的。
過去の観葉植物は、なんだかんだ言って長くは持たず、だいたい一年もしないうちに枯らしてしまった。

きっかけは、この特殊な植木鉢。

イキイキポット

普通毎日やらなくてはならない水遣りも、一週間か二週間に一度で済み、かつ素人が普通に育てるよりもよく育つという、めんどくさがりやの園芸初心者にはかなりマジカルなアイテム。

買ってきた苗は、アイビーの一種と、デンマークカクタス。写真はもうちょっと育ってから撮ってみる。

新聞紙を広げて、苗の土をほぐし、イキイキポットをセットアップし、鉢に土を敷き詰め、そっと苗を植え替える。初めはこの土を入れるという作業だけでも梃子摺る。今まで一度も植物を育てよう、思ったことはあっても行動には移してこなかった。爪の間を土だからけにして、気付くと鼻先から汗も滴り落ちる。それでも段々と楽しく思えてくるから不思議。何から何まで素人で、何をしても失敗していそうな気がしてくるけど、新しいことが分かってくるとそれがまた楽しかったりする。

けどやっぱり園芸の道は厳しかった。

アイビーは植え替えて一週間で瀕死。ウェブサイトで色々調べ、なんとなく原因は分かってきた。進められている対処法どおり、別の鉢に植え替える。腐った根を取り除く。水のやり方を買える。けど、数日たってやはりまた枯れてきた。今回このアイビーはもうだめかもしれない。ほぼ全滅。悔しい。

デンマークカクタスはまだ買ってきてから3日しか経っていないので判断がつかない。冬に綺麗な花を咲かせるというから、なんとかそれまで持ちこたえさせたい。

大変なんだけどね、ブリキのジョーロで水をやってると、なんかこう、ね、気持ちが安らぐわけですよ、はい。

September 07, 2004

encounter with the E.S.T.

strangeplaceforsnow.jpgとある用事のため、ある盆栽屋を訪れた際、流れていたそれに出会ってしまった。久々に衝撃を受けたサウンド。当初の目的を忘れ、店員さんにアーティストの名を尋ねる。その日のうちに、CDを買ってしまった。「E.S.T.」、エスビョルン・スヴェンソン・トリオ、スウェーデンのジャズピアノトリオだ。CDを買ったこと自体が実に3年ぶり。自分は普段音楽をmp3で楽しんだり、古いお気に入りのCDをずっと聞いていたりするので、CDを買おうと思うことがない。心を動かされると、身体も動く。

August 03, 2004

薪を割る

父の趣味である庭仕事を手伝った。与えられた作業は薪割り。切り株の上に木片を置き、さらに小さく割る。使ったのは普段あまり見慣れない、しっかりとした斧。このためだけに父が買ってきたらしい。斧を扱うのは12,3歳の頃に行ったボーイスカウトのキャンプ以来だ。そのときに教えられた手順やフォームを、当時の記憶をなぞりながら確認し、薪を割る。

ひたすら割り続ける。単純な肉体労働だが、心地いい。

何十という木を割っていくが、綺麗に抵抗無く、スパッと木を割るのは難しい。途中何度も失敗し、流れが中段する。その流れを取り戻すために、また集中する。

ただ黙々と木を割っていく中で、段々と、そこに自分が喜びを感じていることがはっきりと自覚されてくる。落ち着く。悩みや考え事で頭が濁っていたものが、薪が割れる音と感触と、routineに身を任せる安心感によって澄んでいくのが分かる。

気付くと腰や手やあちこちが痛む。しかしそれすらも心地よいと感じる。

少し考えすぎで疲れてしまう時には、肉体労働で頭を休めるのもいい。

July 30, 2004

富士登山

日本最高峰、富士に登った。奥出研の有志9人で。
皆登山は素人で、道具などをそろえる準備段階から全てが新鮮で楽しかった。

準備を完全に万端としてしまうと、なぜか物足りないような気がして、最低限危険な目に合わない、人に迷惑をかけない程度に「なめて」かかろうと思った。軽装備にはなったが、結局それなりに準備はよかったように思う。
キーアイテムは、zip lock詰めの着替え、取り外しが簡単なペットボトルホルダー、Timberlandのブーツ、アバクロのシャツ、Crunch、MAGLIGHT、そして焼酎「神の河」

この日は五合目まで車で乗り入れ、須走り口から頂上を目指した。
fuji1.jpg

須走り口はかなりゆっくり登山を楽しむ人向けのコースらしく、長い。けど7合目くらいまでは斜面もなだらかなので景色を楽しみながら体力的にも余裕を持って登れたのでいいコースだったと思う。

fuji2.jpg
後列左から、はぎぃ俊ペーターZukkyさとる、自分。
前列左から、はたやんあつのぶnorinoriおゆう

海抜3000メートルを超えたあたりから、軽い頭痛が始まる。ゆっくりと歩き、深く呼吸をしながら歩く。

下の写真で、対角線を結ぶように真ん中に斜めに走る線を境に明暗が分かれているが、これが富士の影だ。東京から観れば、夕陽が富士に沈もうとしているところだろう。
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霞がかかった山々を下に見下ろし、空の色が段々と変わっていく時間、目の前の斜面を除く全方向に、幽玄な風景が広がる。
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7合目を越えたあたりから、風がかなりの強さで吹きつけ、冬のような寒さになってくる。その日、薄手のTシャツの上にアバクロの厚手の長袖シャツを着ていたのだが、このアバクロが意外にも優秀で、風を全く通さなかった。周りの登山客の中にはスキー場のような格好をしてる人も見かけるなか、8合目で仮眠を取りに宿に入るまでこの2枚で行けた。

9時頃に8合目江戸屋に入る。この頃にはもう辺りは完全に闇に包まれて、ライトが無ければ一歩進むのにも勇気がいる。斜面に対して後を向くと、眼下には遥か地平線の向こうまで、どこかの町の明かりが見える。こんなに細かい夜景も初めてだった。休憩ポイントで空を見上げると、天の川が見えた。天の川を見たのは高校1年の頃のFrost Valley以来。

江戸屋ではぎゅうぎゅう詰めになってほとんど雑魚寝状態で仮眠。3−4時間眠れる時間はあったはずなのだが、全く眠れず。

午前2時過ぎに出発。ここからは斜面もいよいよ急で、風は厳しく進もうとする体を止められるほど。足を一歩踏み外せば死ねる岩場。ただ、ここまでは翌日が平日なこともありほとんど他の登山客を見ることがなかったのだが、ここから様々な登山口の利用者が合流するらしく、信じられないことに地上3千数百メートルの地で歩行者による渋滞に巻き込まれることになった。休みの日はもっと混むという。富士を眺めるなら分かるけど、てっぺんまで行ってみようという自分には酔狂とも思える発想にここまで多くの人が辿りついているという事実が驚きだった。
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仮眠を終えた頃には7合目くらいに感じていた頭痛も引いていたので、もう薄い空気に慣れてきて、大丈夫になったかな、と思ってペースを上げてしまったのが油断だった。一緒にハイペースで登った俊ぺーたーと共に高山病にかかる。激しい頭痛と吐き気。俊ペーターは吐いてしまったみたいだ。自分はそこまでは酷くなかったのだが、俊ペーターと一緒に休んだほうがいいかなと思い始めた時、あつのぶが頑張ってゆっくりでいいから進んだほうがいい、と励まされて、進むことにした。あそこで休んでいたら、俊ペーターと共にリタイアしていたかもしれない。俊ペーターは自分が進んだことで、あきらめずに進もうと思ってくれたらしく、少々休んだあとに気合で頂上まで登った。

高山病は予想していたよりも手ごわく、体力的にはメンバー中最も余裕がある部類に入るはずだったにも関わらず、山頂が酷く遠く感じた。
途中、強い風が吹くたびにヨット選手であるハギーが「今の風速18m」とか呟いているのがおかしくて気が紛れた。

やっと山頂につく頃には、寒さで辛いのか高山病が辛いのか分からなくなっていた。けど達成感の強さからか自然と気分はよくなり、400円の缶コーヒーを自販機で買って、清々しい気分でご来光の瞬間を待った。

そして朝日に照らされる。心なしかあったまる。
fuji6.jpg

この写真を撮ってもらうまでに、何組もの登山客の記念写真を撮って差し上げた。ご来光の感動に浸っていたかったが、寒さを紛らす何かも欲しかったので進んで撮影役を買って出た。
fuji7.jpg

いい天候に恵まれて本当に良かった。山の神様に感謝。公約の奉納演武もこそこそと打つ。そして持参した焼酎「神の河」を一人啜る。温まる。

その後、火口を見て周り、下山。

こんな道を、滑りながら下る。おり始めると頭痛も引き、気温も段々と上がっていったので元気が出てくる。けどこの頃からなぜか喉と胸が痛み出す。周りの人は誰もそんな症状出ていないので少し心配になった。翌日になってもこの痛みは引かず、よくよく症状なんかを考えるとどうも風邪みたいだった。山小屋でかかったかな。
fuji8.jpg

いくら滑っても滑っても、一向に下界の景色が近づかない。この4時間ばかりの下りのほうが精神的にきつかった。
fuji9.jpg

やっとの思いで出発地点だった五合目にたどり着き、行きにも通り過ぎた小さな社に無事に終えられたことの感謝と報告をし、山を降りた。

結局全員が完走し、誰も怪我することなく帰ることができた。しかも、全員で成し遂げた、という感慨が残る。道中普段のケチな彼らからは考えられないくらい、お互いの装備や食料を分け合って協力し、助け合って困難をクリアしてきたように思う。チームボンドを固めるのに、こういった経験というのはかなり有効だなと感じた。

しかし富士はもうしばらくはいいや、とそんな気持ち。

余談だけど、帰って一週間ほどした頃深夜の「プロジェクトX」の再放送で、富士山頂にレーダーの設置工事をした人達のドキュメントを放映していた。(しかも今知ったけどこれってプロジェクトX記念すべき第一回なんだね)
あんな極限の地に、機材を持って登る。しかも冬に!今のように登山のための整備も底までされていなかっただろうに、想像するだけでも凄まじい。簡単に死ねる。そして極限の頂上で何週間も激しい肉体労働をする。信じられない。富士の凄まじさを改めて感じさせるドキュメントでした。

下山すると、富士を見る事も辛かったという彼らほどではないだろうけど、やっぱり富士はしばらくいいや。

写真を分けてくれたはぎぃとさとる、どうもありがとう。

July 28, 2004

Typhoon

台風が西に進んでる。すごい。

June 30, 2004

鈴木大野!

Oyspeエントリートラックバックが入っていたので見にいってみたら。

鈴木大野のshunsukeさんまでも!涙

あぁぁああぁぁりがとうございます。

感動と爆笑の記念にこちらにも貼っつけさせて頂きます。

happy_miyoshi.jpg

June 29, 2004

Oyspe!

おいっすぺ こし」にフラッと寄ってみたら、こんなエントリーが!!

感動したのでここにも貼っつけさせて頂きます。
ありがとう姫。

happybday_miyoc01.gif

June 28, 2004

my 23rd birthday

昨日、この世に出てきて23年がたった。

夜は特に予定を入れていなかったのだが、公務員試験が一段落ついて久しぶりに時間ができたというCる嬢が「飯食わね?」と誘ってくれて、渋谷で落ち合うことに。

急遽Cる嬢がコーディネートしてくれたのか、U野嬢とelenaもかけつけてくれた。誕生日を祝ってくれた。

去年といい、ホントによくしてくれる連中なので感動する。

アップルパイと3Dゲームのキャラクター画集をもらった。あ、あとポカリスエットも。

非常にタイミング悪いことに、なぜか一日とても体調が悪くて、座っててもしんどかったんだけど、さすがにこれだけ楽しい時間を過ごせた後は、とてもいい気分になれた。

途中、高1の頃のルームメイトのタカがメールをくれた。
「おめでとう!前の誕生日から一年くらいたった気がするよ」
・・・。おもしろすぎるタカ。
他にもメッセージくれた皆、どうもありがとう。

帰り、終電間際までちょっとおしゃべりしてようと思ってたらあっさり終電を逃してしまい、voriの部屋にお願いして転がりこむことに。寝てたのに、ほんと迷惑かけました。でもちょっと話盛り上がったから行って良かった。

first anniversary of "Log No.344"

6月27日をもってこのブログを開設して丁度一年。簡単にこの一年間の実績報告。

エントリー数:142
コメント数:128

カテゴリー
Art Log(趣味の美術鑑賞に関する話題):11エントリー
Biblio Log(読んだ書籍に関する話題): 10エントリー
Dream Log(夢日記): 1エントリー
Journal(雑記、備忘録、旅日記等): 21エントリー
Karate(趣味の武道に関する話題): 18エントリー
KOTOBA Log(心に残った言葉に関する話題): 15エントリー
Live Log(生演奏や舞台等に関する話題): 5エントリー
Movie Log(映画鑑賞録): 27エントリー
Web Log(ウェブ上の話題、ニュース記事に関する話題): 16エントリー

アクセセ数カウント開始日2004年1月29日
(1/29〜6/27) 11921アクセス
月平均:約2000アクセス

三日で終わるかと思っていたけれど、結構続くもんだ。これからもよろしくお願い致します。

June 12, 2004

植林トリップ 内蒙古 八日目 総括

八日目:北京→帰国

 この日は午前に少し市内を回って、昼食をレストランで済ませ(店員がローラースケートで移動してた)、そのまま空港へ。ガイドの方々とは北京空港で別れ、出国。何事もなく成田に到着し、ツアーは解散した。成田に着いてしばらくして、友達からオハイオの頃の旧友がホンダに内定をもらった、とメールが入り、タイムリーな朗報に興奮した。

 今回は出来事を中心に旅日記を記したが、旅の醍醐味の一つはやはりそこで行動を共にした人々や出会った人々との交流であり、もちろん今回も、あえてここには記さなかったが多くの人といろんな交流や面白いエピソードがいくつもがあった。ツアーという形式は自分には合っていないようだったけれど、ツアーでなければ体験できなかったことも多くあったし、それならではのいい出会いもあったので良い思い出となった。

 いつか自分の植えた木々が、立派な林になっている姿を見に戻りたい。

June 10, 2004

植林トリップ 内蒙古 七日目

七日目:北京→故宮(紫禁城)→万里の長城(八達嶺の長城)

 この日は帰国前日ということで、丸一日北京観光をして中国を楽しむ、という日。午前中は紫禁城、通称故宮の見学、午後は長城の見学、というスケジュール。
 まずは紫禁城、あまりにも広く見るものが多いため、「雰囲気を掴む程度」にさーっと歩いていかないと午前中だけでは終わらない。まともに見ようとすれば数日かかりそう。様々な場所に中国語、英語、日本語の解説文がある。英語で紫禁城は「Forbidden City」だ。なんだかカッコいい。紫禁城の造りも興味深い。高いところと低いところがはっきり分かれていて、映画「ラストエンペラー」や様々な映画に出てくる紫禁城のシーンそのままの、あの御前の広場に立ったときはやはり異様な迫力を感じた。
 しかしまさか紫禁城の中にこんなものがあるとは思いもよりませんでした。
 途中、ラストエンペラーとして知られる宣統帝、愛新覚羅溥儀の書斎で休憩を取った。そこには、溥儀の書や画、溥儀の弟で高名な書家であったらしい溥傑の書などが壁を飾っていた。書斎には、現在書家として活躍されている溥儀の甥という人がいらして、実際に書を書くところを実演して下さった。実はこの人のことは日本にいる頃から聞いていたので、実際にお会いできて少し感激した。係員が出てきて書を買わないか、と営業トークを始める、結局は商売なわけだったけれども。
 昼食を、これまた豪勢なレストランで済ます。免税店のフロアを併設したところで、ここでもセールスの嵐。ブランド品とかお土産品しか売ってない店、どうしてこういうところばかり連れて行くんだろう。僕は見るからに金持ってなさそうなんで、誰にも声かけられなかったけど。誰かが店員に、これどうせ偽モノでしょ?って聞いてたら、「でもこれはC級でもB級でもなくて、A級コピーです!」って力説してた。面白い国。
 午後は八達嶺の長城。かなり有名なスポットらしく、大量の観光バスが集まっていた。長城の入り口はまるでテーマパークのようになっていて、なぜか動物園やジェットコースターのようなアトラクションも併設されていた・・結構雰囲気ぶち壊し。
 ここには、通称「男坂」と「女坂」があり、男坂はとにかく急で征服欲を煽り、女坂は比較的緩やかだけど、景色はより良いという。観光時間が50分、という過密スケジュールのため、どっちかを選んで登ってください、といわれたけれど、せっかく来たのにそれはもったいないということで、もう一人の元気な社会人の方と2人で男坂を駆け上がり(心臓破れそうだった)、景色と達成感を堪能したら、再び駆け下りて(一部垂直に近い部分もありかなりスリルあり)、そのまま女坂を登り、また景色を楽しんで降りた。降りるときに、他のツアー参加者達に追いついた。頑張ればなんとかなるもんだなぁと思った。
 夜はツアー団体の皆さんとの最後のディナーということで多いに盛り上がった。皆さん自分の仕事に物凄く愛着を持っていて、話を聞いていて清々しかった。
 さらにこの夜は二次会を決行。有志で中国のカラオケに行く。部屋に入ると女の子が7人くらいずらーっと並んで、誰にする?みたいなことを言ってくるので、どうせそんなお金もないし、結構です!と一蹴。極端に少ない日本語歌曲を皆で取り合って歌った。一人果敢にも中国語の歌を熱唱した人がいた。せっかく中国のカラオケに来たんならやはり中国語歌ってなんぼだろうに、歌えなかった自分が情けない。いつか歌ってやる。

植林トリップ 内蒙古 六日目

六日目:烏雲の森→瀋陽→北京(寝台列車泊)

この日も、午前中は烏雲の森で植林をした。Y君は二日酔いのためこの日は居残り。これで植林作業は最後なので、最後に記念樹を植えた。皆さんを代表してY君と植えるはずだったのだが、Y君はこれもミス。残念。無事に根をはって、何十年かあとには立派な大木になっているように、願をかけながら、丁寧に丁寧に植えた。昼食を済ませた後、烏雲の森を去る前に時間ができたので、少し離れた所にある、この辺では一番高い丘に一人で行ってみた。内モンゴルの沙漠を360度地平線まで眺めながら、色々と物思いに耽る。叫んでみたりもした。けど障害物が一切ないので、微塵も響いたりしない。口の外に音波が出た瞬間にかき消されるようだった。日常とはちょっと違う場所で違う時間を過ごして、日常について考えてみる。自分のしていることについて考えてみる。寂しい結論が色々と出た。ほんの一週間の「体験旅行」では何も変わらないと再確認した時点で、吹っ切れた。そして丘を降りた。
烏雲の森をあとにして、瀋陽に向かう。昼にでて、瀋陽についたのは夜の7時前だった。
瀋陽の街は大都会だ。高層ビル群が立ち並び、さっきまでいた砂漠の民の生活が嘘のようだった。
マックもあった。吉野家もあった。中国の吉野家はかなり小奇麗だ。メニューはハンバーガーショップみたいにカラフルで、お洒落だった。夕食のあとでお腹いっぱいだったけど、中国限定のアイテムをトライしようとマックに入った。メニューがよく分からないので、店員さんに色々と教えてもらった。かなりにこやかに親切に読み方や売れ行きなどを教えてくれて、楽しかった。現地の人とのこういう小さなやり取りがとても好きだ。店を出るときに手を振ってバイバイ、と言ってくれた。バイバイと言ってくれるマックの店員さんには会った事無かったので感激した。
この日の夜は北京へ向かう寝台列車で車中泊。贅沢ツアーなのでまたしても最上級クラスの個室。四人部屋だけど、とても綺麗で快適だった。同室の人たちとおしゃべりを楽しめた。

植林トリップ 内蒙古 五日目

五日目:カンチカ→大青溝自然保護区→クリンキ→地獄の沙漠→烏雲の森

カンチカを離れて、「烏雲(ウユン)の森」へ向かう。烏雲(ウユン、日本名:立花珠美)先生という、モンゴル族と漢族の両親に育てられた残留孤児の方が植林NGOと共に活動していた場所だ。烏雲先生の半生はNHKのドラマにもなったらしい。(大草原に還る日)
カンチカから烏雲の森に向かう途中で、大青溝という自然公園のような地区に寄った。何十年も前から放牧等から保護されてきたというだけで、周りの沙漠とは似ても似つかないほど緑に溢れた秘境のような場所だった。ここでしか採れない薬草なんかも沢山あるらしい。けど今回僕らが見たところは観光地化していて、なんだか秘境というには味気ないものだった。
大青溝を後にして、クリンキという町で昼食。昼食後、近くの博物館を見てくるといい、と言われて、その場所に行ってみるが、そこには廃墟と見間違えそうな手入れのされていない寺院があるのみ。ガイドさんに「ここがほんとに博物館なんですか?」と聞くと、そうです、という。でも中には仏像が少しあるだけで、博物館らしいものはない。ってか普通にお参りに来てる人もいるし。明らかに博物館ではない。で、ガイドさんも皆に問い詰められて、一々博物館といってもこの辺なんかではこういうもんなんです、とか言っているのだが、どうも本人も疑ってるように見えたので問い詰めると、やっぱ違うかもしれない、なんて言い出す。自元の人に尋ねると全然博物館なんかではないよ、とのこと。博物館と呼べなくも無い代物は現在工事中とか。というわけで、町自体も小さく人々が細々と生活してるだけで、見るものは特にないようだった。本当はその人々の生活ってのを覗きに色々歩き回りたかったのだが、このツアーではそういう予定にない場所への個人行動は制限されている。こういうのがツアーの本当に不便なところ。たぶんもうツアーという形式には参加しないと思う。
そこからさらに移動し、途中「地獄の沙漠」と呼ばれている、物凄い流動砂漠の丘陵地帯にも立ち寄った。ここは他の沙漠地帯と違い、木や草が所々に生えていたりはしない、ほぼ完全な砂沙漠だった。数十メートルの砂丘の上に登って、周りを見渡すと、地平線まで続く沙漠や、小さな町や集落が見えたりした。ちょっとそこで遊んでから、烏雲の森へ。
烏雲の森周辺は最近まで国の特別指定の地区で、外国人は立入禁止だったそうだ。要は、あまりにも貧困が酷すぎて、外国には見せられない、ということだったらしい。しかし近年の緑化の努力によって、住民の年収が倍増(緑が増えると家畜をより養うことができる)し、国家指定から外れることができたそうだ。
日本人NGOメンバーたちが寝泊りするパオが数軒並ぶ土地に土地についた。僕らが寝泊りする宿舎もそこにある。青空トイレが結構気持いい。
パオの中で、再びNGO会長によるセミナーを聞いた。壁には、
「草原甘露哺育我、我為草原捧生涯」
という、烏雲先生の言葉が掲げてあった。草原のあまつゆが私を育て、私は草原の為に生涯を捧げる。烏雲先生も、その人柄も功績も良くは知らなかったが、僕が感激し、感銘を受けるには十分な力を持った詩だった。
夜はここに来て初めて飲み会らしい飲み会をやり、夜中まで大いにはしゃいだ。天体観測も試みたけど、あいにく曇り空で、見られると聞いて楽しみにしていた天の川は見ることができなかった。
夜中、ルームメイトで、もう一人の学生のY君が寝ゲロして大変だった。

植林トリップ 内蒙古 四日目

四日目:カンチカ→ホルチン沙漠→カンチカ第二高級中学

この日は午前のうちから、今度はカンチカ第二高級中学の日本語クラスの生徒達と植林。19歳の趙海超君とペアで作業した。趙君はいたずら好きっぽいキャラクターで、作業初めてから最初の会話も、「あなたの秘密はなんだ」って中国語で聞かれて、なんのことかと思ったが、ここの子達にそう聞かれたら彼女はいるか、ということらしい。いないない、と笑って流すと、なんでだ!?と真剣に聞かれたので、「時間がないし」と我ながら痛い発言だなと思いながら答えたら、そうなんだ・・とかなり感心の眼差しで見られてしまった。よほど真面目な青年と受け取ってもらえたのだろう。実際真面目だけど。
午後は、カンチカニ中の教室へ行き、交流した。校舎はかなり新しく近代的。正門には巨大なロダンの「考える人。」中国語では「思想者」と書いてあった。カンチカニ中はこの近辺では上級の家庭の子や優秀な子達が集まるエリート校のようだった。
日本語クラスの子達と言っても、二年目なのでほとんど話せない。けどお互いの語学の練習のために、日本語と中国語を混ぜて話した。趙君が僕を見つけると、先生がまだ「日本からのお客様ご一行」を紹介している最中なのに、こっちこっち!とはしゃぎながらテーブルに案内してくれる。そこで、趙君に加え、朱君、呉君、古君と仲良くなった。途中からかなり盛り上がって、語学が追いつかないので筆談や絵やジェスチャーを駆使して、それでもまだ伝わりきらないもどかしさと、伝わった時の興奮を楽しんだ。あっという間に帰る時間に。ここでもまた,こんなに涙もろい人間だったかなと思いながらも涙ぐんでしまった。写真が現像できたら、彼らに送ろう。
夜はモンゴルの歌舞団によるパフォーマンスを見た。そこでもまたモンゴル民謡の「草原在哪里」(コレがタイトルかどうかは知らない)を聴くことができた。テープ買ってくればよかった。

June 08, 2004

植林トリップ 内蒙古 三日目


三日目:カンチカ→ホルチン沙漠→ハラウソ小学校
毎朝6時から植林NGO団体の会長による沙漠に関するセミナーを聴く。面白いのだが時間が時間なのと、セミナー自体も1時間と長いので結構辛い。
朝食のあとホルチン砂漠へ向かい、植林作業。そして昼になる頃に、植林活動をしている場所の近くにある、ハラウソという沙漠の中にある小さな村の小学校を訪れた。(この地域では、小学校は1年生から9年、日本で言う中3まで、中学校が日本で言う高3まで。)このツアーは毎回この村のハラウソ小学校を訪れるらしいが、すさまじい歓迎を受けた。どれくらい、って村総出で、どっかのロイヤルファミリーでも迎えるような熱烈歓迎。学校の校庭にパレードのように案内されると、正面の貴賓席みたいな感じに座らされ、校長先生が全校生徒に向けて挨拶をした。モンゴル族でも校長先生の話は長い。その後、生徒達による僕らを歓迎するダンスや歌などのパフォーマンスが繰り広げられた。中でも印象に残っているのが、恐らくその学校の人気者と思われる少年が歌ってくれたモンゴル民謡。
「草原在哪里?草原在哪里?草原、草原就在我的心里。」(草原はどこにある、草原は私の心の中にある)という歌詞の部分だけ聞き取れたのだが、その内容が切ない。草原を失った騎馬民族の心情に想いを馳せる。
その後、モンゴル族によるテクノダンスや頑張って覚えてくれた日本語の歌、岡村孝子の「夢をあきらめないで」の熱唱など、かなりレアなものを見せてもらって、歓迎式は終了した。
昼食のあとには交流タイム。ハラウソの子供達は中国語を話せないと聞いていたのだが、一応試してみると皆結構話せる。こちらも拙い中国語でなんとかコミュニケーションを試みる。周りではデジカメで撮った写真をすぐその場で見せてあげて、子供達が大喜びしている。デジカメを持っていないことを果てしなく悔やむ。かわりにメモ帳を破って、折り紙でカエルを作って渡した。アメリカに越したばかりで英語が分からなかった頃、折り紙、そのときもカエルで友達を作ったことを思い出す。
1時間ほど子供達と遊んだ。みんな目が文字通りキラキラしてた。
午後はハラウソ小の高学年の子達と一緒に植林作業。ペアになった子は17歳の少年(ハラウソでは学校まで数十キロ離れたところから通う子も多く、入学が遅れたり、中断したりする子が多く、2,3年遅れることが珍しくないようだ)、ユィンシュィン君。とってもいい子だった。馬の話や、友達の話なんかをした。ほんの数時間の付き合いなのに、別れは本当に名残惜しかった。お互い何度も振り返って手を振りながら砂丘の向こうに消えて行った時はじわっと来てしまった。元気かなユィンシュイン。

June 07, 2004

植林トリップ 内蒙古 二日目

二日目:瀋陽→カンチカ→ホルチン沙漠

バスで3時間ほどかけて、カンチカの町へ。内モンゴルに入った頃から、景色が段々と乾いた砂色に変わっていって、見えるのはポプラの木ばかり。生えている木のほとんどが、数十年前から始まった緑化活動の結果らしい。5,60年前まで一面の草原だったというのが信じ難かった。
カンチカの町へ入ると、僻地の小さな町とは思えないほど(思ったより)綺麗な町並みで道路も広く舗装されていた。しかしこの道路もほんの4,5年前に整備されたものらしい。中国も好調な経済成長のおかげでこういった僻地にも敷くことができるようになったという話だ。しかしやはり家々は粗末なレンガの造りで、恐らく冬は風が吹き込んで込んでくるだろう、生活には辛そうなものばかりだった。(冬は零下数十度まで下がるという)
ホテルも、カンチカで一番いいホテル、という話だが、玄関の前には瓦礫や土管が転がっている。ただ、これは今回の旅の間一貫して言えることなのだが、宿や食などはかなり期待以上だったので相当満足できた。
午後、ホテルからジープに乗ってホルチン砂漠へ移動した。途中から全く舗装されていない、ラリーのコースのような悪路をかっ飛ばすので、ジープの天井の手すりに捕まらないと座っていられない(後に慣れた)。この悪路を走る40分が今回のツアー中で唯一辛い時間だった。
植林をする場所についた。初めてみる一面の砂沙漠に圧倒される。この地の人々を苦しめている要因でもあるこの砂の海を前に、不謹慎なのかもしれないと思いつつも見とれずにはいられなかった。
植林作業は一本を植えるのにかなりの手間がかかる。それでも植林NGOの方々が長年の試行錯誤から培って来たノウハウに従って丁寧に木を植えなければ根付かない。結局日が暮れる少し前までの作業で、1チーム2,30本程度を植えた。
参考:別の団体の植林記

May 31, 2004

植林トリップ 内蒙古 一日目

中国の内蒙古にあるホルチン砂漠という地で植林をするという8日間のツアーに参加してきた。本田技研が推進している社会活動の一環で、後援している沙漠緑化のボランティア活動にお試し的に参加する、というものだ。写真は後日掲載しようと思う。

一日目:出国→北京→瀋陽

 北京の空港に着く。上空から見た北京の街は恐ろしく幾何学的で、郊外まで綿密に計算された計画都市だった。空港も成田よりもはるかに近代的で綺麗な建物だった。
瀋陽への飛行機が出るまで時間があったので、ツアー参加者の自己紹介タイムがあった。参加者約40人中、学生は自分を含めて2人。ほとんどの参加者が50代、60代だった。
 瀋陽の空港へ着き、ようやく中国の土を踏む。ずっと憧れてきた土地だっただけに、感慨も一入強く感じられた。瀋陽は少し前北朝鮮の脱北者家族が日本領事館にかけこんだ事件があったあの街だ。日本軍が満州国を作った地でもある。幅が広くよく整備された高速道路を通って空港から瀋陽の市街地へ入るとまず目に飛び込んでくるのはシェラトンとマリオットの五つ星ホテルの豪奢なビル。中国に対して持っていたイメージを吹き飛ばされる。市の玄関口から内部へ入り込んでいくと、次第にイメージどおり騒がしい街になっていくのだが、それでもやはり綺麗な街だ。これまた綺麗なホテルのレストランで夕飯を済ませることになり、そこのエレベーターが止まって何人か閉じ込められるという事件を除けば、何事も無く初日は終わり、高級ホテルにチェックインした。テレビにはなぜか日本のニュース番組や野球の巨人戦なんかが映る。初日が終わって気付いたが、無駄に贅沢なツアーだ。どうして砂漠に植林をしに行くツアーで四つ星ホテルに泊まる必要があるんだろう。

May 21, 2004

町工場debut

町工場訪問についてのエントリー。そのうち書く。

May 17, 2004

crazy night at 新宿二丁目

別世界へお邪魔してきました。

Rakkenのレギュラーメンバー+djYAZの7人で新宿二丁目にあるクラブで開催されたゲイミックスパーティーに参加してきた。

パーティーのコンセプトである「ゲイミックス」とはゲイの人もレズの人もストレートの人もみんな混ざって楽しく騒ごう、ということらしい。

入り口をくぐる瞬間はかなり緊張したが、あとは普通のダンスクラブという感じで、体力尽きるまでその空間を楽しんだ。普通とちょっと違うなと感じたのは、人口の九割がたが男で、なぜかみんな物凄くマッチョで、そして男ばかりの集まりなのに攻撃的な感じがなく、みんなが互いに優しかった。ずっと笑顔なのみんな。ゲイ(英語でハッピーの意)って呼ばれるのはこういうことか、なんて思ったりした。

けどオールナイトっていうのに慣れていないため、深夜2時すぎにダウン。隅っこでぐったりして、夜明け直前にみんなでタクシー拾って高田馬場のvoriの部屋に引っ込んだ。

二丁目に向かう直前、ドレスコードとして「テンガロンハット推奨」ということだったので皆で歌舞伎町のドンキホーテに入ったのだがそこで偶然大学の先輩とばったり会った。「なにしてんの〜」と問われ、そんなに親しい人でもないので適当に流そうとしてたら横に来たvoriが、俺の肩を抱いて「これからゲイミックスのパーティー行くんですよ〜」と。しかもこいつ所謂「ゲイっぽい」格好を意識して胸元とかはだけさせてんの。先輩これ以上ないってくらい引いてんの。あーあ、あーあ・・・

April 30, 2004

cultural exchange

今期水曜四限に履修している、中国語の授業が面白い。

ビデオ&ボイスチャットで台湾の大学生と話す、というものだ。

授業時間外に一対一で話すのと、授業時間に会議形式で特定のテーマについて議論する。

こちらの中国語があまりに拙いためにほとんど議論にならないけど・・

相手も非常に優しくて、どんなにつまっても、辛抱強く聞いてくれる。
すごく楽しいし、これを続ければ確実に中国語が上達する気がする。

授業とは関係ない時間でも中国語で会話がしたくなったので、はやりのSKYPEを自分もやってみようかな。

April 23, 2004

not very holiday

はりきって学校行ったら閑散としてた。開校記念日でした。不覚。

とても天気がよかったので、ほとんど人がいないキャンパス内を散歩した。

メディアセンターも閉まっていたので、思い切ってDNPに顔をだし、そのまま久しぶりにそこで作業。

昼にコンビニへ行くと、漫画雑誌コーナーに懐かしい顔が。

ゴッドサイダーの新シリーズ!
bunch.bmp
コミックバンチウェブページより。

悪魔王サタンと大天使ミカエル両方の血を引く主人公がそれぞれの血に振り回されながら必死に正義のヒーローであり続けようとするファンタジー漫画。悪魔と神、どっちの力を使うときも、鎧姿に変身してデタラメな強さで活躍するのがカッコよかった。

小学校の頃友人の部屋に揃っていたマンガで、遊びに行くたびに何度も読んだ。
絵が当時のままでいい。(そういえばその友達の居場所をこのまえウェブ検索で発見して、会おう会おうって言ってたとこだった。連絡しなきゃ。)

新シリーズって、どうしても前作やオリジナルシリーズと比べられて厳しいこと言われることが多いけど、それを主戦略とするこのコミックバンチっていう雑誌、本当に偉いと思う。やっぱりまたあのキャラクターや世界観に会えると思うと、嬉しいという気持ちが先立つ。前作を超える作品になることを期待してます。

April 17, 2004

helpless habit

今朝、出掛けに荷物を用意していると、最近読み始めたポールオースターの「偶然の音楽」が見つからない。部屋中を探すけど、やはり見つからない。

図書館で借りた本なので、もし無くしてしまっていたとしたら、これで三度目なのでかなり気まずい。

前回手にしていたときは電車の中で読んでいたので車内に置き忘れたかとも思ったが、改札を出るときに手に持っていたのを憶えていたのですぐに思い直した。

しかし見つからないので、とりあえず別の本を持って部屋を出る。

幼稚舎の連中に空手を教えて、帰ってきて、帰り際に家の近所のコンビニに寄った。すると、ふと最後に本を持っていたときもこのコンビニに立ち寄っていたことを思い出す。けど、コンビニに本を置き忘れるとは考え難い。けど一応聞いてみた。

あった。支払いのときにレジに置いていってしまっていたのだろうか。代金払って品物持って帰るの忘れることはよくある。けど最近自分がどういうときに忘れ物をするのかわかってきて、以前にも増して意識するようにしてるので大分減ってきていたのだが。この忘れ方は新しいパターンだ。気をつけないと。

April 08, 2004

pray for their security

さっきイラクで日本人三人が拘束されたというニュース速報が流れた。

イラクから撤退しないとこの三人を殺す、という内容だ。

テロリストには屈しないと言って無視するのか、それとも見殺しにするような事態はどういう事情でも日本人の心情では理解できないだろうから、世論に従う形で撤退するのか、政府はどうでるんだろう、と考えていた。その後のニュースをみるまでは他人事だった。

やがて、その三人の名前とパスポートの写真が流れた。

知り合いの名前があった。

正確には、知り合いと思われる人の名前。「TAKATO NAHOKO」と報道された。
パスポートの画像が公開されて、年齢と顔写真と出身地を見たが、ほぼ絶望的に同一人物の可能性が高い。

高遠菜穂子さん、インドで知り合った人だ。この前イラクにいると知ったばかりで、どうしているのだろうと思っていたところだった。

心臓が破裂しそうだった。すぐにテレビ会社に問い合わせたけど、それ以上の情報は無いという。

日本政府は、政治的にどうであろうと、とにかくその人達の安全を最優先に速くて的確な判断を下して欲しい。
いままでの自分の想像力の無さを痛感する。派遣されている各国の兵士を家族や知り合いにもつ人、それ以外にも現地につながりある人達の不安を思うと、いかに僕らが現実から遠く、また関心をもっているようで想像はできていなかったことか。


とにかくどうか無事でいて欲しい。

April 02, 2004

bloom gazing

二日ほど帰省した。よく晴れて桜が満開だったので、母親と二人で花見にでかけた。

桜が最も多く川もあるとても綺麗で大きな公園があるんだけど、そこは子供連れやおじいさんおばあさんで賑わっていたので、ちょっとはずしてみた。

近所のコンビニで弁当を買い、近くの小学校の隣にある小さな公園で桜を見た。
この公園に入るのは、14年ぶり。

実家がある町は桜が多い。小学校の名も、桜山小学校、だ。6月は見事な紫陽花も見られる。

たまに母親とたいした用もなく外を歩くのも悪くない。
たまにというか、よく考えると幼稚園とか以来初めてだったかもしれない。

次は親父も誘ってみるかな。

March 29, 2004

the reason to gather

研究室で同期だった子と飯を食った。生意気で皮肉屋(本人は「正直」だと言っているが)だがファッショナブルで割と可愛らしい風貌の面白い女の子だ。

そんなに暇でもなかったんだけど思いついてしまったので、彼女のバイト先にちょっかいを出しに行く。某戸塚住民から、ある大手家電量販店でプリンターの売り子をしているとの情報を得て、売りつけられてみようかとプリンター売り場に足を運ぶ。が、他のお客さんと随分忙しそうだったので、横に居た別のお姉さんに商品説明をしてもらった。お金があったら危うく買いそうになった。横で普通に営業を続ける彼女の話が、普段からは想像もつかないほど親切な口調だったのがうける。結局彼女にも商品説明をしてもらい、三十分残業させる。

しかしこう改めて機会をもたないと、研究室では仲のいいほうだったと思うのだけど遊ぶことがなかったわけで。どうしてだろう、彼女も含めてもっと色んな人といろんなことをすればよかったかなと少し悔やむ。


帰り際に道端に置いてあった靴の写真。
040328_2357~001.jpg
どういう経緯でここにいることになったんだろうね、こいつは。

March 19, 2004

dream gate ml

ドリームゲートのメルマガで配信されたという一文。うちらのことくさい。

ドリームゲート○○です。 先日、ある事業プランコンテストに審査員として出席してきました。 参加した学生の皆さんが作成した事業計画書の完成度の高さ、 プレゼンテーションのうまさに驚きました。 「どうしてもやりたい、成し遂げたい」というマインドに、 これだけのスキルが加われば、鬼に金棒ですね。

今後ますます頑張ってください(^-^)/

いやぁ嬉しいね。頑張れamalthea.

March 16, 2004

sharp mebius

シャープのモバイルラップトップ、メビウスムラマサ(MebiusPC-MT2-H1W)がまた壊れたので修理に出していた。けど修理したと言って、なおっていないものを返してきた。以下経緯。

去年夏、キーボードが日に日におかしくなっていく。メビウスMT2はとても薄いラップトップで、キーストロークの深さをかせぐためにラップトップを開くときにギミックでキーボードがせりあがる仕組みになっている。それが、せりあがってこないキーがだんだん増えていった。キーを叩いても、叩いた感触がなく、ふにゃっとした感触になり、キーは反応しない。すごく強く押せばたまに反応する。

去年九月、エンターキーとスペースキーとその他アルファベット10個くらいのキーが上の症状のようになって使用に耐えなくなったので、修理にだす。保証期間中だったのだが、「水滴の付着の後が見られる証拠写真がありますので全額お支払いいただきます」と言われた。(このお姉さんの対応がホントに感じ悪くてびっくりした。)仮にそうだとして、どうしてキーがせりあがってこなかったり、日に日にふにゃっとするキーが増えてしかも強くおせば反応する、なんてことになるんだろう。明らかにギミックの故障だったと思うのだが「証拠写真がありますので」の一点張りなのでやむを得ず支払う。

去年冬、今度は液晶が壊れる。よく持ち歩くので完全にメビウスがひどい機種、というわけではないが、壊れ易過ぎだろう。液晶がついたり、つかなかったりする。真っ白になったり、テレビの電波の入りが悪い時のような画面になる。しばらく使わなかったり、液晶の角度を変えると映ったりすることもある。ラップトップがないと作業も何もお話にならないので数ヶ月その状態で粘る。

今年二月、以前のキーの故障と全く同じ症状でaのキーが壊れる。今度こそ水滴なんて絶対についているはずがない。使用があまりにも不快なので修理に出すことを決める。電話したら、「はぁ、そういわれましても同じ故障ということですとお客様の使い方が悪い可能性が高いですし・・」と言われた。自分達の製品に欠陥があるのかも、という発想にはならないのだろうか。さすが目の付け所が違う。

ちなみに液晶の具合が悪くなって以来ずっと、机の上におきっぱなしで細心の注意でもってそれは丁寧に扱っている。

今年三月、作業が落ち着くタイミングを見計らって修理に出そうとバックアップをとろうとしたら、液晶が完全に沈黙した。もう何をやっても映らなかった。仕方ないのでそのまま修理工場に出す。

一週間後、「液晶が壊れてるとおっしゃいましたが、その症状が見られないので見込み修理をいたします、キーボードは交換します」と言ってきた。俺に対してマーフィーの法則が働いたか、こういうときに限って映るんだよね。修理後すぐに壊れたのが気まずかったのか、恩着せがましい言い方で無料でやってくれるとのこと。当然といえば当然のことだが、ちょっとほっとする。

一週間後、メビウスが戻ってくる。液晶は大丈夫になったようだった。しかし。呆れたことにキーボードの症状は全く改善されておらず。ブチキレタ。シャープは修理したあとそれが直っているかも確認しないで「直しました」と返すらしい。

そんで今日また苦情を入れた。丁寧にね。明日引取りにくるって。

一体何週間シャープは俺の仕事を遅らせれば気が済むんだろう。サポートは悪くないと思いますよ。でも今度何かあったら絶対に修理に出さない。新しいものを買う。そして、シャープ製品は二度と買わない。

みなさんもシャープ製品を買うときはお気をつけて。

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March 13, 2004

sagamihara biz con

今日相模原市が主催するビジネスプランコンテストで一位獲ってきた。
印南研でのチーム、Amaltheaで一年間練ってきたプラン、「クーポン打」で。

最優秀賞は該当者なしということで最高賞金までは手が届かなかくて、それが目標だっただけに非常に悔しかったけど、賞金だけじゃなく、一年間の創業支援として、あるコンサル会社の代表取締役の公認会計士の方が監査について色々と指導してくれるようになったり、とてもおもしろい結果になった。

表彰式の閉会の辞を、リーダーのdjkが急遽言わされていてウケた。
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審査員にはドリームゲートの編集長の方とかもいらして、応援してくれると言って貰えたほど気にってもらえたのも嬉しい。他にも様々な人と話せて、多くの人に評価してもらえたり、応援してもらえて、自分達がやってきたことに対する自信を深めることができたことが一番よかったと思う。わけあって、念願の起業を前に自分はチームからの離脱を考えているのだけど、いい体験になったことに変わりはない。

打ち上げもメンバー全員揃って飲んだのは実は初めてで、なんとも楽しい一日の〆。

4月1日湘南台地域オープンの新サービス、「クーポン打」をどうぞよろしく。

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January 17, 2004

to let it be an exemplary...

自分は10代を雪国で過ごしたので、雪なんて滑るし交通の邪魔だし残ると道路が
真っ黒になって汚いし雪かきは面倒だし、とネガティブなイメージばかりだったの
だが、どうしてかそれでも雪が降りつつ積もらないでいると、積もらないかな、と
期待してしまう。日本に帰ってきてから、もう4年も経つからかな。

なんでこう、雪や氷って、心を躍らせるものがあるんだろう。
雪や氷に喜んで、はしゃいでいると、子供心を呼び覚まされるようで嬉しいのだけれど。

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January 12, 2004

Columbus Reunion

1月6日、数ヶ月前からNと企画していた同窓会を決行。
Nと知り合った、アメリカオハイオ州コロンバス日本語補習校の同窓会だ。

補習校というのは、アメリカの現地の学校に通う日本人の子供たちが、週に一度、
毎週土曜に通う文部省(当時)による学校施設。そこに通うほとんどの子達が
毎週土曜日を楽しみに毎日を過ごしていたように思う。自分も例外ではない。
週末は必ず補習校の友達と遊んだ。毎週誰かの家に泊まるか誰かが泊まりにくるか。
自分の家はまわりの日本人が住むエリアとは少し離れた地区にあったので、車で
送り迎えをする親御さん方にほんのすこし嫌がられたりしていたものだ。

その頃の友達のほとんどと、中学以来会っていない。小学校で帰国してしまった子も
いるので、そういう子達とは10年以上会っていないことになる。みんなどこで
どうしているのか全く想像がつかないし、連絡を取れるかどうか途方もない話に
なりそうだった。

しかし、友達の友達と連絡先を少しずつ繋げていき、珍しい名前の子はネットで検索
をかけ、ひっかかったウェブの管理者や所属団体にメールを送ったりするなどして
なんとか二十数人の連絡先を集めるに至った。

連絡先がついたけど残念ながら参加できなかった数名を除いて、声をかけたほとんど
の人が参加できることになった。

場所は、Nの親戚が経営する都内の幼稚園。新年会ラッシュで混みあう居酒屋では
10年ぶりの再会をゆっくり味わえない、と考えた場所だ。場所を貸してくれただけ
でなく、積極的に準備を手伝ってくれたNの伯父さんに心から感謝。

当日、寒稽古を終えて、馬場のNの部屋でその日の料理二十人分をたった一人で(!)作って
くれたCをピックアップし、昼過ぎに幼稚園に到着。それから開始の6時半まで幼稚園
を片付けたり物を配置したり買出しにいったりして準備に追われた。

そして、夜になり、ぱらぱらと人が集まり始めた。どれも懐かしい顔で、全く変わって
ない奴もいれば、名前を聞いたりエピソードを聞かなければ分からない子もいた。

近況報告が済んだあとは、単に昔を懐かしんだり、曖昧な記憶としてしか残っていない
出来事を掘り下げたり、会は一晩中楽しく進行した。ほとんど翌日まで残ってくれた
のが嬉しい。また、近いうちに、今度は同窓会としてではなく、今を一緒に楽しむ
仲間として集まりたい。

その日の写真。
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