January 19, 2007
東野圭吾著、「白夜行」を読んだ。
1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々に浮かぶが、結局、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と、「容疑者」の娘・西本雪穂―暗い眼をした少年と、並外れて美しい少女はその後、全く別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪。だが、何も「証拠」はない。そして19年・・・。息詰まる精密な構成と叙事詩的スケール。心を失った人間の悲劇を描く、傑作ミステリー長編!

一気読み!初東野圭吾だったのだけど、評判どおりの筆力でした。大連から成田へ向かう飛行機で読み始め、帰国してすぐ迎えた週末、ほぼ半年振りの日本の土曜日なのに、昼過ぎまでずーっとこの小説読んでた。読み終わったあとはズシンと重い何かが残る。決して面白い小説ではない。主人公たちの卑劣な犯罪を淡々と描き続けるだけの小説なのに、なぜにこうも悲しくなるのか。とにかく重い何かが、その後何日も残ることになった、威力のある作品でした。
東野作品には、またしばらくしたら何冊か手を出してみようと思っています。
October 17, 2006
村上春樹著、「海辺のカフカ」を読んだ。
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真…。 -「BOOK」データベースより-」

村上春樹という作家はあまり好きではないのだけど、彼の作品はたまにツボにはまります。今回の海辺のカフカも、よかった。彼のほかの作品と共通するテーマがいくつもあったように思うけども、この作品だけでえらく完成された印象を受ける。登場人物の会話が異様に記号的なのはいつものことで、さらに物語とは関係のない人物や描写というのも全くなくて、リアリティの欠片もないのだけど、メディアとしての小説というのはこういうことか、という感じ。
章毎に三人称の過去形で語られるパートと、一人称の現在進行形でかかれるパートに分かれていて、一人称現在進行形パートでは途中から二人称現在進行形、なんてのも混ざってくる。読んでて不思議な気分になる、不思議な小説です。
しかしこの現在進行形で書く、というスタイル、最近流行りなんだろうか。舞城小説でもよく使われているし、伊坂小説でもたまに使われていた。海辺のカフカではカフカ少年の章全ての文章がそうだったので、読みにくいことこの上なかった・・・
でも全体的にはヒット。暇ーな時に読むのをお勧めできる一冊です。
September 03, 2006
吉田修一著、「最後の息子」を読んだ。
新宿でオカマの「閻魔」ちゃんと同棲して、時々はガールフレンドとも会いながら、気楽なモラトリアムの日々を過ごす「ぼく」のビデオ日記に残された映像とは…。第84回文学界新人賞を受賞した表題作の他に、長崎の高校水泳部員たちを爽やかに描いた「Water」、「破片」も収録。爽快感200%、とってもキュートな青春小説。

表題作は変わった作品だと思ったけども特に気に入るということはなくて、破片にしても同じような感想。この人の文章は軽くて好きなんだけども、この表題作は軽さのせいかはわからないが心に残らなかった。結構どうでもいい感じ。
ただ、「Water」という作品は素晴らしかった。ストレートなエンターテイメントで、爽やかな青春小説のお手本、と言っても良い位完璧な出来だと思った。同時にそれは誰でもかけそう、ということでもあるので、この作品を持ってこの作家が良いとは言いたくないが、やはりこんなにも心に響く情景を描いてくれたことには感謝しないといけない。内容は高校生4人組の水泳大会に向けた情熱と日常をリズミカルに描いていく。全国にいる高校生のなかでも最高級に幸福な部類に入る子達の話だけども、誰しもこんな時間は一度はあったんじゃないかとも思う。青春なんて言葉は言うのも恥ずかしいけど、たしかに青春って時期はあるんだと強制的に認識させられる力があった。久々に読後の余韻にどっぷり浸らせてもらえた作品だった。
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「フラれたとか?」
とおじさんが、声をかけてきた。ボクは返事もしないで運転席の後ろの席に座った。真っ暗な県道にぽつんと光るバスの中で、じっと自分の手を眺めていた。運転席に戻ったおじさんが、エンジンをかけながら、
「坊主、今から十年後にお前が戻りたくなる場所は、きっとこのバスの中ぞ! ようく見回して覚えておけ。坊主たちは今、将来戻りたくなる場所におるとぞ」
と訳の分からぬことを言っていた。
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August 18, 2006
小野不由美著、「黄昏の岸、暁の天(そら)」を読んだ。
登極から半年、疾風の勢いで戴国を整える泰王驍宗は、反乱鎮圧に赴き、未だ戻らず。そして、弑逆の知らせに衝撃を受けた台輔泰麒は、忽然と姿を消した!虚海のなかに孤立し、冬には極寒の地となる戴はいま、王と麒麟を失くし、災厄と妖魔が蹂躙する処。人は身も心も凍てついていく。もはや、自らを救うことも叶わぬ国と民―。将軍李斎は景王陽子に会うため、天を翔る!待望のシリーズ、満を持して登場。-「BOOK」データベースより

NHKでアニメ化されているものを見て世界観に惹かれ、何人もの読書仲間に原作を読むことを勧められてようやく手にとった一冊。ファンタジーが今年のマイブームとなったきっかけでもあります。
東洋中世風ファンタジー、十二国記。現代の東京からこの異世界に迷い込んだ女子高生が、その世界の不思議な条理のために、王にされてしまうというお話のシリーズ。よく練られた世界観の設定があって、それを軸に様々な物語が構築されていく。所謂設定モノ、というやつだろう。
そして所謂ティーン向け小説。難しい言葉沢山出てくるけども、会話のテンポや展開なんかはマンガ的です。マンガが大好きな僕としては、こういうジャンルも割りとイケるようです。
・国の数は十二。
・それぞれの国には一匹ずつ麒麟が産まれ、その麒麟が天の意思を代行して王を選ぶ。
・王に選ばれた人間は永遠の寿命を得るが、王が道を失う(悪政を敷く)と麒麟が病気になり、麒麟が死ぬと王も死ぬ。
・王を失った国は天変地異と魔物で溢れ、国土は荒れる。
・次の麒麟が生まれ、その麒麟が王を見つけるまでは、誰も王として立つことはできない。
・十二の国は互いの国を侵攻してはならず、国際戦争は起こらない。
・王が善く国を治める限り、その国の繁栄は何百年でも続く。
・人は、それぞれの町に一本ずつ生えている特別な木に実る、木の実から産まれる。
・人間の寿命は、普通の世界と同じ限られたものだが、政府の高官になったり、仙人に仕える身になると、「仙籍」と呼ばれる戸籍に登録され、やはり不老となる。
・この「仙籍」は戸籍のようなものなので、除籍すれば普通の人間に戻る。
などなど、細かい設定には列挙の暇がない。これだけ細かい設定を世界に与えて、十二の国に様々な事情を持たせてあるのだから、いくらでも物語が書けそうだ。だけども、著者の小野不由美は、そのごく一部の物語を書いてしまって力尽きたかのように、シリーズを物語の途中で止めてしまっているようだ。この世界観はたまらなく魅力的なだけに本当に惜しい。
この「黄昏の岸、暁の天」も、壮大な物語のワンシーンでしかないのだが、この物語で触れられた複線も回収される見通しが立っていなさそうだ。物語としては完結しているのだけども、やはりここで語られていない真実がどうしても気になってしまうのが読者の心情というものでしょう・・・
本作単体だけで評価してもあまり意味ないとは思うけど、このタイトルだけに限って言えば、あまり優れた一作とは思えなかった。何しろ導入から物語後半まで、ほとんど話が進まない。主人公は同じような葛藤と回想を繰り返すだけで、事態は終盤まで何も進展しない。重要人物であるはずの麒麟も、その麒麟の物語だけで別のタイトルで描かれているからか、本作ではほとんど語られず、この一作を読んだだけではまず麒麟さんに感情移入ができない。そしてとにかく盛り上がりどころが無かった。いくつかあったとすれば、たまに目に付く登場人物によるながーい「お説教」くらい。あれを小気味いい啖呵と捉えるか説教と捉えるかが感性の別れ目なんだろうか・・・。物語や話の構成はよーく練られているんだけども、どうにも人間同士のやり取り、つまりドラマ部分に幼稚な雰囲気を感じてしまうのが気になって仕方なかった。冒頭にも書いたけど、「所謂ティーン向け」ということをやたら意識させられる小説だった。
なんか凄くけなしているような文章になってしまったけど、全体のお話としてはとても好きなんです、十二国記。いずれにしろやっぱりこの作品は「十二国記」という大きな作品の一章として楽しむべきだと思いました。だとしたらやっぱりこの「続き」もどうしても必要だと思うんだけどね・・・
August 07, 2006
宮部みゆき著、「火車」を読んだ。
休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して―なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか?いったい彼女は何者なのか?謎を解く鍵は、カード会社の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。

一気読み!!!久々に寝る時間を忘れるほど夢中になって読み進めた。読了後は思わず天を見上げること数分。読み終わってすることが無くなったので、それまで2時間居座ったスタバを出てからも、胸を締め付ける感じがしばらく消えなかった。あのラストは読者を驚かせるけども、思えばあのラストだからこそこんなにも余韻が残るんだろうな。
ミステリーだから当然「犯人役」がいるんだけど、この人物がまた・・・感動や悲しみではなくて、同情で泣けてきた。巻末の解説で、解説者がごく自然に「ヒロイン」という言葉を使っていたけど、犯人役こそがまさにヒロインなのでした。
あとはネタばれ感想を追記に。
続きを読む...
途中から刑事も読者も、許されざるべき殺人犯の彼女に、どうも惹かれていっているはず。僕も、図書館で必至に父親の死を願いながら官報をめくる姿に涙がこみ上げてきた。誰かが凄く彼女をかばったり、同情的に描かれているわけではないのに、どうしようもなく肩入れしたくなる人物。こういう人物を描けただけでも成功した作品だ。
しかしあのラストにはホントにやられた・・・一番楽しみにしていた彼女の肉声を、結局一度も聞くことはできなかった。(そういう演出のために、最後の「こんにちは」もどちらの発言か判らないように書いている)
物語のアンタゴニストであり、ヒロインでもある最重要人物が、人々の思い出の中を除いて作中一度も喋らず、姿を現したのも最後のほんの一瞬。彼女を前にしてどんな展開が起こり得るんだろうか、と、作中の刑事さながら聞きたいことを溜めに溜めていた読者には凄まじい裏切りだ。
でもやっぱりあそこで終わるから、あとは全て読者のモノになるんだ。語られるべき事実は全て語られていて、あとはどんな「気持ち」が、どんな真実があったのか、想像に難くないけど、決して想像できない、彼女の物語に想いを馳せる楽しみ。
ホントに、偉くて凄い、大傑作でした。
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August 05, 2006
ウンベルト・エーコ著、「薔薇の名前」を読んだ。
中世、異端、「ヨハネの黙示録」、暗号、アリストテレース、博物誌、記号論、ミステリ…そして何より、読書のあらゆる楽しみが、ここにはある。全世界を熱狂させた、文学史上の事件ともいうべき問題の書。伊・ストレーガ賞、仏・メディシス賞受賞。-「BOOK」データベースより

ようやく読み終えた、大作「薔薇の名前」。ウンベルト・エーコと言えば記号論の大家。僕自身は、文学専攻でもないのに何故か履修していた記号論の講義で散々引用されていて知った。文学部の友人に言わせると、般教でも名前が出てくるくらい有名な学者とか。で、その学者が小説を書いていて、しかもそれが大変な傑作だと聞いた時からずっと読みたいと思っていた。イタリアやフランスで最高の文学賞を取ったとか、全世界で1000万部以上売れてるとか、最高のエンターテイメントにして芸術、とかあらゆる書評でベタ褒めされていた。上下巻で4000円と学生にはなかなか手を出しにくい小説だったが正月に古本屋で状態の良いのを買えた(それでも2500円したけど)。そして、最近まで積読本の山に埋もれていて、今日ようやく読み終えた。
結果は、確かに凄かった。凄かった、が・・・巻末の訳者あとがきや、読書家の書評などを読んでみて、自分が面白さの10分の1も体験できていないように思えてショックを受けた。この小説、ストーリーの筋書きそのものもミステリーとして非常に凝っていて面白い。物語の背景であり随所で問題になる当時のキリスト教世界内の軋轢や当時の人々の宗教観などが細かくて興味深い。1300年代を舞台に設定している時点で読書経験の浅い僕には新鮮だったのだけど。でも、著者はストーリーは単なる道具として利用しながら、この作品を通して色々面白いことをやってるみたいなんだけど、それが部分的にしか分からなかった。
例えば「書物の中の書物」というキーワードが出てきた時も、ボルヘスの「伝奇集」(未読)を思い浮かべたが、やはり読んでおいたほうが良かった。他にも、ダンテの「神曲」(これまた未だに読んでない・・)を初めとするその他のヨーロッパ文学の必読書のようなものを読んでいると、この辺のしかけは気付きやすかったんだと思う。この作品に触れるのが、どうも早過ぎたようだった。あと500冊くらい本を読んでからこの本に辿り着きたかった。問題は、僕は訳者に作品の味を損ねられるのが嫌で、翻訳モノを読むのを敬遠するきらいがあるから、海外文学をあまり読んでこなかったという点。それがこんな形に裏目に出るとは・・・原著で読むとしても、せいぜい英語の作品しか読めないわけだけど、ヨーロッパの偉大な作品の多くは本作も含めて英語ではない。うーん、ヨーロッパ言語を自在に読めるようになってみたいと初めて思った・・・名訳!というのがあったら是非お勧めを教えて欲しいです。
今回の件で、何故自分は日本に生まれなかったのかと泣いて悔しがるというアメリカのジャパニメーションオタクの人々の気持ちが少し分かった気がする。
とにかく20年後くらいに読み返してみたいと思わされた作品。読書歴に自信のある方、もしくは文学の構造分析などが好きな人にはお勧め!!
August 02, 2006
新田次郎著、「孤高の人」を読んだ。山岳小説というジャンルらしいが、とにかく大正から昭和初期にかけて生きた不世出の登山家、加藤文太郎の生涯を綴った物語。こいつは本を読まねーだろー、と思ってた友人から誕生日プレゼントとして贈られたんだけど、これは、やられた。稀にしか出会えないレベルの読み応え。ちょっとそいつを見直した。
この小説には、目の前にあるように美しく厳しい山頂の風景、孤高であろうとしても振り払えない人と触れ合うことへの渇望、そして人と触れ合えた時の喜びが、ふんだんに描かれている。孤独であろうとする心と、人との繋がりを求める心との葛藤にひどく共感した。物語の最後は、プロローグですでに予言されている通りに文太郎の死で幕を閉じるんだけど、そのあまりの壮絶な人生と、彼を待つ人のことを想って、読了後しばらく放心してしまった。
読み終わってこれが実在の人物(実名)の物語と知ってさらに驚愕。強烈な小説でした。激しくお勧め。
July 23, 2006

高橋留美子作、「めぞん一刻」を読破した。いわずと知れた80年代ラブコメ漫画の金字塔。小さい頃にアニメで少し見ていたけど、その頃は対して面白いと思えず続けて見てなかった。
高橋留美子作品は、小学生の頃連載してたらんま1/2が開始当初は好きだったけども、途中でだれてぐだぐだな展開になり始めてから興味を失い、以来現在の犬夜叉までその流れは続いていそうで良いイメージがない。でもやっぱりめぞん一刻は良い、と頻繁に聞くので通して読みたいと思っていた。
読んでみたら面白いこと面白いこと。優柔不断でだらしなくて意気地のない五代君と、頑固ではやとちりで妬き餅焼きで五代君以上に優柔不断な音無響子さん。こんなに主人公を応援したくなるのも珍しければ、こんなにヒロインにイライラさせられることも珍しいくらい感情移入した。いや、響子さんサイコーなんだけども。五代君があまりのも情けないのがいけないんだけども。しかしなんでこんな主人公に肩入れできるのかが未だに自分でも理解できない。
面白いのが、作中のほとんどのすれ違いが、今の世のように携帯電話やメールが普及していたら起こらない類のものだったということ。共用の置き電話の会話を響子さんが盗み聞きして誤解する、というエピソードが腐るほどあった。あと面白かったのは物語がどうやら連載とリアルタイムで進行していたということか。7年連載したらしいけど、途中響子さんの亡き夫の命日がたしかに5回も6回も出てきた。季節ネタも沢山あったし。五代君18歳、響子さん21歳から物語は始まり、最後は就職浪人した五代君が無事就職し、響子さんは27,8歳になっていた。それに思い至るとラストはやはり感慨深かったなぁ。
有名なプロポーズのシーンはラストではなかったと知って意外。あの後に2話エピローグがありました。そっちのほうが感動的だったな。五代君の最後の墓参りには泣けた。一番意外だったのは、終盤ベッドシーンなどがしっかりあったとこ。らんまや犬夜叉のイメージでてっきり少年誌(サンデー)連載かと思っていたら、ビッグコミックス連載だったんだね。というよりあの長さの連載でそれまで全くその手の話題に触れてこなかったのにいきなりだったってことに驚いたのだけども。でも一人の青年の青春全てをかけた恋愛を描ききったのがやっぱ一番エライ。
いやー名作。
July 17, 2006
July 09, 2006
舞城王太郎著、「煙か土か食い物」を読んだ。
腕利きの救命外科医・奈津川四郎が故郷・福井の地に降り立った瞬間、血と暴力の神話が渦巻く凄絶な血族物語が幕を開ける。前人未到のミステリーノワールを圧倒的文圧で描ききった新世紀初のメフィスト賞/第19回受賞作。-「BOOK」データベースより

舞城小説三冊目。
阿修羅ガール(2003/01)→
世界は密室でできている(2002/04)→煙か土か食い物(2001/01)、と発表順で言ってだんだんと遡って読んでいるわけだけど、彼は最初からぶっとんでいた。今回のがデビュー作。色々と凝った試みを見せていた阿修羅ガールに比べると、この作品はエンターテイメントど真ん中という感じで、一ページ目からラストまで落ち着くことなく一気に読者を引っ張っていく。読書はおっくうとか、面白い部分に達するまでに飽きてしまう、という人でもこの人の作品ならどんどん読めるんじゃないだろうか。
この作品、書店等のジャンルではミステリーと位置づけらるんだろうけど、実際はミステリー風の全く異質なものだ。途中で犯人が誰とかどうでもよくなってくる。誰かがアマゾンのカスタマーレビューでうまいことを書いていた。
"ゴッド・ファーザー"がマフィア映画というジャンルでくくられがちだがその辺は単なる舞台設定に過ぎなくて実は「家族」の物語だったんだ…と実際に見ればすぐ分かるように、これも読み始めてすぐ、「あっこれもしかしてミステリじゃありませんね?」と気付く。
記事最上部に引用した紹介文にもあるように、多分に暴力と狂気がフィーチャーされた物語だけども、ミステリーの基礎である殺人事件の謎と過剰なまでの暴力をとりはらったら、残るのは家族の物語。そしてその極めて凄惨でアンリアルな家族模様を取り払ったら、残るのはとっても真面目でまっすぐな、そして極めてリアルな愛情の物語のはずだ。こんなに狂った話で、最後にうるっとさせられるとは思わなかった。これは、「世界は密室でできている」でもやられたパターンだ。この人の描くキャラクターの温かさになぜか胸を打たれる。
この本を読むには、まずこの人の乱暴な口語調の文体を受け入れられなくては辛いと思う。句読点も改行も少ないし、なによりそもそも著者がこの作品を書き上げる動機となっていそうなほどに、これまでの小説上のルールを破りまくっている。謎を推理するのではなく、謎が現れた瞬間即座に脈絡なくひらめく、とか、第一人称なのに現在進行形で書かれたりする、とか。正統的な小説に読みなれている人には読みづらいことこの上ないでしょう。でもそれを受け入れられたら、きっと好きになってもらえそうな気がします。
ところで、この舞城王太郎を世に出した、「メフィスト賞」ってのがどんな賞なのか気になったので調べてみた。すると、結構有名な作品がちらほら。未読だけど、森博嗣の「すべてがFになる」、殊能将之の「ハサミ男」なんてのはよく名作として耳にする。西尾維新もメフィスト賞出身だったとは驚き。最近少々首を突っ込んでみたライトノベルの世界で、時代のエース的扱いをよく受けてる人だ。受賞作の「クビキリサイクル」もこの前友達が読んでたな。でも他の歴代の受賞作とその簡単なレビューなんかを見てみたけど、なんか、結構微妙だ。あたりはずれが激しそうな印象。選考を、ファウストっていう小説雑誌の編集部内だけで行ってるらしい。「独断と偏見で」というやつ。でも、その独断と偏見の変な基準から、この才能を見出した。今では、ライトノベルというジャンルも、ミステリーというジャンルも超えて、芥川賞候補に挙がり、三島由紀夫賞に輝き、今度は小説家という枠を越えてマンガや映画製作に乗り出している。ジャンルとかほんとどうでもいいと思わせてくれる。こんな変な人を出すんだから、きっとすてた賞じゃないんだろう。そのうち他の受賞作にも手を出してみよう。
荻原規子著、「空色勾玉」を読んだ。
国家統一を計る輝の大御神とそれに抵抗する闇の一族との戦いが繰り広げられている古代日本の「豊葦原」。ある日突然自分が闇の一族の巫女「水の乙女」であることを告げられた村娘の狭也は、あこがれの輝の宮へ救いを求める。しかしそこで出会ったのは、閉じ込められて夢を見ていた輝の大御神の末子、稚羽矢。「水の乙女」と「風の若子」稚羽矢の出会いで変わる豊葦原の運命は。
福武書店版の帯の文句がなによりもこの本の世界を物語る。
「ひとりは「闇」の血筋に生まれ、輝く不死の「光」にこがれた。 ひとりは「光」の宮の奥、縛められて「闇」を夢見た。」
不老不死、輪廻転生という日本の死生観や東洋思想とファンタジーの融合をなしえた注目の作品。主人公2人の成長の物語としても、その運命の恋を描いた恋愛小説としても、一度表紙を開いたからには最後まで一気に読ませる力にみちている。中学生以上を対象とした児童書ではあるものの、ファンタジー好きの大人の読書にも耐えうる上質のファンタジーである。-amazon.co.jpの商品説明より

最近ファンタジーがマイブームです。良質のファンタジーを求めてる時に友人に紹介してもらったのがこの作家。ファンタジーといえばやはり「剣と魔法」の世界観で、当初はやはりそういうものをイメージしていたのだが、こういう日本の古代とか、剣とか勾玉とかってキーワードに元から弱いので食いついてみた。
世界観は大胆にも日本の神話時代。古事記とかに出てくるような時代。登場人物は名前こそ違うものの、明らかにアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴士がモデルだ。日本風のファンタジーときたら、陰陽師系やもののけ姫のような八百万の神々と言ったモチーフなら触れたことがあったけど、この三神をキャラクターとして動き回らせるような物語には触れたことがなかった(スサノオはわりとお話しになりやすい伝説が残ってるので別だが)。それだけに凄く新鮮で、心躍らされた。日本神話には特別な思い入れがあるのです。
物語は会話中心でさくさくと進み、読み手をぐいぐいと引き込む。盛り上げどころの描写が少々物足りないと思わないでもないけど、クライマックスの迫力は申し分なかった。そこでそれを出しちゃうのか、と。
登場人物は、輝の大御神(イザナギがモデルと思われる)を崇める光の軍勢=神の軍団と、闇の大御神(同じくイザナミ)に守られる闇の軍勢=人間の勢力とに別れて戦う。面白いのが、ヒロインは闇の側につき、闇=人間として、神に歯向かおうという、光対闇の対立で読者の共感を闇に置こうとしているところ。イザナミは古事記でも黄泉の国の支配者とされ、闇はそのまま死を指し、この物語はしいては死の肯定、限りある時間の肯定、そして有限の時間の中でこそ人間は情を知る、という生の肯定を根底のテーマとして据えているように読める。児童文学らしい、読後に前向きな気持ちにさせてくれる一冊だ。
3部作らしいけど、とりあえずこの話はこの一冊で完結しているので、今は他の作品にどんどん触れていこうと思います。
衛慧(Wei Hui)著、「上海ベイビー」(原題:上海宝貝」)を読んだ。中国では発禁処分になると有名になるとかで、この作品もおそらくそれが知名度を上げた原動力だったんだろうけど、中国人の知り合いも大抵は知っている有名な作品のようだ。
クールな新人作家、衛慧が発表した本書は中国本土ですでに大ブレイク中の小説。不機嫌で短気で驚くほどみだらな筆致により、セックスにおぼれながら愛を模索する1人の美しい女流作家を描いた新感覚の作品で、大胆な性描写のため中国政府から発禁処分を受けたいわくつきの話題作だ。そのきわどさはヘンリー・ミラーの『Tropic of Cancer』(邦題『北回帰線』)に引けをとらず、衝撃度は『Trainspotting』(邦題『トレインスポッティング』)に負けていない。「魔都」上海の先端風俗の中、どんどん過激な情事にはまっていく主人公が飛びはね、わめき、手加減なしに全力疾走する姿を描いた本書は、アジアにおける新世代の台頭を表現した作品でもある。-amazon.co.jpの商品説明より抜粋

この紹介文はちょっと閉口ものだけど、読んでみると意外に引き込まれる。ストーリーはほぼ無いに等しい、「過剰に自己投影されている」とされる著者の創作にあたる苦悩を描いた私小説的内容で、面白いことは無いはずなんだけど、とにかく文章がかなり新鮮。日本人にはまず思いつけないだろう表現がいたるところにあって、こんな表現があるんだと感心しっぱなしだった。本当に綺麗な描写が盛りだくさんで、たまに狙いすぎな表現が鼻につくけど(特にラスト)、全体的にかなり文章を味わう感性を刺激される。外国語作品の日本語訳なのに、日本語の可能性を広げられた気分だった。(今ちょっと本が手元にないので引用できないのが残念)
主人公は自己愛の強いかなり不安定な人物で、共感するのは男の僕にはかなり難しいんだけども、これは性差コンシャスな女性に物凄く受けそうな気がする。友人の何人かにはかなり強くお勧めしたい。スタイリッシュな文体もうけそうだ。享楽主義な人にもそれを軽蔑する人にもお勧めだと思います。
May 14, 2006
川島誠著、「セカンドショット」を読んだ。
電話がなっている。君からだ。だけど、ぼくは、受話器をとることができない。いまのぼくには、君と話をする資格なんてない。だって、ぼくは…。あわい初恋が衝撃的なラストを迎える幻の名作「電話がなっている」や、バスケ少年の中学最後の試合を爽快に描いた表題作、スペインを旅する青年の悲しみをつづった書き下ろし作品を含む、文庫オリジナル短篇集。少年という存在の気持ちよさも、やさしさと残酷さも、あまりにも繊細な心の痛みも、のぞきみえる官能すらも―思春期の少年がもつすべての素直な感情がちりばめられた、みずみずしいナイン・ストーリーズ。
以前「800」というこの著者の作品を読んで非常に良かったので、続いて彼の出している短編集に手を出してみた。これもまたいい作品集で、特に表題作の「セカンドショット」は秀逸。「電話がなっている」という作品は、最近ここまで後味の悪い話は無かった、というくらいインパクトがあった。星新一あたりがこういう作品を書いていてもそこまで思わなかったかもしれないけど、爽やかな中学生の物語集の中にこの作品が挟まれていたからその衝撃度が断然違ったものになっていた気がする。とにかく全体的にレベルの高い小説集だったように思う。中学時代にこれを読んでいたら、なんか下手に大きく影響を受けてしまっていたかもと思うと面白い。今読んでこそ面白い類の話だとは思うけどね。

ダン・ブラウン著、「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ。内容に関しては説明不要かな。ストーリの展開そのものは至って平凡なんだけど、随所にちりばめられている薀蓄が面白くて仕方がない。ラストも、僕は大好きでした。ジーンと来てしばらくその「事実」に思いを馳せて立ち尽くしてしまいました(立って読んでいた)。クリプテックスが欲しい。
May 11, 2006
舞城王太郎著、「世界は密室でできている」を読んだ。
十五歳の僕と十四歳にして名探偵のルンババは、家も隣の親友同士。中三の修学旅行で東京へ行った僕らは、風変わりな姉妹と知り合った。僕らの冒険はそこから始まる。地元の高校に進学し大学受験―そんな十代の折々に待ち受ける密室殺人事件の数々に、ルンババと僕は立ち向かう。

舞城ワールド2作目。今回はエンターテイメントまっすぐの爽快な青春モノ。密室事件が何度か起こって名探偵ルンババ12が解決するんだけど、これはあくまで話のアクセントでしかない様子。随所に繰り広げられる主人公二人のばかばかしいやり取りとかが非常に笑える。個人的に赤ん坊の泣き声が「フギャーイギッヒ」なのがツボ。で、プロットの大部分を占める事件たちはあまりにも狂っていて読者にトリックを予想することはほぼ不可能に近い。で、著者もそれをわかっているのかほとんどひっぱらずにルンババ12にあっさりそれを解かせてサクサク話を進める。結局、全ては冒頭とエンディングに凝縮されている主人公二人の愛と友情の物語だった。
旅行に行くバスの中で、同行した友人達がみんな寝てしまったのでその間に読んでいたのだが、クライマックスでは高速を走るバスの騒音とみんないびきの中、一人感動に鼻をすすっていた。
短時間で楽しめるエンターテイメントをお求めの方にはとってもお勧めです。
March 31, 2006
大江健三郎著、「個人的な体験」を読んだ。脳に障害を持って生まれてきた赤子を、母親と対面させる前になんとか死なせようともがく男の物語。暗く陰鬱な展開が続くのに、非常に読みやすかった。大江文学をまともに読むのは初めてなんだけども、その多彩で豊かな表現力にまず驚かされる。表現がいちいち凝っているので暗くとも飽きずにサクサク読み勧められたのかもしれない。ラストの展開には正直驚かされた。そんなバカな、と。そしてエピローグの蛇足。
でも、自分は所謂「後日談」が好きである。小説としては、スパっと切れたほうが威力があるのは分かる。読者に委ねる、ということが大きな意味を持つことも分かる。ご都合主義に過ぎたり、わざわざ加えるべきでない、ぬるくてどうでもいい話がエピローグに多いのも知っている(この作品でも、作品としてはこのエピローグはいらないだろ、とやはり思った)。だけども、それでも「後日談」を読みたい、という欲求には抑えがたいものがある。物語の世界観に入り込むあまり、どんなどうでもいい話でも、その世界の人々の話が知りたい、という欲求。物語の続きに救いを求めることを、こちらの解釈と想像だけに任せることは、ある意味旅立つ友人の先行きに対する気がかりを、想像だけで満足させるようなものだ。やっぱり、友人がどうしてるか、友人からの回答が少しは欲しいと思ってしまうのだが、文学にそれを求めるなということなんだろうか。
とにかく、僕はこの作品にある「後日談」は肯定的に受け止めているわけです。他にも似たモチーフで色々書いているそうなので、違うテーマの作品を読んでみたい。文章もつぼにはまったし、人に勧めたくなる作家です。
March 15, 2006
金原ひとみ著、「Amebic」を読んだ。ストーリーはわりとどうでもいい作品なのであらすじは割愛。デビュー作で芥川賞を取った作家の第3作目。どこかで、小説家の真価は3作目で問われる、と読んだことがある。デビュー作は原体験やそれまでの貯金的なものを全て吐き出すようなもので、2作目は「1作目とは違う挑戦作」を書くことで、その人の残りのセンスが試される。そうなると、大抵の場合そこまででネタが切れ、3作目こそ作家として初めてまっさらな実力が試される、というような話だったと思う。金原氏の、その3作目。結構期待して読んだ。読み終わった後に、著者のインタビュー等を読んだが、本人曰く、「完璧だ、奇跡だ」だそうだ。ストーリー的にはなんてことないので評判はイマイチだが、個人的には共感、というか、言いたいことのなんとなく分かるような分かりたいような、そんな印象の作品なので、気に入った。特に、「皮膚も触覚も脳も思考も、全て分裂して自分自身が疎外され、隔離され、断絶されている感覚って、分からない?」 この感覚が非常によく分かる。説明しづらいが、似たような感覚に襲われる(まさに襲われるような感覚)ことが、稀にだけど確かにある。主人公は、なかなかいないようでよくいる、眺めている分には小気味いいほどの性格の悪さなんだけども、インタビューを読んで知ったところ、ほとんど著者本人の投影のような主人公だそうなので苦笑してしまった(作中の主人公はよくモデルに間違えられたりもする)。
また、珍しいな、と思ったのが、この小説、やたらと排泄のシーンが目立つことだ。小便や大便の用をトイレで済ますシーンが度々描かれる。生活を描く小説でも、なかなか描かれないシーン、だけども必ずあるはずのシーンなので、おっ、と思った。
短くて読みやすいけど、読了の満足感が得られるかは微妙なのでお勧め度としては「可もなく不可もなく」というところでしょうか。
March 07, 2006
よしもとばなな著、「ハゴロモ」を読んだ。
失恋の痛みと都会の疲れを癒すべく、故郷に舞い戻ったほたる。雪に包まれ、川の流れるその町で、これまでに失ったもの、忘れていた大切なものを彼女はとりもどせるのだろうか―。言葉が伝えるさりげない優しさに救われるときはきっとある。人と人との不思議な縁にみちびかれ、自分の青春をあらたにみつける静かな回復の物語。-「BOOK」データベースより-

女友達の紹介で読んだのだけど、ちょっと気分じゃなかった。その人が感じた良さを自分は感じることができなったということが少し残念。
February 26, 2006
田口ランディ著、「コンセント」を読んだ。
ある日、アパートの一室で腐乱死体となって発見された兄の死臭を嗅いで以来、朝倉ユキは死臭を嗅ぎ分けられるようになった。兄はなぜ引きこもり、生きることをやめたのか。そして自分は狂ってしまったのか。悩んだ末に、ユキはかつての指導教授であるカウンセラーのもとを訪ねるが…。彗星のごとく出現し、各界に衝撃を与えた小説デビュー作。 -「BOOK」データベースより-

医学生の友人との会話中だったか、どこかの本だったか、病気というのは「普通と違う状態」ということで悪いとは限らないとか、「脈絡なく意味不明なことを言ったりやったりする人を狂っていると言うけど、それはその人の思考経路や脈絡を捉えることができていないだけで、本当はその人にはその人の論理や脈絡がある」という話を聞いたことがある。この小説は、そういう一見精神を病んでいたと思っていた人の謎を解き明かしながら、さらに一歩進んでシャーマニズムというスピリチュアルな世界にまでつっこんだ挑戦的な作品だ。作中に紹介されていたが、
WHOにおける健康の定義によっても「スピリチュアルに健康であること」が明記されているというのは興味深い。
僕は元々オカルト的な話が好きじゃない。超常的なことを信じないというのではなく、僕自身が反証しきれないのでどちらかというと信じているほうだが、相手が反証できないことにつけこみ相手を不安に陥れ、それによって自分が優位に立とうするという心理を、オカルトで生きている人やそれを日常的に人に話す人たちに感じてしまうからだ。あらゆるオカルト話にそう感じるわけではないが、そういう用法が多いと感じている。この小説は、そういった嫌悪感を抱かせない「オカルト」な話だった。この作品でいう超常展開とは、本物のシャーマンの存在と、狂ってしまうということはシャーマンに近づく過程であるということ。実際、精神科医が何年もかけて治療にあたる心の病をシャーマンというか、霊能者というか、そう自称する人々が10分とかで癒してしまう例はいくらでもあるそうだ。元々「疑似科学」自体には非常にロマンを掻き立てられるので、本当は大好きなのかもしれない、オカルト。
また、この作品を受けてのチェインリーディングとして、真木悠介(見田宗介)著「気流の鳴る音」を読むことを自分に課すことにした。
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・「人間の体って、死なないんですよ。・・・人間の体って、固体として変化し続けるんです。ほっておけば、硬直して血が流れ出して、腐って、蛆がわいて、どんどん変化していく。そして、微生物に分解され自然へと還っていく。放置された死体は生きて、変化していくんです・・・」
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February 19, 2006
舞城王太郎著、「阿修羅ガール」を読んだ。
好きでもないクラスメートの佐野明彦となぜか「やっちゃった」アイコは「自尊心」を傷つけられて、佐野の顔面に蹴りを入れ、ホテルから逃げ出す。翌日、佐野との一件で同級生たちにシメられそうになるアイコだが、逆に相手をボコって、佐野が失踪したことを知らされる。佐野の自宅には切断された指が送られてきたという。アイコは、思いを寄せる金田陽治とともに、佐野の行方を追うが…。
同級生の誘拐事件、幼児3人をバラバラにした「グルグル魔人」、中学生を標的とした暴動「アルマゲドン」。謎の男・桜月淡雪、ハデブラ村に住む少女・シャスティン、グッチ裕三に石原慎太郎。暴力的でグロテスクな事件とキャラクターたちが交錯する中を全力疾走するアイコの物語からは、限りなくピュアなラブ・ストーリーが垣間見えてくる。純文学やミステリーといったジャンルを遥かに飛びこえた、文学そのものの持つパワーと可能性を存分に味わっていただきたい。(中島正敏) -amazon.co.jpのレビューより抜粋-

これは凄い。途中まで読み進めて、一旦休憩に本を閉じた時、「これは小説を超えている」と感じた。
ある思想の表現、真実の探求が言語芸術の機能だとしたら、コレは間違いなく高品質の芸術だ。語彙の少ない女子高生の口語調という所謂「純文学」的とは程遠い奇抜な文体を指してこの作品が偉い、ということではく、純粋にアイコの他愛ない思考、幼稚な行動で人間の真実をふんだんに描ききるという技術とセンスとメッセージ、その美学。似たようなものを、綿矢りさの「蹴りたい背中」を読んだ時にも感じたけども、こちらはさらにぶっとんでいる。
そろそろ現れると思っていた、「2ch」を代表とするネット上の匿名集合体社会の、そのリアル社会とそこに生きる個々人への影響力をしっかり取り上げた作品だということも特筆に値する。
文学の力を味わうには今ある最先端の作品の一つだろうということで、超お勧めします。
以下、印象深いパッセージをいくつか。
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・減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。
・自分を犯した変態の股間を銃で打ち抜いてからその人はブルース・ウィリスに「アーユーOK?」とか訊かれて「アイムプリティファッキンファーフロムOK」って答える。アイムプリティファッキンファーフロムOK。変なボール口の中に入れられて無理矢理変態にお尻を犯されたらそれはやっぱりそうだろう。アイムプリティファッキンファーフロムOK。「OK」なんかからは程遠いんだろう。あの黒人の人はホントに可哀想だ。
でも私は?
私はOK?
うーん。
うん、OK。
少なくともまだ、私はアイムプリティファッキンファーフロムOKって感じではない。
私はとりあえず顔射も口の中でドピュドピュゴクンも中出しもプリズンエンジェルも避けられたのだ。
うん、OK。
これまでの人生の中で一番最高の時って訳じゃないし正直辛いけど、でも大丈夫。私はまだまだやってける。
・正直な物言いだね陽治。なかなか人が言わないことだけど、ホントのこと。人の親切心にも同情心にも、その人なりの限界・境界があるってこと。誰かが物凄い苦痛を感じてのた打ち回っていても、それが遠い場所の出来事だったり現実感薄い感じだったりした、人はちょっと手を差し伸べたり、一歩歩いたり、チラッと見ることすら億劫で、しないということ。
-中略-
私にも陽治にも他のほとんどの人にも、ヒーロー以外の人間には、現実的な人生、生活、ライフってもんがあるんだ。そういうもの背負ってる人間においては、やっぱり同情心と面倒臭いが綱引きやることになるんだ。「かわいそー」と「だる〜」がいつも戦ってるんだ。それで普通なんだ。
陽治はこのままでいい。このままでいい。
でも陽治にもヒーローになって欲しい。陽治の同情心はちゃんと面倒臭いに勝って欲しい。陽治の貴重な「かわいそー」がだらしないつまらない「だる〜」なんかに負けて欲しくない。陽治がエチオピアやら月の裏やら別の時空に走って行くなら私はすっごく丸ごと全力で応援するし、永遠にいかなる場合でも陽治を肯定し、愛し続けるのに。
いやいや私は今のままの陽治で十分愛して肯定して応援するから。
う〜。
・私はカンちゃんが電話の向こうで泣いてングング喉を鳴らしてクヒーンとか言ってスガスガ鼻を鳴らしてるのを聞きながらなんか冷める。まあでも私も一緒だ。私もカンちゃんと同じでわがままだから、私にはカンちゃんを責める資格なんてないし別に嫌な風に思わない。私も陽治の気を引くためにいろんなことするし、カンちゃんも《いろんなことにおいて正しいことをやるんだしやりたいんだし何かで間違えたらそれを自ら認めてすぐに正していくっていう自分》って自己像を守るためには何でもやるんだ。そんでいいし、そんで普通。頑張れカンちゃん。
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February 14, 2006
吉田修一著、「パレード」を読んだ。
都内の2LDKマンションに暮らは男女四人の若者達。「上辺だけの付き合い?私にはそれくらいが丁度いい」。それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、“本当の自分”を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。そこに男娼をするサトルが加わり、徐々に小さな波紋が広がり始め…。発売直後から各紙誌の絶賛を浴びた、第15回山本周五郎賞受賞作。-「BOOK」データベースより-
以前読んだ「パークライフ」が良かったので、彼の別の作品を手に取ってみた。彼の文体は何故か僕にとってとっても読みやすい。文章を読む、ということはそれなりに能動的な行動なので、作品によってはかなり疲れたりするし、そうでなくとも一定の体力というか、脳力というか、とにかく労力を要する。けど、彼の作品はほぼノーストレスで、スっと入ってくる。このパレードも、導入はごく普通の大学生の日常をリアルに描いていて、その親近感からかやはり非常に読みやすい。物語は章を追うごとに、5人暮らしする男女5人のそれぞれへ視点が移っていく。視点は移るが、時間軸が一つまっすぐに続いているので、前章の続きを別の人物の視点で語っていく、という構成。そして、そうやって5人全員の主観が語られていくなかで、その人間関係の微妙さと、絶妙な距離感を浮き彫りにしていくのが実に巧い。5人はそれぞれどこか病んでいるんだけども、本人達はそれに気付かない、というかその苦悩を無視するかのようでいる。描写は極めてリアルであるけども、登場人物はどこか異常で、一見非日常的。でも、現実の人間達も、こうやって苦悩や病理と折り合って生きているのかもしれないと思えてくる、そういうリアルさがこの小説にはある。読んでいる途中は、なかなかにほのぼのとした感覚で読んでいたけども、読了後に残るのは、当初は予想もし得なかったある種の不快感と、恐ろしさ。全く良く出来た小説だと思った。
February 13, 2006
最近漫画を読む機会もめっきり減ったので、これからは良作に出会ったら漫画もBiblio Logに記録して行こうと思う。
冬目景の「羊のうた」を読んだ。父親の友人夫婦に育てられたこと以外は、ごく普通に暮らしてきた高校生の一砂。ある日突然の吸血衝動に襲われ、密かに想いを寄せていた同級生の八重樫を襲いかけてしまう。自らの衝動に戦きながら吸血衝動と共に蘇った記憶を頼りに生家に赴くと、そこには幼い頃に別れた姉、千砂の姿があった。千砂は、二人が吸血鬼のように血を欲する奇病を生まれ持つ家系の出であること、もう普通の生活は送れないことを告げ、一砂に自分の血を差し出した・・・ ・・・という風に始まるお話。
吸血衝動、和服、日本家屋、近親相姦、血の繋がらない家族。暗くて救いの無い話なんだけども、読み終わった後に何か心に残る作品だった。長さも7巻と丁度良く、一つの物語としてよいまとまりを持っている。そして何より絵がとても綺麗だ。物語が進むに連れて深まっていく悲壮感と共に、絵柄も益々綺麗になっていく。悲しいのに、見とれてしまう。
この作品、アニメ化も実写版映画化もされているようだ。でもなんかこの漫画の世界の雰囲気は超えられない気がする。久々の良作。冬目氏の漫画は初めて読んだけども、他も期待大だ。