Log No. 344

KARATE

November 25, 2005

母校チーム、一年の終わり。ある後輩への思い入れ。

今年も全日本大会が終わり、母校の空手チームの一年が終わった。
かなり強いチームだったんだけど、今年も全日本で結果を残すことができなかったようだ。非常に残念。

だけど。公式サイトにアップされる戦績を見ていただけだけど。一人の選手の成長をその戦績から見てとることができて、目頭が熱くなってしまった。チームで勝ってこそ喜ぶべきなのに、その一人の選手の戦績に抑えがたい喜びを感じてしまった。以下はその彼への超個人的な思い入れである。

僕が高校3年の頃、高校1年の彼が入部してきた。強くなってほしくて毎日筋トレに連れ出した。
彼が大学に進学してきたとき、騙すように彼を大学空手部の輪に放り込んだ。
僕が部を離れ、数年ぶりに道場の練習に復帰した際、「先輩、そこはこうしたほうがいいです」と空手の技術について指摘された。驚きと多少の悔しさと、変な嬉しさがあった。

いつか気づくと、彼は立派な形の選手になっていた。形の強豪校と互角に渡り合うほどの。
そしてしまいには、そんな彼が組手の舞台でも一線で活躍する選手へと成長してくれたのである。

僕らが空手を習ったNY高には、試合が無かった。素晴らしい指導者には恵まれていたが、試合制度については、僕らは何も知らなかった。大学に入って、初めてその世界に入る。試合に関しては、形も組手も、大学で一からやるのだ。

周りは小さい頃から試合に揉まれてきたツワモノも多く、団体戦に出場できる5名に選ばれるのは並大抵のことではない。出られる奴は1年の頃から出られるし、出られない奴は4年間血を吐くような努力を続けても出られない厳しい世界。この伝統ある部の中で、NY高出身の選手が大きな大会でその舞台に立つところを見たことが無い。

けど、今回の全日本大会の試合結果に、彼の名前があったのだ!しかも個人的な結果は鮮やかな勝利だったと言う。全日本だけでなく、早慶戦でも、関慶戦でも、見事な勝利を飾ったようで、それがまぐれではなかったと思わせる。四年間続けてくれただけでも本当に嬉しかったというのに、この記事を読んだ時の僕の感動は推して知るべしである。是非直にその姿を見たかった。彼も今年で引退、あれほどの舞台で彼の試合を見ることはもうこの先無いだろう。今年一年間中国で活動しているが、これほど日本を離れてしまって悔しいと思ったことは無い。

でもとにかく、本当に彼の成長が自分のことのように嬉しかったのです。

しかし全日本でチームの負けが決定する瞬間=4年間の集大成が終わる瞬間のあの何ともいえない辛さは当然皆味わうことになったわけで、そもそも裏方も応援している選手も含めて誇るべきなチームであり、一人の部員を贔屓にするなんて時点でおかしいのだから、僕がこんなことを書くのは相当不謹慎なんだろう。もちろん全日本と関慶戦での敗退は本当に悔しい。だけど、彼について喜ばしいと思ったことも事実で、どうしてもそれを書かずにはいられなかったのです。部の関係者にこのエントリーを読まれないことを祈るのみです・・・

とにかく、今週でこの代も引退。お疲れ様でした。次期主将(僕が現役4年の頃の1年か・・・)とそのチームに、来年こそ悲願を達成できるよう、中国からエールを送りつづけていきたいと思います。

May 04, 2004

関東大会

防具つき空手の試合に初出場。

ぼろくそに負ける。多くの課題。けどモチベはアップ。鍛えなおそう。

チームメイトのH薗が形、組手種目共に優勝し、完全勝利を収めてくれたので気分はいい。
夜、反省会を兼ねて道場の皆さんと飲む。また一つ、楽しいコミュニティーに加われてよかった。

優勝カップでビールを飲まされている絵は笑えた。

February 29, 2004

send off party

朝、赤レンガ倉庫にて行われたSFC卒業制作展を見に行く。
アトバムプロジェクトがいい感じに展示されていてなんか嬉しかった。
キューブを使ったプロジェクトが6個くらいあって流行ってるんだなと思った。

昼、目黒に部活のHP製作に関する委員会の打ち合わせに行く。

夕方、空手部の卒業生送別会が行われるので日吉に向かう。時間があぶれたのでかなり久方ぶりに日吉の図書館に入って、読書。

日吉の並木道沿いにできた、新しい研究棟にある綺麗なラウンジで会は行われた。

現役部員のほかに、中等部の女の子たちや高校生、そして多くのOBが来て下さった。

宴会の途中に、いろんな人が送別の辞を述べてくれた。高校生の送辞がモノマネつきでおもしろかった。あいつらマジ馬鹿でうける。

コーチのスピーチは卒業部員一人一人に関するエピソードだった。感動した。

一年間かけて部員が撮影し、この日のために編集してくれた思い出ビデオの上映もあった。かなりの長さで、本当に大変な作業だったはず。内容も凄く面白かったし、編集も上手かった。本当に嬉しかった。

部長先生から毎年卒業生に贈られる福沢諭吉の運命論之概略を、ついに自分が受け取る番になった。自分にもこの瞬間が来るとは、2年前は思っていなかった。

そして最後に、僕ら卒業部員が一人ずつスピーチをして、会は終わった。

とうとう、高校一年から始め、大学の4年間を過ごした空手部から、卒業してしまった。もう、部という単位で何かに向かうことも、共に馬鹿騒ぎすることも無くなると思うととても寂しい。でも、本当に意味のある、他人には想像もつかないほどの価値をもった4年間になったと思う。

人生で何度目だろう、「ありがとうございました」と心の底から言えた。

January 03, 2004

RAKKEN

格闘技オタクの友人らとの集まりを、これからも続けていくためにちゃんとした
団体にすることにした。サークルみたいなものか。柔道有段者や独学で中国拳法を
学んでいる奴もいれば、格闘技は一度もやったことない元卓球部主将や、バレー部
出身の女の子もいる。

名前は、RAKKEN。楽しく拳を交えて、武道を研究、実践、する、ということで、
楽しいのラク、拳のケン、研究のケンを取って、RAKKENだ。

詳しくはメンバーの一人である玄地屋のページに定義されている

要は、格闘技好きな素人連中が集まってお互いを刺激し合い楽しみながら武道を実践
し、且つ素人だということに甘えずに最大限の真面目さをもって自分の技を磨くこと
に取り組む場、ということ。自分はこのグループのなかでは最も経験があることに
なっているが、巷の格闘家に比べれば素人同然なので謙虚さを忘れずに参加して行きたい。

空手は今後も道場などに通い続けていくが、空手の枠に囚われない自由な技術を
ここで勉強して行き、あわよくばその成果を自分の空手に反映させて行きたいと思う。

当面の課題は、寝技に引き込まれないように間合いをコントロールすることと、
寝技に持ち込まれた際の離脱のテクニックを磨くことだ。
さらに、フルコンタクトカラテルールも採用する場合があるので、脛を鍛えなければ
ならない。高校卒業以来、久々にビール瓶で脛を叩く日々が戻ってきそうだ。

そして、各自道場訓を考えてブログにアップする、という宿題が出ているので、
いくつか考えてみた。

基本
「礼儀を重んじること。」
「常に向上心を持つこと。」
「謙譲の心を忘れないこと。」
「己の弱さから逃げないこと」

実用
「稽古時間は有効に使うこと」
「信じられる技を一つ以上持ち、それを磨くこと」
「されどその技に溺れないこと」
「どんなルール下においてもそれに甘えず、常に実戦を意識すること」
「自分の力量に正直であること」

とりあえず考え付くのはこんなところ。

December 13, 2003

Retiracy

12月11日木曜日、平成15年度の体育会空手部幹部交代式が執り行われた。

この日を持って、僕ら4年は正式に空手部を引退し、後輩にチームを委ねる。

正直、その場に自分が立っていることが信じられなかった。

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左から、H田、主将H薗、副将O部、清家部長、蓮池コーチ、主務O倉、I橋、自分。
4年間共に頑張ってきた、同期6人。僕(右端)の隣にいるI橋とは、NY校空手部から
だから7年間一緒だったことになる。副将のO部にいたっては幼稚舎1年生からだから、
16年間という途方もない空手部生活から卒業する。脱帽。

新チームとの集合写真
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式が終わり、恒例の胴上げ。
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生まれて初めて胴上げされた。(写真は主務O倉)

その後は三田のつるの屋で飲み。ここ2年間、空手部は出禁を喰らっていたのだが、
今年になって許してもらえることになり久々の入店。

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空手部寄贈のものがこの店中で最古だそうな。(当時のキャプテンが蓮池コーチ)
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裏幹部交代式が執り行われ、裏(飲み)主将は二年のKんに任命された。(右)
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最後は、新裏主将Kんによる音頭で〆。
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みんな、本当にお疲れ。

December 12, 2003

The first contact

とうとう参加してしまった。

防具付き空手界の雄、錬部会海老名支部の稽古。
大学の空手部の同期であるH薗の紹介で参加させてもらった。

防具付き空手については過去のエントリー参照

大学1年の時に顎を怪我して選手を退いて以来、どんなにやりたくても組手からは
完全に手を引いていた。けど、やはり組手がやりたくてやりたくて、防具付き空手の
安全性に賭けてみようと思い、稽古に参加させてもらった。

結果は、想像以上。興奮した。まったく顎に衝撃がこない。防具の構造上、衝撃は
頭部全体に分散され、どっちかというと脳天の方に衝撃がある。顎には思ったよりこない。

これなら、できる。

3年ぶり近い組手に、もう体力や感覚が付いていかなかったが、取り戻せそうな
感触を得た。

錬武会では常にトップレベルのH薗を倒すことを目標に、頑張ってみたくなった。

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December 08, 2003

THE YAMINABE

待ちに待った、闇鍋。
空手部が主催し、体育会部員を招待して、体育会横のつながりを作る年に一回の
空手部伝統行事。今年で4度目、最後の参加だが他の部の部員と仲良くなれる日として、
毎年楽しみにしていた。

割り箸とダンボールと模造紙の手作り灯篭。
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闇鍋は、文字通り暗闇のなかで、何が入っているかわからない鍋をつつく、
恐怖のイベントでもある。しかし、ここは体育会らしく(?)、本当に中身が
怖いのは1,2年生の鍋だけである。
昼から日吉の蝮谷で「具」採集に勤しんだ。

道場の外で、鍋の用意をする。
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この日のために一年が徹夜で100個の灯篭を用意した。
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灯篭の一個ずつには来客を楽しませるための"小ネタ"が描かれている。
今年は楽しいネタがたくさんあったのだが、内輪ネタが多かったのでここでは割愛。
(あとは、9割がた下ネタなので掲載を自粛します。)
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灯篭点灯
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闇鍋の入場、開会。
「武士たるもの、いついかなるときも戦いに備えるために、たとえ暗闇でも
食べられるものを見分け、腹ごしらえができなければならない。」という
ほんとかどうかわからないコンセプトのもとに1、2年は理不尽なゲテモノ食いを
やらされるわけだ。
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今年は日が悪かったらしく、多くの部が直前に来られなくなった。来てくれたのは
剣道部、弓術部、水泳部のみ。今年は少林寺拳法部主将のH田と仲良く
なれたので例年より多く部員を引き連れてきてくれるかと期待していたのだが、
結局リマインダ不足だったか、誰も現れず。残念だ。
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最後は皆で輪になって若き血を熱唱。
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二次会は日吉のカラオケで朝まで歌い狂う。自分は火曜の設計勉強会の準備が
全然進んでいなかったため3時で切り上げてDNPへ。最後の闇鍋だったけれど、
人は来ないし、冬で「具」も少ないし、なんだか物足りない闇鍋だったかもしれない。
けど、最後はカラオケでみんな異常に盛り上げてくれたから、終わりよければ
全てよし、ってことで満足した。

December 02, 2003

"KOTOBA Log"

「空手に極意なし。ひたすら足元を見詰め、一拳、一蹴に
流す汗の中から多くの反省とわずかな進歩を見出せ」

December 01, 2003

Need some cure...

風邪をひいたくさい。

日曜、朝起きると頭痛があったので幼稚舎のコーチを休んだ。午後はNとの約束である、
空手会に行った。稽古、というわけではなく、趣味の空手だ。
体育会の連中には言いにくい空手のかかわりかたである。

3,4年ぶりにMMと殴り合えるということもあり、非常に楽しみだった。
MMはテコンドーからフルコンタクト空手に転向し、高校以来ずっとフルコンを
やっていたらしく、強敵。高校の頃は、彼の華麗な足技とパワーに圧倒されっぱなし
だった。今回はフルコンルールではなかったから、自分に有利だったが。
心配していた体調も、体を動かし始めると気にならなくなり、軽く組手練習を
し始めたあたりから興奮状態になったのか、頭がすっきりし、体もよく動いた。
この会でやはり特筆すべきなのは、紅一点のCの根性とセンスだろう。
女の子ながら殴られても文句言わず、いい技をだす。成長が楽しみだ。

参考サイト:Log No.24
参考サイト:玄地屋商会→玄地屋商会裏帳簿→11/30(日)の記事

閉館時間になり、スポーツセンターをあとにすると、アドレナリンが切れたのか
急に頭痛をぶりかえす。まずいなぁと思いつつ翌日までの課題のことなんかを
思う。夜の用事のため、Nの家でCが振舞ってくれた料理も一口ずつ程度しか
食えず、Cの料理全般が好物なため、非常に残念だった。玄地屋がもってきた
いかがわしい格闘ビデオも観られずじまい。次こそモーニングコーヒーだ。

今朝、課題をやりに早朝からDNPへ。雨のせいか、先週の無理のせいか、
頭痛はさらにひどくなっている。寒気もする。風邪だな、と思ったけど
山積する課題を前に、風邪なんぞにかまってやってる暇はないなと、
やっぱり風邪はなかったことにする。

November 26, 2003

Regrets

11月24日、空手の全日本大会があった。

一年間、全てはこの日のための努力。
僕ら4年生にとっては最後の大会であり、選手たちには、その4年間の集大成となる。

今年の慶應はこの十数年で最も練習し、もっとも強くなったと言われていた。
3回戦に控える近畿大学との試合に勝つことは現実味を帯びていた。

しかし結果は、想像よりもはるかに厳しかった。

一回戦、
「大会規定の黒帯を、チーム全員が所持していないため、失格とする。」

慶應は、戦わずして負けた。

慶應の黒帯は、審査団体を兼ねる慶應のOB会から贈られる。
通常の空手会の初段は、慶應では茶帯の実力である。それほど慶應で初段を
とることは厳しく、だからこそ、それは逆に誇りにもなった。
チームプライドの象徴でもあったはずだ。

その誇りがこんな形で裏目に出るとは、考えられなかった。
いままで指摘を受けたことはなかった。指摘を受けている人も見たことはなかった。
しかしルールはルール。抗議は通らなかった。

呆然として控え室に戻った選手と、僕らサポートにまわっていた選手を集めて、
コーチは涙を浮かべながら、
「四年、すまん」
と手をついて謝った。別にコーチや監督のせいだとは誰も思っていなかったが、
その瞬間、ただ呆然としていただけのみんなの目から一斉に涙がこぼれた。

泣くのは、優勝の嬉し涙か、やりきって及ばないときの悔し涙だと思っていたけど、
これは何の涙なんだと思っていた。

僕は、今まで4年間この日だけのためにひたすら打ち込んできた同期の選手とは違うから、
自分が泣くわけにはいかないと思って必死でこらえていたけれど、
稽古中は鬼のように厳しくドライでどんなに負けても勝っても感情を表さない
主将のH薗が下を向いて顔をごしごしと拭っているのを見たとき、どうしようもなく
泣けてしまった。

どうあがいてもやりなおせない、次もない、報われない。
あんなに苦しんで頑張ってきた彼らに、なんらかの結果を出させて欲しかった。

ふと、コーチのコトバが頭をよぎる。

「運命は、勇者の味方をする。」

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