Log No. 344

June 2004

June 30, 2004

鈴木大野!

Oyspeエントリートラックバックが入っていたので見にいってみたら。

鈴木大野のshunsukeさんまでも!涙

あぁぁああぁぁりがとうございます。

感動と爆笑の記念にこちらにも貼っつけさせて頂きます。

happy_miyoshi.jpg

June 29, 2004

Oyspe!

おいっすぺ こし」にフラッと寄ってみたら、こんなエントリーが!!

感動したのでここにも貼っつけさせて頂きます。
ありがとう姫。

happybday_miyoc01.gif

June 28, 2004

my 23rd birthday

昨日、この世に出てきて23年がたった。

夜は特に予定を入れていなかったのだが、公務員試験が一段落ついて久しぶりに時間ができたというCる嬢が「飯食わね?」と誘ってくれて、渋谷で落ち合うことに。

急遽Cる嬢がコーディネートしてくれたのか、U野嬢とelenaもかけつけてくれた。誕生日を祝ってくれた。

去年といい、ホントによくしてくれる連中なので感動する。

アップルパイと3Dゲームのキャラクター画集をもらった。あ、あとポカリスエットも。

非常にタイミング悪いことに、なぜか一日とても体調が悪くて、座っててもしんどかったんだけど、さすがにこれだけ楽しい時間を過ごせた後は、とてもいい気分になれた。

途中、高1の頃のルームメイトのタカがメールをくれた。
「おめでとう!前の誕生日から一年くらいたった気がするよ」
・・・。おもしろすぎるタカ。
他にもメッセージくれた皆、どうもありがとう。

帰り、終電間際までちょっとおしゃべりしてようと思ってたらあっさり終電を逃してしまい、voriの部屋にお願いして転がりこむことに。寝てたのに、ほんと迷惑かけました。でもちょっと話盛り上がったから行って良かった。

first anniversary of "Log No.344"

6月27日をもってこのブログを開設して丁度一年。簡単にこの一年間の実績報告。

エントリー数:142
コメント数:128

カテゴリー
Art Log(趣味の美術鑑賞に関する話題):11エントリー
Biblio Log(読んだ書籍に関する話題): 10エントリー
Dream Log(夢日記): 1エントリー
Journal(雑記、備忘録、旅日記等): 21エントリー
Karate(趣味の武道に関する話題): 18エントリー
KOTOBA Log(心に残った言葉に関する話題): 15エントリー
Live Log(生演奏や舞台等に関する話題): 5エントリー
Movie Log(映画鑑賞録): 27エントリー
Web Log(ウェブ上の話題、ニュース記事に関する話題): 16エントリー

アクセセ数カウント開始日2004年1月29日
(1/29〜6/27) 11921アクセス
月平均:約2000アクセス

三日で終わるかと思っていたけれど、結構続くもんだ。これからもよろしくお願い致します。

June 23, 2004

Together

陳凱歌(チェンカイコ−)監督の北京バイオリンを観た。

together.jpg

バイオリンの天才である少年と、その少年の成功に自らの夢を重ねる父親の物語。
よくある題材でよくある展開をする映画だけど、それを本当に綺麗にドラマとして纏め上げた、傑作。映像も綺麗で、涙を流さずには見ていられない感動作でした。

主題は父と子の絆、お金より大事なモノ、というところだろうか。
どんなに辛くても明るい父と、些細なことで揺れる少年の心の描写が絶妙。
劇中何度となくお金のやりとりがスクリーンに映るが、貧しい父親は決して受け取らない。無邪気な春少年はもらえるものは受け取ってしまうけど。

途中、陳凱歌監督自ら扮するユィ教授が弟子に「金のための演奏はするな」と叱り付けるシーンがあるが、これなんかは彼の前作品で「キリングミ−ソフトリー」という話題性だけは十分だが内容の薄い三流サスペンスハリウッド映画を撮ってしまった陳凱歌が自分自身に言ってるのでは、と思ってしまった。(映像はあの作品もとても綺麗だったけどね)

音楽映画としても「海の上のピアニスト」に匹敵するくらい気に入った。
主人公の奏でるバイオリンもとても綺麗で、主にチャイコフスキーなどのクラシックの名曲が披露されるわけだけども、中にはテレサテンの「月亮代表我的心」なんかも出てきて楽しませてくれる。

ちなみに原題は「和イ尓在一起」(あなたと一緒にいる、の意)
英題は「Together」(そのまんま。どちらもなんとなく作品の雰囲気を掴んでいる)

で、邦題が「北京バイオリン」って、なにそれって感じしない?すっごく分かり易いんだけどさ。

June 22, 2004

Hokusai

elenaとの美術鑑賞チームで太田記念美術館へ行きました。

浮世絵の美術館ということで、北斎、写楽、広重、歌麿などの巨匠の絵を見ることができるかとわくわくしながら到着すると、その日は北斎展の日でした

一人のアーティストを特集した展示は好きだ。その人の人生の様々な時点の様々な作風を追うことができる。今回の北斎展も実に充実していて、他の巨匠の作品を見られなかったことは少々残念ではあったけれど、それを補って余りある興奮を味わいました。

北斎がこんなに多種多様な絵を書くとは知らなかったので驚いた。
漫画のような絵や、妖怪を描いたシリーズなど。おならしてる人の絵とか相当うけた。

特に気に入ったのは、有名な富嶽三十六景のシリーズと、肉筆画帖のシリーズ。
富嶽三十六景では「神奈川県沖浪裏」と「山下白雨」
肉筆画帖では、「鮎と紅葉」と「鷹」

色使いが息を呑むほど鮮やかで、その構図の大胆さに本当に驚かされる。

言わずと知れた「神奈川県沖浪裏」
hokusai1.jpg

北斎は多くこのパターンを使っていたが、絵の最上部に使われている真っ青な空の色に惚れた。「山下白雨」
hokusai2.jpg


美術館に向かう途中、オハイオの頃の補習校の女友達を偶然見かける。声をかけたらこれからまた別のオハイオの頃の友人たちと会う予定だと言うから30分ほどお茶をご一緒した。またしてもかなりスペシャルな一日。

June 20, 2004

脳力

念力ブログなんてものがあったけど、

これはすごい記事ですよ。

念じるだけでゲーム操作 米で実験成功

2004.06.20
Web posted at: 19:31 JST
- REUTERS
ワシントン(ロイター) 脳に電極を取り付け、「動け」と念じるだけでビデオゲーム機を操作する実験に成功したとの報告を、米研究チームがこのほど発表した。被験者たちは指一本動かしていないという。さらに研究が進めば、病気や事故で手足の自由を奪われた人々のために活用できる可能性もある。

熱い。脳に電極って、一瞬、え、と思うけど、別にゲームやらせるために頭開いたわけではなく、別の手術でたまたまこの状態になった患者に協力してもらったとのこと。

でも、こんな↓簡単に行くもんなんだな・・・凄すぎる。

報告によると、被験者は脳からの信号によってゲーム機を直接操作するために、数分間の簡単な訓練を受けた。その後30分以内に、全員が標的を狙う方法を習得。的中率は74%から100%に達した。33個の標的すべてを射止めた被験者もいたという。

人間の脳の可能性は気持悪いほどに計り知れない、ということを思い知った一報。

続きを読む...
June 19, 2004

少林サッカー

少林サッカーを観た。

shaolinsoccer.jpg

この映画は凄い。バカをここまで極めると、こんなに面白い映画ができるのかと心底感心した。

序盤はギャグのバカさについていけず、引いてしまうシーンが結構あったのだが、よくあるコメディーと違い、中盤から落ち着いて人間ドラマに走るのではなく、バカさをどんどんエスカレートさせていって結果として最後まで笑いのテンションを保ち続けるという、かなりパワフルな映画だった。一人でみたんだけど、文字通り抱腹絶倒しました。

とにかく彼らのサッカーの試合シーンを見るのが一番笑える。
キャプテン翼みたいなシュートフォームや、日向のタイガーショットやリベロの武田のバズーカチャンネルみたいなシュートなど、懐かしのサッカー漫画を彷彿とさせるシーンの連発も興奮を助長させる。

主演俳優が監督でもあるんだけど、天才です。なんでこんなバカなことを考え付けるのか不思議なくらい。

あと、映画の面白さとは別に、個人的に面白い発見だったのは、主人公とその直接の周りのメインキャラたちはどうやら広東語のような、とにかく中国語の授業で習うような普通語とは全く違う言葉を話していて、全く理解できないのだけれど、ヒロインのヴィッキー・チャオが話すのは普通語というか北京語というか、とにかく中国語の授業で習うものと同じ感じなんです。だから凄くよく聞き取れる。でも、劇中、キャラ同士はそれぞれの言葉で話すんです。ホントにああやって通じるのかな。でも主人公がヒロインに「キミは美人なんだから!」って話すシーンとかでは北京語使ってたな。面白い。

ちなみにこのヴィッキーチャオ、劇中は醜い子、って役で出てくるのでわかりにくいんだけど、メイキングやインタビューの映像を見ると、映画の中との差にびっくりするくらい可愛かった。話す中国語はとても聞き取り易く、使う文章もとてもシンプルなので何度も聞いてしまいました。

ヴィッキー・チャオ、もしくは、趙薇(Chou Wei)
zhao_wei.jpg

June 18, 2004

Terminator 3

ターミネーター3を観た。

t3.jpg

だめ。B級もいいとこ。

ターミネーターに再び続編が出る、というのがニュースとして出た時点ではかなり騒がれたけど、上映されてからはそんなに騒がれていたようには思えなかったので、そんなに期待もしていませんでしたが。

2はお気に入りトップ10に入るほどの佳作だったし、1作目も典型的なB級映画という感じだけど斬新な世界観があったのに、この3はひどい。脚本が特にまずいわけだけど、アクションが派手、という点以外に何もない。ターミネーターが迫ってくる怖さもいまいちだし、何より、このストーリーの必要性が全く分からない。2で完結していても全く違和感ないし、もし続きがあるにしても3の後の時代をやるならともかく、なぜこの舞台設定のエピソードを追加するのかが一切分からない。それほど蛇足。

泣かせようとしてるところでも泣けないし(そもそもキャラに感情移入できる要素がゼロ)、全く何がしたいのかわかりません。この監督のほかの映画も観たけれど、ああ、こういう感じが好きなのね、というのは分かるけど、だからなに、という感じ。

一通りけなしたけど、55歳過ぎてもこの役ができるシュワルツネッガーはホントにすげぇと思った。

Balzac Et La Petite Tailleuse Chinoise

フランス映画、「小さな中国のお針子」を観た。原題:Balzac Et La Petite Tailleuse Chinoise

Balzac.jpg

監督も中国人なら、メインキャストも皆中国人で、舞台も中国だけど、雰囲気はもう完全にフランス映画。ダイ・シージェ監督の自伝的小説が原作になっているらしく、その原作からフランス語で書かれているらしい。ダイ・シージェは長いことフランスで活動している。

映画の舞台は中国の山村。文革の頃に、反革命分子の子ということで「再教育」のため山村に送り込まれた2人の青年が、そこで出会う「お針子」という村で一番美しい娘と恋に落ちるという話。ストーリーは、恋愛を語るものではなく、2人がいかにして無知な田舎の娘を禁じられた西洋文学によって目覚めさせるかということに奔走する様や、村での生活、村人との関わりをコミカルに描く。バイオリンの演奏を披露するとき、モーツァルトのソナタを奏でながら「毛沢東を想って、という曲です」なんていう具合に。

この作品で印象的なのは、ほぼ全てのシーンに登場する中国の山村の絶景と、文学に対する人々の憧れだ。設定では、この映画の舞台は、今はもう三峡ダムのために沈んでしまったエリア。三峡下りといえば、中国で観られる最も美しい景色の一つとして知られる。そんな景色の中でこのほろ苦くも綺麗な物語が進むのだから、ただボーっと眺めているだけでも飽きない。全編を通して流れるバイオリンや胡弓の調べがこの景色と相俟って本当に心地がいい。

もう一つは人々がいかに文学というモノに飢えているか、この時代の人々を動かす力に驚かされた。ここでは小説が、中世ヨーロッパの胡椒さながら、この世の秘宝のように扱われている。そして、一冊のバルザックが3人の人生を変えてしまう。知への欲求と、本の力というものを考えさせられる。

自分にとって大切な本を改めて掘り起こしてみようかな。

June 13, 2004

MOMAT

モンゴルから帰ってきた翌日、E奈嬢改め、elenaと国立近代美術館に行った

国立近代美術館ウェブサイト

elenaとはこのまえ、定期的に近辺の美術館を巡り楽しむチームを結成し、今回がその第一回目。

地下鉄の竹橋駅から地上に上がると、目の前に皇居の堀と美術館。学生は常設展をたった130円で見ることができる。まずこの値段に驚いた。

中身は130円では安すぎるほど濃いものだった。特に気に入ったのは特集を組まれていた佐伯祐三と加山又造。加山又造は今まで聞いたこともなかったのだが、圧倒的な技術と独自の世界観とに圧倒された。なかでも「春秋波濤」という作品には格別に惹かれた。この加山氏、今年の四月に亡くなってしまわれたそうで、なんとも惜しい気持ちになった。リャドの作品と出合った時もそうだったけど、やっと出会えたと思えた作品の世界が、もうこの世に出尽くしてしまっているという事実が、なんとも残念でならない。

これは題名こそ同じ「春秋波濤」だが、微妙に違う、別の作品。参考までに。
shunshuuhatou.jpg

休憩室なども景色が良くて落ち着くし、展示の内容は素晴らしいし、静かで涼しい、国立近代美術館は素晴らしいところです。

その夜はelenaとお台場の良いレストランでタダ飯を食い、その後渋谷でR子と合流して三人でコーヒーを飲んだ。R子とは高校卒業以来まともに話していなかったので、お互いの三年間を絵で表現する、という方法で報告し合った。

美術鑑賞に始まり、旧友との交流を温めて終わる、いい一日だった。

June 12, 2004

植林トリップ 内蒙古 八日目 総括

八日目:北京→帰国

 この日は午前に少し市内を回って、昼食をレストランで済ませ(店員がローラースケートで移動してた)、そのまま空港へ。ガイドの方々とは北京空港で別れ、出国。何事もなく成田に到着し、ツアーは解散した。成田に着いてしばらくして、友達からオハイオの頃の旧友がホンダに内定をもらった、とメールが入り、タイムリーな朗報に興奮した。

 今回は出来事を中心に旅日記を記したが、旅の醍醐味の一つはやはりそこで行動を共にした人々や出会った人々との交流であり、もちろん今回も、あえてここには記さなかったが多くの人といろんな交流や面白いエピソードがいくつもがあった。ツアーという形式は自分には合っていないようだったけれど、ツアーでなければ体験できなかったことも多くあったし、それならではのいい出会いもあったので良い思い出となった。

 いつか自分の植えた木々が、立派な林になっている姿を見に戻りたい。

June 10, 2004

植林トリップ 内蒙古 七日目

七日目:北京→故宮(紫禁城)→万里の長城(八達嶺の長城)

 この日は帰国前日ということで、丸一日北京観光をして中国を楽しむ、という日。午前中は紫禁城、通称故宮の見学、午後は長城の見学、というスケジュール。
 まずは紫禁城、あまりにも広く見るものが多いため、「雰囲気を掴む程度」にさーっと歩いていかないと午前中だけでは終わらない。まともに見ようとすれば数日かかりそう。様々な場所に中国語、英語、日本語の解説文がある。英語で紫禁城は「Forbidden City」だ。なんだかカッコいい。紫禁城の造りも興味深い。高いところと低いところがはっきり分かれていて、映画「ラストエンペラー」や様々な映画に出てくる紫禁城のシーンそのままの、あの御前の広場に立ったときはやはり異様な迫力を感じた。
 しかしまさか紫禁城の中にこんなものがあるとは思いもよりませんでした。
 途中、ラストエンペラーとして知られる宣統帝、愛新覚羅溥儀の書斎で休憩を取った。そこには、溥儀の書や画、溥儀の弟で高名な書家であったらしい溥傑の書などが壁を飾っていた。書斎には、現在書家として活躍されている溥儀の甥という人がいらして、実際に書を書くところを実演して下さった。実はこの人のことは日本にいる頃から聞いていたので、実際にお会いできて少し感激した。係員が出てきて書を買わないか、と営業トークを始める、結局は商売なわけだったけれども。
 昼食を、これまた豪勢なレストランで済ます。免税店のフロアを併設したところで、ここでもセールスの嵐。ブランド品とかお土産品しか売ってない店、どうしてこういうところばかり連れて行くんだろう。僕は見るからに金持ってなさそうなんで、誰にも声かけられなかったけど。誰かが店員に、これどうせ偽モノでしょ?って聞いてたら、「でもこれはC級でもB級でもなくて、A級コピーです!」って力説してた。面白い国。
 午後は八達嶺の長城。かなり有名なスポットらしく、大量の観光バスが集まっていた。長城の入り口はまるでテーマパークのようになっていて、なぜか動物園やジェットコースターのようなアトラクションも併設されていた・・結構雰囲気ぶち壊し。
 ここには、通称「男坂」と「女坂」があり、男坂はとにかく急で征服欲を煽り、女坂は比較的緩やかだけど、景色はより良いという。観光時間が50分、という過密スケジュールのため、どっちかを選んで登ってください、といわれたけれど、せっかく来たのにそれはもったいないということで、もう一人の元気な社会人の方と2人で男坂を駆け上がり(心臓破れそうだった)、景色と達成感を堪能したら、再び駆け下りて(一部垂直に近い部分もありかなりスリルあり)、そのまま女坂を登り、また景色を楽しんで降りた。降りるときに、他のツアー参加者達に追いついた。頑張ればなんとかなるもんだなぁと思った。
 夜はツアー団体の皆さんとの最後のディナーということで多いに盛り上がった。皆さん自分の仕事に物凄く愛着を持っていて、話を聞いていて清々しかった。
 さらにこの夜は二次会を決行。有志で中国のカラオケに行く。部屋に入ると女の子が7人くらいずらーっと並んで、誰にする?みたいなことを言ってくるので、どうせそんなお金もないし、結構です!と一蹴。極端に少ない日本語歌曲を皆で取り合って歌った。一人果敢にも中国語の歌を熱唱した人がいた。せっかく中国のカラオケに来たんならやはり中国語歌ってなんぼだろうに、歌えなかった自分が情けない。いつか歌ってやる。

植林トリップ 内蒙古 六日目

六日目:烏雲の森→瀋陽→北京(寝台列車泊)

この日も、午前中は烏雲の森で植林をした。Y君は二日酔いのためこの日は居残り。これで植林作業は最後なので、最後に記念樹を植えた。皆さんを代表してY君と植えるはずだったのだが、Y君はこれもミス。残念。無事に根をはって、何十年かあとには立派な大木になっているように、願をかけながら、丁寧に丁寧に植えた。昼食を済ませた後、烏雲の森を去る前に時間ができたので、少し離れた所にある、この辺では一番高い丘に一人で行ってみた。内モンゴルの沙漠を360度地平線まで眺めながら、色々と物思いに耽る。叫んでみたりもした。けど障害物が一切ないので、微塵も響いたりしない。口の外に音波が出た瞬間にかき消されるようだった。日常とはちょっと違う場所で違う時間を過ごして、日常について考えてみる。自分のしていることについて考えてみる。寂しい結論が色々と出た。ほんの一週間の「体験旅行」では何も変わらないと再確認した時点で、吹っ切れた。そして丘を降りた。
烏雲の森をあとにして、瀋陽に向かう。昼にでて、瀋陽についたのは夜の7時前だった。
瀋陽の街は大都会だ。高層ビル群が立ち並び、さっきまでいた砂漠の民の生活が嘘のようだった。
マックもあった。吉野家もあった。中国の吉野家はかなり小奇麗だ。メニューはハンバーガーショップみたいにカラフルで、お洒落だった。夕食のあとでお腹いっぱいだったけど、中国限定のアイテムをトライしようとマックに入った。メニューがよく分からないので、店員さんに色々と教えてもらった。かなりにこやかに親切に読み方や売れ行きなどを教えてくれて、楽しかった。現地の人とのこういう小さなやり取りがとても好きだ。店を出るときに手を振ってバイバイ、と言ってくれた。バイバイと言ってくれるマックの店員さんには会った事無かったので感激した。
この日の夜は北京へ向かう寝台列車で車中泊。贅沢ツアーなのでまたしても最上級クラスの個室。四人部屋だけど、とても綺麗で快適だった。同室の人たちとおしゃべりを楽しめた。

植林トリップ 内蒙古 五日目

五日目:カンチカ→大青溝自然保護区→クリンキ→地獄の沙漠→烏雲の森

カンチカを離れて、「烏雲(ウユン)の森」へ向かう。烏雲(ウユン、日本名:立花珠美)先生という、モンゴル族と漢族の両親に育てられた残留孤児の方が植林NGOと共に活動していた場所だ。烏雲先生の半生はNHKのドラマにもなったらしい。(大草原に還る日)
カンチカから烏雲の森に向かう途中で、大青溝という自然公園のような地区に寄った。何十年も前から放牧等から保護されてきたというだけで、周りの沙漠とは似ても似つかないほど緑に溢れた秘境のような場所だった。ここでしか採れない薬草なんかも沢山あるらしい。けど今回僕らが見たところは観光地化していて、なんだか秘境というには味気ないものだった。
大青溝を後にして、クリンキという町で昼食。昼食後、近くの博物館を見てくるといい、と言われて、その場所に行ってみるが、そこには廃墟と見間違えそうな手入れのされていない寺院があるのみ。ガイドさんに「ここがほんとに博物館なんですか?」と聞くと、そうです、という。でも中には仏像が少しあるだけで、博物館らしいものはない。ってか普通にお参りに来てる人もいるし。明らかに博物館ではない。で、ガイドさんも皆に問い詰められて、一々博物館といってもこの辺なんかではこういうもんなんです、とか言っているのだが、どうも本人も疑ってるように見えたので問い詰めると、やっぱ違うかもしれない、なんて言い出す。自元の人に尋ねると全然博物館なんかではないよ、とのこと。博物館と呼べなくも無い代物は現在工事中とか。というわけで、町自体も小さく人々が細々と生活してるだけで、見るものは特にないようだった。本当はその人々の生活ってのを覗きに色々歩き回りたかったのだが、このツアーではそういう予定にない場所への個人行動は制限されている。こういうのがツアーの本当に不便なところ。たぶんもうツアーという形式には参加しないと思う。
そこからさらに移動し、途中「地獄の沙漠」と呼ばれている、物凄い流動砂漠の丘陵地帯にも立ち寄った。ここは他の沙漠地帯と違い、木や草が所々に生えていたりはしない、ほぼ完全な砂沙漠だった。数十メートルの砂丘の上に登って、周りを見渡すと、地平線まで続く沙漠や、小さな町や集落が見えたりした。ちょっとそこで遊んでから、烏雲の森へ。
烏雲の森周辺は最近まで国の特別指定の地区で、外国人は立入禁止だったそうだ。要は、あまりにも貧困が酷すぎて、外国には見せられない、ということだったらしい。しかし近年の緑化の努力によって、住民の年収が倍増(緑が増えると家畜をより養うことができる)し、国家指定から外れることができたそうだ。
日本人NGOメンバーたちが寝泊りするパオが数軒並ぶ土地に土地についた。僕らが寝泊りする宿舎もそこにある。青空トイレが結構気持いい。
パオの中で、再びNGO会長によるセミナーを聞いた。壁には、
「草原甘露哺育我、我為草原捧生涯」
という、烏雲先生の言葉が掲げてあった。草原のあまつゆが私を育て、私は草原の為に生涯を捧げる。烏雲先生も、その人柄も功績も良くは知らなかったが、僕が感激し、感銘を受けるには十分な力を持った詩だった。
夜はここに来て初めて飲み会らしい飲み会をやり、夜中まで大いにはしゃいだ。天体観測も試みたけど、あいにく曇り空で、見られると聞いて楽しみにしていた天の川は見ることができなかった。
夜中、ルームメイトで、もう一人の学生のY君が寝ゲロして大変だった。

植林トリップ 内蒙古 四日目

四日目:カンチカ→ホルチン沙漠→カンチカ第二高級中学

この日は午前のうちから、今度はカンチカ第二高級中学の日本語クラスの生徒達と植林。19歳の趙海超君とペアで作業した。趙君はいたずら好きっぽいキャラクターで、作業初めてから最初の会話も、「あなたの秘密はなんだ」って中国語で聞かれて、なんのことかと思ったが、ここの子達にそう聞かれたら彼女はいるか、ということらしい。いないない、と笑って流すと、なんでだ!?と真剣に聞かれたので、「時間がないし」と我ながら痛い発言だなと思いながら答えたら、そうなんだ・・とかなり感心の眼差しで見られてしまった。よほど真面目な青年と受け取ってもらえたのだろう。実際真面目だけど。
午後は、カンチカニ中の教室へ行き、交流した。校舎はかなり新しく近代的。正門には巨大なロダンの「考える人。」中国語では「思想者」と書いてあった。カンチカニ中はこの近辺では上級の家庭の子や優秀な子達が集まるエリート校のようだった。
日本語クラスの子達と言っても、二年目なのでほとんど話せない。けどお互いの語学の練習のために、日本語と中国語を混ぜて話した。趙君が僕を見つけると、先生がまだ「日本からのお客様ご一行」を紹介している最中なのに、こっちこっち!とはしゃぎながらテーブルに案内してくれる。そこで、趙君に加え、朱君、呉君、古君と仲良くなった。途中からかなり盛り上がって、語学が追いつかないので筆談や絵やジェスチャーを駆使して、それでもまだ伝わりきらないもどかしさと、伝わった時の興奮を楽しんだ。あっという間に帰る時間に。ここでもまた,こんなに涙もろい人間だったかなと思いながらも涙ぐんでしまった。写真が現像できたら、彼らに送ろう。
夜はモンゴルの歌舞団によるパフォーマンスを見た。そこでもまたモンゴル民謡の「草原在哪里」(コレがタイトルかどうかは知らない)を聴くことができた。テープ買ってくればよかった。

June 08, 2004

植林トリップ 内蒙古 三日目


三日目:カンチカ→ホルチン沙漠→ハラウソ小学校
毎朝6時から植林NGO団体の会長による沙漠に関するセミナーを聴く。面白いのだが時間が時間なのと、セミナー自体も1時間と長いので結構辛い。
朝食のあとホルチン砂漠へ向かい、植林作業。そして昼になる頃に、植林活動をしている場所の近くにある、ハラウソという沙漠の中にある小さな村の小学校を訪れた。(この地域では、小学校は1年生から9年、日本で言う中3まで、中学校が日本で言う高3まで。)このツアーは毎回この村のハラウソ小学校を訪れるらしいが、すさまじい歓迎を受けた。どれくらい、って村総出で、どっかのロイヤルファミリーでも迎えるような熱烈歓迎。学校の校庭にパレードのように案内されると、正面の貴賓席みたいな感じに座らされ、校長先生が全校生徒に向けて挨拶をした。モンゴル族でも校長先生の話は長い。その後、生徒達による僕らを歓迎するダンスや歌などのパフォーマンスが繰り広げられた。中でも印象に残っているのが、恐らくその学校の人気者と思われる少年が歌ってくれたモンゴル民謡。
「草原在哪里?草原在哪里?草原、草原就在我的心里。」(草原はどこにある、草原は私の心の中にある)という歌詞の部分だけ聞き取れたのだが、その内容が切ない。草原を失った騎馬民族の心情に想いを馳せる。
その後、モンゴル族によるテクノダンスや頑張って覚えてくれた日本語の歌、岡村孝子の「夢をあきらめないで」の熱唱など、かなりレアなものを見せてもらって、歓迎式は終了した。
昼食のあとには交流タイム。ハラウソの子供達は中国語を話せないと聞いていたのだが、一応試してみると皆結構話せる。こちらも拙い中国語でなんとかコミュニケーションを試みる。周りではデジカメで撮った写真をすぐその場で見せてあげて、子供達が大喜びしている。デジカメを持っていないことを果てしなく悔やむ。かわりにメモ帳を破って、折り紙でカエルを作って渡した。アメリカに越したばかりで英語が分からなかった頃、折り紙、そのときもカエルで友達を作ったことを思い出す。
1時間ほど子供達と遊んだ。みんな目が文字通りキラキラしてた。
午後はハラウソ小の高学年の子達と一緒に植林作業。ペアになった子は17歳の少年(ハラウソでは学校まで数十キロ離れたところから通う子も多く、入学が遅れたり、中断したりする子が多く、2,3年遅れることが珍しくないようだ)、ユィンシュィン君。とってもいい子だった。馬の話や、友達の話なんかをした。ほんの数時間の付き合いなのに、別れは本当に名残惜しかった。お互い何度も振り返って手を振りながら砂丘の向こうに消えて行った時はじわっと来てしまった。元気かなユィンシュイン。

June 07, 2004

植林トリップ 内蒙古 二日目

二日目:瀋陽→カンチカ→ホルチン沙漠

バスで3時間ほどかけて、カンチカの町へ。内モンゴルに入った頃から、景色が段々と乾いた砂色に変わっていって、見えるのはポプラの木ばかり。生えている木のほとんどが、数十年前から始まった緑化活動の結果らしい。5,60年前まで一面の草原だったというのが信じ難かった。
カンチカの町へ入ると、僻地の小さな町とは思えないほど(思ったより)綺麗な町並みで道路も広く舗装されていた。しかしこの道路もほんの4,5年前に整備されたものらしい。中国も好調な経済成長のおかげでこういった僻地にも敷くことができるようになったという話だ。しかしやはり家々は粗末なレンガの造りで、恐らく冬は風が吹き込んで込んでくるだろう、生活には辛そうなものばかりだった。(冬は零下数十度まで下がるという)
ホテルも、カンチカで一番いいホテル、という話だが、玄関の前には瓦礫や土管が転がっている。ただ、これは今回の旅の間一貫して言えることなのだが、宿や食などはかなり期待以上だったので相当満足できた。
午後、ホテルからジープに乗ってホルチン砂漠へ移動した。途中から全く舗装されていない、ラリーのコースのような悪路をかっ飛ばすので、ジープの天井の手すりに捕まらないと座っていられない(後に慣れた)。この悪路を走る40分が今回のツアー中で唯一辛い時間だった。
植林をする場所についた。初めてみる一面の砂沙漠に圧倒される。この地の人々を苦しめている要因でもあるこの砂の海を前に、不謹慎なのかもしれないと思いつつも見とれずにはいられなかった。
植林作業は一本を植えるのにかなりの手間がかかる。それでも植林NGOの方々が長年の試行錯誤から培って来たノウハウに従って丁寧に木を植えなければ根付かない。結局日が暮れる少し前までの作業で、1チーム2,30本程度を植えた。
参考:別の団体の植林記

Made with dreamweaverMade with fireworksPowered by Movable Type 2.661Powered by Wandering Wind